「おかえり」の声
(12)
ソフィアが魔物討伐で家を出てから三日目――
実亜は一人でなんとか生活出来ていた。
見知らぬ街、見知らぬ人、まだあまり良くわからない世界――だけど凄く楽しい。
眠る時にソフィアが居ないのが少し寂しかったけど、いずれはこの街で一人で暮らせるようにならないといけないだろうから、良い練習だと思うことにしていた。
アルナは毎日様子を見に来てくれて、実亜と他愛ないお喋りだとか、討伐隊の状況だとかを説明してくれている。
毎日夕方頃、自警団の詰所に討伐隊からの伝令官が来ることを初めて聞いたと答えたら、
「ソフィアさんはそういうところがちょっと抜けてる」
とアルナは笑っていた。
「あ、それで、明日の昼には帰って来られるみたいです」
みんな大怪我もなし――アルナがお茶を飲みながら伝令官から聞いた情報を伝えてくれる。
「そうなんですか? 良かった……」
実亜はアルナが持って来てくれた焼き菓子を食べて、安堵の息をついていた。
ソフィアだけじゃなくて、アルナの大事な人も無事で、みんなが無事で。
魔物の討伐なんて、どれくらい危険なことか実亜にはわからなかったから――
実際にこの街は魔物の大群に襲われて壊滅寸前まで行ったこともあるらしい。
アルナはその時に本当の両親を亡くした、とも教えてくれた。
この街の人たちはみんな優しい。
ソフィアの言ってたように、哀しみを知っているからだろうか。
「ミアさんが安心出来て良かった。本当に心配そうでしたもんね」
アルナは「これも」と、チョコレートみたいなものを取り出している。
南国のほうでしか作られない、とっておきのお菓子らしい。
「あ……ごめんなさい。魔物とか初めてのことばかりでわからないから、凄く怖くて」
実亜は一つ、四角いキューブみたいなお菓子をもらう。
アルナが食べてと言うから食べたらチョコレート――ビターチョコレートに近い――だった。
「わかります。私も、討伐隊で送り出すのは初めてでしたし、魔物は今でも怖いですから」
アルナも一つ、チョコレートを口に放り込んで、食べている。
「辛いこと、思い出させてたら、ごめんなさい」
ビターなチョコレートは思い出の味みたいな――苦くて、でも過ぎれば少し甘くて。
「大丈夫です。辛くても、超えないといけないねっていつもティークと話してるから」
アルナは屈託のない笑顔で答えている。
「この街の人は、みんな強いですね。あと、優しいです」
「えー、ミアさんも強いし優しいですよ。過酷な労働を押し付けられる街に居たんでしょ?」
それでもそれを恨んでないみたい――アルナはもう一つチョコレートをくれた。
「でも、命の危機までは――ちょっとありましたね」
残業が月百時間を超えて、充分過労死ライン――
実際、あの時実亜は一度死んだと思っている。
「でしょ。みんな大変でみんな強いし優しい」
アルナはそう言って、明るく笑っていた。
「じゃあ、明日の昼に」
夕方になって、アルナが家に帰る。
討伐隊が明日帰って来るから、出迎えがあるらしく、待ち合わせることになった。
アルナはリスフォールに雪が降る前の風物詩だとも言っていた。
「はい。ありがとうございました」
実亜は礼を言って、アルナを見送る。
「……明日。早く明日にならないかな」
明日になればソフィアが帰って来る。たった三日しか離れてないけど、凄く楽しみだった。
実亜は夕食を簡単に済ませて、風呂に入って眠る。
遠慮せずソフィアのベッドで眠るように言われたから、遠慮なく眠らせてもらっていた。
ベッドに入ると、ソフィアの匂いがする。体温がないのは少し寂しい。
頼り切っているな――実亜は反省していた。
いつかは、この街で一人で生きていかなくてはならないのに。
だけど、優しいソフィアの傍に居られたら――
いや、欲張りだ。命があっただけでも、自分には贅沢なのだから。
ソフィアの匂いに包まれて、実亜は目を閉じていた。
翌日――実亜は朝少し早く起きて、ソフィアのために料理を作っていた。
クリームシチューだ。
アルナにクリームシチューを説明したら、この街にはない料理だと言っていた。
こちらでの材料の名前を教えてもらって、一緒に買い物をして、揃えていたのだ。
小麦粉をバターで炒めてルーを作って牛乳で伸ばす。
リスフォールでは小麦粉はそこそこの値段がするので贅沢品に入るらしい。
そして、高級なパン――実亜の世界での名前では――にしか使われないという。
だから、アルナは小麦粉を炒めることに驚いていた。
バターは牛乳から作られる脂だから、まあまあ良く使われるもの――
名前こそ違うものの、材料を揃えるのにはそんなに苦労しなかった。
野菜なんかは一般的なものだったし、鶏肉も容易に手に入ったから。
「よし、出来た」
クリームシチューが出来上がって、実亜は時計を見た。
時間はもうすぐ昼になる頃――アルナが迎えに来てくれる時間だ。
実亜は慌てて身支度を始めていた。
「ミアさーん、来たよー。良い匂い……」
アルナがドアをノックして、ひょいと顔を覗かせる。
「一昨日言ってたクリームシチューです」
実亜はアルナをキッチンに案内して、鍋の蓋を開けていた。
「なんか、凄く美味しそうなんですけど」
牛乳煮込みは知ってるけど、もっと薄い汁だよ? とアルナは言う。
「良かったら食べてください。沢山作ったので」
「良いの? じゃあちょっと味見……」
アルナはキッチンにある小さな器にシチューを少し入れて、食べていた。
「美味しい、美味しいですよ! これソフィアさん凄く喜ぶと思う」
思っていたより大絶賛だ。珍しさもあるのだろうか。
基本はこの街の野菜の煮込みと変わらないのだけど。
「……そうですか?」
「疲れて帰って来て、温かい煮込みがあったら嬉しいですよ」
アルナはそう言って、私も今度作るから教えてと言っていた。
実亜とアルナの二人は街の入口近くにやって来た。
もう、かなり賑わっていて、凱旋程ではないけど、魔物討伐が無事に終わった儀式があるらしく、何かをセッティングしている人たちも多く居た。
「あの、皆さんが帰って来たらどうしたら良いんですか?」
何か決まりが――実亜はアルナに訊いていた。
「拍手? 両手を高らかに打ち鳴らします」
あとはおかえりなさいでもなんでも――アルナは丁寧に答えてくれる。
「わかりました」
「あ、旗が見えますよ」
アルナが街の門の方向を見て、指差す。
「え、あ、ホント……」
この街の旗と騎士団と自警団それぞれの旗が三つ、高く掲げられて少し遠くに見えた。
全員が無事な証拠でもあるらしい。なによりだ。
そこから、もう街の人たちの拍手が始まっている。
最初はパラパラと小さく――やがて、テンポを合わせているみたいな手拍子に変わる。
実亜もそれに参加して、手拍子をしていた。
討伐隊の先頭は旗手――馬に乗って、ゆっくりと街に入って来る。
そして、その次に――ソフィアが居た。
リューンと共に、堂々と、凛々しく隊を先導して、街に帰って来た。
「ソフィアさん……」
無事だとわかっていたけど、その姿を見るとやはり実亜は安心する。
今すぐにでも駆け寄りたくて、でも人が多くて出来なくて。
ふと、ソフィアが馬上から周囲を見渡している。
そして、人混みから実亜を見付けると、優しい笑顔を向けてくれていた。
実亜は思わず手を大きく振って、ソフィアに応える。
ソフィアも実亜に向けて、手を軽く振っていた。
「良かったですね」
アルナが嬉しそうに実亜に話しかけてくれる。
自分のことじゃないのに、自分のことのように共に喜んで。
「はい。アルナさんの大事な人は?」
「何処かな? あ、居た」
アルナの視線の先には綺麗な金髪の、少し背の高い女の子が居た。
「元気みたいです」
アルナはそう言って、嬉しそうだった。
討伐隊の解散式を終えるまで、実亜はアルナと二人で待っていた。
他にも隊の人たちの帰りを待ち望んでいた人たちが居て、少し雑談をしていると、次々に討伐隊の人たちが自警団の詰所から出て来る。
抱き合って喜び合ったり、小さな子供が駆け寄って抱き上げられたり――
皆それぞれに無事に帰って来たことの喜びを表していた。
その人たちの話だと、ソフィアは自警団を率いる立場でもあるから、少し遅くなるらしい。
それでも良い、実亜も此処で出迎えようと思った。
「ミアさん、これ、言ってたティーク」
アルナも待ち人に会えたらしく、実亜のところに連れて来て、そんな紹介をする。
「これってなんなの?」
ティークは疑問気にしながらも、実亜に「はじめまして、お話は伺ってます」と言っていた。
「幼なじみで、大事な人なんです」
続けてのアルナの紹介に、ティークは「大事って……」と照れている。
「ご無事で良かったです」
実亜は「アルナさんと一緒に心配してたんですよ」と付け足していた。
「心配してくれたの?」
ティークはまた照れて、アルナを見ている。
「そうだよ? また怪我してないかなとか」
「もう大丈夫だよ」
「……だね。おかえり」
二人の微笑ましいやり取りが、実亜を少し温かい気持ちにさせてくれていた。
「ミア、待っていてくれたのか」
アルナたちも帰って、もうしばらく待っていたら、ようやくソフィアが出て来た。
実亜をすぐに見付けて、ソフィアは笑顔を向けてくれる。
少しだけ疲れているような――魔物と戦ったのだしそれはそうなるだろう。
「あ、ソフィアさん……はい。その、ご無事で良かったです。おかえりなさい」
「心配をかけた――っと、いけない。また撫でそうに……」
またソフィアの手が宙を少し泳いでいた。
どうして撫でたくなるんだ? とソフィアは呟く。
「……とりあえず、帰ろうか。出迎えありがとう」
ソフィアはリューンを連れて来て、実亜を乗せる。
そして、二人乗りで、ゆっくりと家路に着いていた。
ソフィアの体温が、実亜に届く。
手綱を持っているので、ソフィアの手は実亜を抱きかかえるようになっている。
たった数日しか離れてないけど、この温度を、この温もりを、実亜は待っていた――心から。




