実亜の心配と「ありがとう」
(11)
「魔物の討伐作戦……ですか?」
数日を穏やかに過ごして、ある日の朝――ソフィアがいつもの騎士服の上に鎧を着けていた。
しっかりとした金属で出来た鎧は、凄く固いけど軽い。何の金属なのか実亜にはわからない。
数日の間に寝物語でソフィアから聞いていたのは、この街は良質な金属が採れるということ。だからこそ、帝国のわりと重要な街で、雪は少し不便だけど此処を大事にしているらしい。
「そうだ。もうすぐ雪が降り積もる。雪が積もっている時期は魔物は息を潜めるが、その前後は活発に動き出す。そこで、常駐している騎士団と自警団で街周辺の魔物討伐に出向く」
ミアを発見したのも、その偵察任務の時だったとソフィアは言う。
「危なくないんですか?」
実亜は革手袋をして、少し引き締まった顔をしているソフィアに訊く。
少し緊張して、凜々しい姿――実亜は初めてソフィアのそんな表情を見た。
此処に来てから一週間くらいの初めてだけど。
「ふむ、危険という面ではどんな時でも危険だな。だが、こちらには色々な戦法がある」
ソフィアは少し困った表情をしてから、実亜に優しく笑いかけている。
「その……ご無事で……ご武運を――」
こんな言葉、ドラマくらいでしか聞いたことがないけど、実亜は口にしていた。
「ありがとう――そう心配そうな顔をするな。大丈夫だ。数日家を空けるが、弟子の友人にミアの様子を見てもらうよう頼んでいる。優しい子だからなんでも言えば良い」
ソフィアはまた実亜の頭を撫でかけて、途中で止まっていた。
何故かソフィアは実亜を撫でたくなるらしい。
此処には二人だけなのだから、撫でても別に失礼だとかはないのに――実亜は思っていた。
「はい。待ってます」
実亜はソフィアを笑顔で送り出していた。
凄く心配だけど、あまりそれを言ってはソフィアを困らせるから。
「――こんにちは。ミアさん。ソフィアさんから頼まれて来ました」
ソフィアがリューンに乗って家を出てからしばらく――時間は大体昼食の時間だった。
実亜が適当に昼食を作ろうと思っていたら、明るい栗毛色の髪の、可愛い女の子が大きな鞄を手にやって来たのだ。
「あ、はじめまして。えっと。実亜です。結城実亜です。あれ、実亜・結城?」
こちらでは自分の名前から名乗るのが一般的だから、自己紹介となると少し戸惑う。
実亜は慌ててこちらの名乗り方に合わせていた。
「大丈夫、ソフィアさんから聞いてます。アルナ・ビリアンです。よろしくお願いします」
アルナは笑顔で少し膝を曲げて、お辞儀のような仕草をする。
ソフィアは弟子の友人と言っていたから、アルナはその人と同じ十八歳くらいだろうか。
凄く可愛らしくて、活発そうな女の子だった。
「こちらこそ。お世話になります」
「んー、でも、ご飯はもうご自分で?」
アルナはキッチンの実亜が準備していた材料を見る。
燕麦と、干し肉の欠片と、残りの野菜で雑炊みたいなものを作ろうと思っていたのだけど。
「はい。シェールの使い方も教えてもらってます。あとは大体の食べ物の場所とかも」
実亜がガスコンロだと思っていたものは、こちらでは「シェール」と言う。
別名、燃える氷と呼ばれる固形燃料みたいなものだった。
コンロから家の外に繋がるタンクに週一回くらいで補充して、溶け出る気体を燃料にする。この辺りはガスと同じで良く似ている。
実亜は昨日の夜にソフィアに教えてもらいながらその補充を見ていた。
補充もしたから、これで十日くらいは大丈夫だとソフィアも言っていたし。
「じゃあ、安心ですね。何か困ってることとか、心配なこととか」
でもその前に、ご飯一緒に食べましょう――
アルナは実亜が作りたかったものを聞いて、一緒に作ると言ってくれる。
大きな鞄から、自分の分の干し肉とかも取り出して。
「えっと、特には……心配……ソフィアさんが心配です。でも、いつものことなんですか?」
魔物が居る世界――実亜は経験したことがない。魔物みたいな人は沢山見てきたけど。
リスフォールでは普通にあることだと言われても、いまいち正体が掴めない恐怖があるのだ。
「……私も、大事な人が自警団で、ソフィアさんと一緒に討伐に行ってるんですけど心配です。毎年のことですけど、ティークは初めて討伐に行くし、やっぱり心配ですよ」
アルナが口にしたティークという人が、ソフィアの弟子だろうか。
友人で、大事な人――それはアルナのほうが実亜よりもっと心配だろうなと思う。
「ですよね? 私だけじゃなかったですね。ごめんなさい……皆が大変なのに」
自分のことばかり考えていた――実亜は反省と共に、アルナに「大丈夫ですよ」と言った。
アルナも笑顔で「そうですよ。大丈夫」と応える。
何にも保証はないけれど、似たような心配を持った二人だから、少し通じ合えたのかも――
「……ミアさん、ご飯食べたらちょっと街に出てみません?」
そう言いながら、アルナは手早く燕麦と干し肉を茹でて、野菜を細かく切っている。
「え、でも。良いんですか?」
「ずっと家の中だったら気分に雪が積もって凍っちゃいますよ。雪かきしないと、ね?」
アルナは不思議な例え方で実亜を励ましてくれていた。
「こっちはまだ来たことなかったです」
実亜は昼食を済ませて、アルナと街の商店街に来ていた。
いつも――と言ってもここ数日のこと――ソフィアと来る時は、表通りがほとんどだったけど、少し路地を入ると甘い砂糖の焼ける香りが漂っている。
「あー、ソフィアさんお菓子あんまり食べないからかな?」
甘いものは好きなはずなんだけど――アルナは路地を案内しながら「堅物だよね」と言う。
堅物――確かに、ソフィアを表すにはその一言も入るだろう。
いつもしっかりと騎士として自分に厳しく振る舞っていて、でも優しくて――
「お菓子のお店が多いんですか?」
「この通りは牛乳の氷菓子とか、焼き菓子のお店とか?」
「氷菓子?」
多分、アイスクリームみたいなものだとは思うけど、実亜には初耳だ。
かき氷みたいなものかもしれない。
「食べます? うちのお店あそこです」
アルナは実亜の手を引いて、人通りの多い路地を進んで行く。
「お店を経営してるんですか?」
「両親がです。私はお手伝いばかりですよ」
アルナが店員に話しかけると「どうも、お嬢さん」と笑顔が返ってくる。
しばらく話していたかと思うと、アルナが見るからにソフトクリームを二つ手にしていた。
「はい、どうぞ」
そのうちの一つを実亜に渡してくれる。
どう見ても、実亜の知るソフトクリームだ。コーンじゃなくて固いワッフルに入っているけど元々はこういうのがソフトクリームのコーンだったと聞いたこともあるから、元祖みたいな。
「ありがとうございます。いただきます。あ、お金……」
実亜はワンピースのポケットを探る。ソフィアから万が一にと、数十枚の銀貨を受け取っていたのだ。銀貨一枚で食事一回は食べられるから――と。
「良いですよ、ソフィアさんにツケておきます。食べてください――どうですか?」
言われるまま、実亜は一口氷菓子を食べる。濃厚な甘いソフトクリームの味がした。
ソフトクリーム――正確には氷菓子――こんなに美味しいものだったのかと思うくらい。
「甘くて冷たくて美味しい。毎日でも食べたいです」
「やった。うちのお店、実亜さんの国でも繁盛するかも?」
アルナも嬉しそうに氷菓子を食べている。
「濃厚だけど優しい味ですし、良いかも」
アイスクリームの類いは冬でも食べたくなるし、この味なら勝負出来ると実亜は思う。
「でしょ? これがうちの自慢なんですよ」
気に入ったらいつでも来てくれたら良いとアルナが笑っていた。
代金は全部ソフィアさんに請求するから――と、冗談交じりで。
「はい……ありがとうございます」
冷たくて甘い氷菓子を食べながら、実亜は礼を言っていた。
「どうしたんですか、遠慮しなくて良いですよ?」
「なんか、此処に来てから優しい人たちばっかりで嬉しくて。ソフィアさんなんて、多分忙しいのに私が安心出来るようにって、毎晩この街のこととか沢山お話ししてくれたり」
あれ、これでは何か惚気みたいになっているではないか――実亜は話しながら思った。
別にそういう関係とかじゃない。
だけど、成り行きとは言え、ソフィアは「貴女を守る騎士になろう」と誓ってくれた。
それが、今の実亜には凄く嬉しくて、出来ればもっと一緒に居たいと思ったのだ。
だから、大変な任務に向かったソフィアが凄く心配なのかもしれない。
もっと一緒に居たい――もっと近くで。
ずっとソフィアの近くで――実亜には覚えのない不思議な感覚だった。
もしかしたら、これが恋だとか、親愛だとか、そういうものなのだろうか。
「じゃあ、ソフィアさんにはもっと沢山『ありがとう』って言わないとですね」
アルナは黙り込んだ実亜の様子をジッと見てから、そんな風に笑っている。
「はい。帰って来たら沢山言います」
ほんの少しだけど、頼れる人と離れて――しかも危険な任務をしている。
だからこそ、お礼だとかは言える時に言わないといけない。
単純なこと、だけど、忘れてしまいそうなこと。
ありがとう――素直に言ってただろうか。実亜は反省をしていた。
「大丈夫です。ソフィアさんは騎士様だから強いし、自警団もそこそこ強いし。大丈夫」
帰って来たら私の大事な人を紹介します――アルナもそんな約束をしてくれる。
「はい。ありがとうございます」
実亜は素直に礼を言って、氷菓子の甘さを味わっていた。
あの……死亡フラグみたいになってますがフラグは立ちませんのでご安心を。
燃える氷を「シェール」ってしましたけどメタンハイドレートですよね。
(言葉の響きがメタンとかハイドレートとかだったらちょっとピンと来なかったのでシェールにしました)




