番外編(アステリアとクロエ・8)
(1)
「やあ、クロエ。誕生日おめでとう。夜は皆でご馳走だけど、その前に」
クロエの十六歳の誕生日は、自分の好きに過ごせる一日だった。
いつもより少し遅めに起きたクロエが使用人たちの食堂で朝食を食べていると、料理長が「おまけだよ」と、クロエに焼き立てのお菓子を渡してくれる。
「ありがとうございます」
クロエの誕生日は、朝からクレリー家の屋敷で働く皆が、クロエを見るたびに祝福の言葉や贈り物を渡してくれていた。故郷の村でも祝福や贈り物をしてくれていたけど、同じくらい皆が温かくて、優しい。
故郷の村がまだ少し恋しいこともあるけれど、このクレリー家はもう一つの自分の故郷と呼んでも良い居場所なのかもしれない、なんてクロエは思う。
「クロエ! お誕生日おめでとう!」
廊下を誰かが走ってくる音がして、食堂の扉が開くとアステリアが飛び込んで来た。
「アステリア様、使用人の食堂に勝手に入ってきてはいけません」
料理長が「私たちにも立場を忘れる個人の空間が大切なのですよ」と、走って食堂に入ってきたアステリアを諌めている。走ってきたこともついでに叱られている。
クレリー家の人たちは変に気取らないし、使用人にも分け隔てなく接する人たちだから大きな問題ではないのだけど、まだ子供のアステリアには、個人の時間やその人の余暇の楽しみには様々なものがあるから邪魔をしてはいけないということを皆で厳しめに教えているのだ。
「はあい。クロエのお誕生日をお祝いしたかったの」
少し拗ねているアステリアに料理長は「そのお気持ちは承知しておりますよ」と、優しい。それとこれとは別ということだからと。
「アステリア様、お祝いをありがとうございます。あとでお時間がございましたら、私と遊んでください」
クロエは叱られて少し静かになっているアステリアの傍に行って礼を言う。そして、いつもとは逆に、少し冗談混じりのお願いをしていた。
いつもはアステリアに「遊んで」と言われることが多いけど、今日は少し特別だから、冗談と我儘を言ってみたのだ。
「わかった! それじゃあ、今日はお勉強はお休み――」
「アステリア様、お勉強はなさってください」
張り切るアステリアに、クロエは笑顔で返す。料理長の言う通り、それとこれとは別なのだから。
「はあい……」
アステリアは「みんな厳しいの」と、呟きながら食堂を出て行った。
(2)
「ルーディー、おはよう。今日はルーディーにもあとでご馳走――」
誕生日は丸一日休みをもらえるので、クロエは自分の大事な愛馬の手入れをしていた。櫛をかけて毛並みを整えて――ルーディーは鼻を鳴らして気持ち良さそうにしている。
村から出てくる時に一緒にやって来た馬のルーディーは、今では馬たちの小さな群れの長になっていた。名馬の特徴を持っていると言われているけれど、そういった面で発揮されているのだろうか。
屋敷の人たちにも可愛がられているし、ルーディーが居なかったら自分は屋敷の人たちと馴染むのにも時間がかかっていたかもしれないなとクロエは思う。
自分は、村の人たちから本当に大切な宝物を預けてもらえている。だから、毎日頑張ろうと思えるし、早く立派になって期待に応えたくもある。
立派になるには、まだ道程は遠いのだけど。
「居てくれてありがとう、ルーディー」
クロエは沢山の想いを込めて、丁寧にルーディーの手入れを続けていた。
クロエが屋敷の自分の部屋に戻ると、部屋の前に贈り物が何個か積まれていた。クロエはありがたく、その贈り物を部屋に持って入る。
朝からもらった贈り物と合わせて、三十個くらいはある。本に筆記具、小腹が空いた時に食べるお菓子に、これから寒くなる季節なので大きめの膝掛けもあった。
「お手紙も付いてる……」
贈り物のほとんどに短い手紙も付いていて、クロエは一通一通を丁寧に読む。誕生日を祝う言葉と、健康を願う言葉と――時々「アステリア様のお世話はお互い大変ね」という仲間の言葉もあったりして、楽しかった。
クロエの誕生日の一日は、そんな風に過ぎていた。
(3)
「アステリア様が?」
ご馳走が沢山の夕食を終えたクロエは、執事長からアステリアが熱を出したということを知らされていた。
誕生日に水を差すようで申し訳ないけど、アステリアの一番の理解者であるクロエにはとりあえず知らせておきたかったらしい。
理解者ではないつもりだけど、アステリアは何かあるとクロエに一番先に教えてくれたりするから、理解者――なのだろうか。
「お医者様は、はしゃぎ過ぎたせいだって言ってたから大丈夫。一晩大人しく眠れば良くなるって」
小さい子によくある熱――執事長はクロエを安心させるように笑っていた。
「……アステリア様は大人しく眠りそうにないです」
「そう。静かに寝てくれたらいいんだけど……」
クロエの言葉に、執事長が苦笑いで答えていた。アステリアは基本的に言うことを聞いてくれる人だけど、一度これだと決めたアステリアを大人しくさせるのは難しいのだ。
「クロエ……」
アステリアが寝間着姿でクロエたちの居る食堂にやって来た。
「言ってるそばから……アステリア様、お部屋にお戻りください」
クロエはとりあえずアステリアの額と首筋に手を当てて、熱を確認していた。少し高め――だけど、これから熱が上がりそうな感じの熱さではない。
「でも……」
「駄目です。お部屋でお眠りください」
「クロエが居なきゃやだ」
拗ねた表情のアステリアはいつもよりも子供に見える。十一歳はまだ子供だけど、それよりもっと。
「アステリア様、今日のクロエはお休みをいただいてますから、我儘を言わないでください」
執事長が沸かし冷ましのお茶をアステリアに飲ませて「お部屋に帰りましょう」と、アステリアの手を引く。
「でも、お誕生日なのに、私、クロエに何もしてない」
アステリアは執事長の手を振り払って、久々に凄く我儘なアステリアになっていた。熱のせいもあるのだろう。
「私にはそのお気持ちだけで嬉しいです。お部屋までならお送りしますから」
クロエは手を差し出して、アステリアを促す。
「……はあい」
アステリアはクロエの手を握って、少し申し訳なさそうな顔だ。
だけど、ここで素直になるのだな――クロエはアステリアの手を引いて、アステリアの部屋に向かっていた。
「じゃあ、お休みしてください」
アステリアの部屋の前で、クロエはアステリアと手を離す。アステリアがまだ少し複雑な顔で、クロエの服の裾を掴み直していた。
「……アステリア様?」
クロエは少し話をする姿勢になっていた。熱のせいもあるだろうし、アステリアの手からは何処か心細さを感じていたから。
「あのね? 今日はね? 私、お勉強が終わってから、クロエにお花を贈ろうと思ってたの」
アステリアはクロエを見つめて、今にも泣きそうに目を潤ませている。
「はい」
「でも、今咲いてるお花は、まだ一人で行っちゃ駄目な遠いお庭にしかないの」
だから、何も贈り物が出来ない――アステリアは小さな涙の粒を一つ溢していた。
「アステリア様――私はそのお気持ちだけで嬉しいです」
贈り物はなくても、それだけ大事に想ってくれるだけで――クロエはアステリアの涙を拭いて、部屋にアステリアを連れて入る。
それに、アステリアは自分のおこづかいからクロエの舞踏会用の服を仕立てる費用の一部を出してくれているのだし、何もないわけでもない。
「……お花がなくてもいい?」
アステリアはそう訊きながら素直に寝床に入っている。
「はい。お花がなくても、お祝いをしてくださるだけで嬉しいです」
「……わかった。じゃあ、お誕生日おめでとうございます。あと、クロエと遊べなくてごめんなさい」
約束したのに――アステリアがクロエの手を握って、小さく呟いていた。
「お祝いをありがとうございます。アステリア様が元気で居てくださることのほうが大事ですから、遊ぶのはまた今度にしましょうか」
クロエはアステリアの手を握り返して、アステリアを寝かしつける。
「はあい。クロエ、好き」
「私も、アステリア様が好きですよ。眠るまで居ますから、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
アステリアはそう言うと、クロエの手を離すことなく、眠りに落ちていた。
クロエは自分の手の中にあるアステリアの温度に、何よりも大切なものを感じていた。




