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クレリー家の財産

(106)

「ミア、最近予定も詰まっていたし、疲れは出ていないか?」

 風呂上がりの実亜を、ソフィアがベッドに寝かしつけてそんな風に優しく気遣ってくれていた。

 今日の一日も凄く穏やかで楽しくて――実亜はそんな気分で眠れる幸せを感じる。

「はい、大丈夫です。ソフィアさんはお疲れじゃないですか?」

「ふむ、疲れはないが、そういえば帰省してから丸一日の休みを取っていないような気もする」

 結婚式の諸々に、家の事業のこともあるし――ソフィアはそう言いながら、今もベッド横の机で本を読んで気になるところをノートに書き留めている。

 野菜や果物の皮を発酵させる新しい肥料の作り方が書かれた本らしく、一年を通して帝都より気温の低いリスフォールでも応用出来るところを探していると言う。

「ご無理のない範囲で、お休みしてくださいね?」

 これだと少し口うるさい伴侶みたいになってしまうなと思いながら、それでも実亜はソフィアを心配していた。ソフィアが実亜のことを大事に心配してくれるのと同じように、自分もソフィアを心配したいのだ。

 自己満足かもしれないし、余計なお世話かもしれないけど、大事な人だから、そうしたい。

「ありがとう。そうだな、明日と明後日は休ませてもらおう。ミアに案内したいところがあるんだ」

「クレリー家の敷地内ですか?」

 敷地内を案内するというのもなかなか不思議だけど、クレリー家はソフィアたちが暮らすメインの屋敷だけでも一日くらい観光が出来るくらい広いし、敷地内にはクレリー家の畑や農場があって、そこで働く人たちの家も沢山あるし――それなら、確かに案内だと実亜は思う。

「ああ、私の秘密の場所なんだ。素敵な場所だぞ?」

「ワクワクして待ってます」

「む、新しい言葉だな? ワクワク……泉が湧くように何かが溢れ出す……?」

 今までのミアの言葉を考えると、そうなるだろう? と、ソフィアは本を閉じて、楽しそうにベッドに入って来た。

「大体当たりです。好奇心とか期待とか、楽しみな気持ちが湧いた時に、ワクワクするって言ったりします」

「成程、未来の希望に満ちた言葉なのだな」

 私もワクワクしよう――ソフィアが楽しそうに笑って答えてくれる。

「あっ、その考え方凄く素敵です」

 今日一日をなんとか生きるのに大変な時は、未来に希望がある気分にもなれなかったし何も見えなくて苦しかったけど、今は未来の希望が見える。

 きっと、沢山の優しい人に巡り逢えたからで、凄く嬉しいと思うのだ。

「ふふっ、光栄だ。ワクワクでぐっすりすればいい」

 ソフィアは薄手の羽根布団を肩までかけてくれて、実亜の身体を軽く抱きしめてくれていた。

 明日への希望を胸に眠れる日々は、とても穏やかで――


「リューン、リーファス、ぐっすりしたか? そうか。元気でいいことだ」

 翌朝――朝食を済ませて、実亜とソフィアは厩舎で馬たちのご機嫌を伺いながら、(くら)やハミなどの馬具をセッティングしていた。

 二頭ともゆっくり休んで飼葉もおやつもよく食べて、水もしっかり飲んでいるから元気で迎えてくれるし、ソフィアは相変わらず馬と会話が出来ているみたいで楽しい。

「リーファス、おはよう。今日もよろしくね」

 実亜もソフィアを見習って、リーファスとの会話を試みる。リーファスは人間の言葉は返してくれないけれど、軽く鼻を鳴らしてから実亜のほうに顔を擦り寄せて、撫でてほしいみたいな仕草をしていた。

 実亜はリーファスの鼻筋と首を軽く撫でてコミュニケーションを取る。まだまだ細かなところまではわからないけど、なんとなく、馬の言葉がわかってきたかもしれない――

「ソフィア様、ミア様、お昼のお食事です」

 馬たちの身支度が調った辺りで、クロエが小さなランチボックスのようなものを持って来てくれた。敷地内を移動するのにランチボックス――つまり、弁当が必要になるのは普通なのだろうか。実亜にはまだその感覚は馴染まないのだけど、ちょっと面白くも思う。

「ありがとう。帰りは夕暮れくらいになる。ミア、行こうか」

 ソフィアはクロエに軽く挨拶をして、リューンを歩かせ始める。

「はい。クロエさん、お弁当ありがとうございます――行ってきます」

 実亜もソフィアに続いて、クロエに見送られながらリーファスに合図をする。リーファスは軽い足取りで楽しそうに歩き始めていた。

「行ってらっしゃいませ――オベントウ?」

 初めて聞いた言葉です――クロエがそう言って不思議そうに実亜を見送っている。

「持ち運べるお昼ご飯のことですー!」

 実亜は馬上で少し振り返りながら、遠くなるクロエに大きな声で返事をしていた。馬は案外歩くスピードが速いのだ。

「あとで詳しく教えてくださーい!」

「はーい!」

 実亜はクロエに返事をして、ソフィアと二人で過ごす休日の始まりだった。


「ミア、この小川を辿るんだ」

 馬で少し歩いていると、小高い丘へと続くように木々が立ち並ぶ場所が現れた。柵で囲まれた大きな池もあって、丘のほうからその池に流れ込む川――ソフィアは小川と言っているけど、まあまあの川のようにも思える。

「お家の敷地内に川が流れてるんですね」

 家の敷地に丘と池と川がある時点で、不思議――実亜は小川の隣に続いている小径(こみち)をソフィアと馬で歩いていた。

「ふむ、ミアの国の貴族はどんな家に住んでいるのだ?」

「貴族自体は私の国にはもう居ないんですけど、豪邸だと庭に池とか、お城とかだと周囲に堀があります。でも、多分、川は流れてないと思います」

 近いものだと地域の用水路とかになるのかもしれません――実亜は故郷の景色を思い出しながらソフィアに答える。

 海外ならゴルフコース付きの大豪邸もあると聞いたことがあるけれど、実際に見たことはないし謎の中だ。それにしても、維持費がかかりそうだなという感想しか出てこないのは、貧乏性というものなのだろうかと実亜は思う。

「成程、城の周りを堀で囲むのは戦略としてはよくある方法だな。用水路も生活には必要なものだし、その辺りは何処の国も似たようなものになるのだな」

 世界は広いものだ――ソフィアは楽しそうに実亜の話を聞いて、頷いているのだった。


 木々が立ち並ぶ丘はなだらかで、あまり人や馬は来ないみたいだけど、小川沿いには歩けるように小径がしっかりと整備されている。

 休憩するための小屋――と言っても、実亜の感覚ではそれなりの一軒家――もあるし、なんとなく、おとぎ話の妖精みたいな人が出て来そうな場所だった。

「ミア、見せたかったのは此処だ」

 小川を辿った先の少し(ひら)けた場所でソフィアがリューンを止めて、降りていた。実亜も続いてリーファスから降りる。

「池ですか? 凄く綺麗な場所ですね」

 木と、人為的に組まれたような大きな石で囲まれた、少し窪んだ場所に小さな池――水は澄んでいて、水底が見えるくらいだ。

湧水(ゆうすい)の泉だ。此処から水が湧き、クレリー家の人たちや畑を潤してくれる――言わば、クレリー家を支える泉でもある」

 今は生活用の水道も整備されているけれど、それがない昔はこの泉から湧き出る水が貴重な存在だったとソフィアは言う。

「えっと、此処から、さっき辿って来た川を流れて、あの大きな池になるんですね」

 そして、そこに流れる水はクレリー家やそこで働く人たちを支えていて、現在の状況がある。ある意味で、現在進行形の歴史の一部でもあって、だけど最初はこの小さな泉から――実亜は湧き出る水が揺蕩(たゆた)っている水面を見ていた。

「ああ、クレリー家の大事な財産でもあり、始まりの泉でもある。ミアに見てもらいたかったんだ」

 ただ、それだけだ――ソフィアは泉に軽く手を浸して、水を掬い上げている。透明な水はすぐに手から溢れ落ちて、泉の水面を揺らす。

「はい、大事で素敵な場所をありがとうございます」

 クレリー家には、きっと財産と呼ばれるものは沢山あるだろう。だけど、この湧き水が始まりで、ソフィアたちはそれを大事にしている。

 目立つだけの財産を追い求めるのではなくて――勿論、それも大事なのだろうけど――もっと真ん中のところにある、揺らがない芯のようなものを教えてもらえたことが、実亜には凄く嬉しかった。

「あの、飲んでみても大丈夫ですか?」

 実亜も泉に手を浸して、思ったより冷たい温度を確かめる。

「ふふっ、ミアは水にも健啖なのだな」

 好きに飲んでくれ――ソフィアはそう言ってから、手で水を掬ってそのまま少し飲んでいた。

「私の居た国はお水が豊富で、味比べが出来る人もいらっしゃるんですよ」

 実亜も同じ仕草で泉の水を飲む。なんとなく、少し味があるような――ミネラル分が多い硬水みたいな味だ。

「水を味比べするのか。それは面白い」

 言われてみれば味があるような気もするが――ソフィアは水の味を確かめている。

「このお水は、お肉を煮込むと美味しそうです」

「ふむ……ミアも味比べが出来る人なのか……成程」

 流石、健啖家だな――ソフィアは不思議な納得をしてくれていた。

ソフィアさん、前の日にちょっとネタバレしてる気がします。


前回投稿分への誤字報告ありがとうございました。

反映させております。

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