回復力
(100)
「ミア、今日は朝から大変だっただろうし、特に疲れてはいないか?」
父親のアイルマーとの剣の修練から部屋に帰ってきたソフィアが、優しく訊いてくれていた。
今日の実亜は朝から地震に洗濯――途中でクロエとお喋りしながらの洗濯で楽しかったし、午後からはばあやと地震への対策をマニュアルにする会議のようなものをして、もうすぐで夕食の時間だった。ばあやとの会議も凄く充実したものだったし、万が一の役に立てるかもしれない充実感も残っている。
「はい、大丈夫みたいです」
昨日のこともあるからソフィアも心配なのだろうけど、無理な仕事はなかったし疲れもない。遅れて出て来そうな旅の疲れも、この数日を考えるともう大丈夫だろうと実亜は確信していた。
前の世界では月に百時間オーバーの残業を一年近くこなせてたのだし、落ち着いて考えたら案外タフだったのかも――なんて。
「そうか、無理なようならこちらに気を使わず、いつでも休んでくれ。結婚式前の――いや、いつでも大事なミアだからな」
ソフィアは凄く素敵な嬉しい言葉を、当たり前のようにサラッと言ってくれている。
「はい、ありがとうございます。ソフィアさんはお疲れじゃないですか?」
ソフィアにとって、剣の修練は何よりも楽しいらしく、今日のソフィアは昼食を忘れるくらい熱中していたそうだ。そのその証拠に、もうすぐ夕食なのだけど、おやつのフィナンシェみたいな菓子を二つ、可愛く食べていた。
「私は久々に本気の修練が出来て、父上も相変わらず厳しい人だということがわかった。結婚式を前にして気分も少し引き締まったな」
ソフィアは本当に楽しそうに「私もまだ未熟だ」と照れ笑いをしている。親子――剣と剣で語り合えるというものだろうか。それもまた、この世界の感覚なのかもしれない。
「あ、そうだ、あの、結婚式っていつなんですか?」
結婚式には手続きやマナーなどもあるだろうし、簡素なものだとは言ってるけど、それなりの祝い事だし、準備は必要――しかし、実亜はクレリー家に来てからは花嫁衣装の試着をしたくらいだった。
「ははっ、他人事のように――ミアは面白いな。花嫁衣装の仕立ても終わったようだし、五日後を予定している」
明後日辺りからは本格的に結婚式の準備だな――ソフィアがおやつを食べ終えて、実亜の髪を軽く撫でてから着替えている。
「わりと急なんですね」
「もう何日かあとのほうがいいか?」
運動のあとだからだろうか、着替えているソフィアの身体はいつもに増して引き締まっていて綺麗――見慣れているけど、実亜はソフィアに少し見惚れていた。
「いえ、私は何も準備するものがないので、いつでも大丈夫です。ソフィアさんにお任せして甘えてばかりなのは心苦しいですけど」
私、何も持ってなかった――実亜は昔の自分を少し思い出して答えていた。
本当に、何も――あるのは着ていたスーツとポケットに入っていた財布、そして、今までの知識と記憶だ。だけど、この世界ではそれが全て役に立っている。そして、此処に来てから得た知識も経験も記憶も、とても大事な宝物になっていた。
「大変な思いをして生きてきたんだ、これくらいなら甘えてくれていい」
ソフィアは何処までも優しい。人としての器がそもそも違うのかもしれない。
「はい――ありがとうございます」
実亜は着替えを手伝いながら、そんなソフィアと巡り逢えた奇跡を嬉しく想うのだった。
「今日のソフィアさんは、かなりガッツリのお食事でしたね」
食堂での夕食を終えてソフィアの部屋まで屋敷の中を歩きながら、実亜はソフィアに笑いかけていた。ソフィアは食後の運動みたいな感じで、屋敷の中を少し案内してくれている。
家の中を歩くだけで食後の運動になる広さ――実亜も何日か過ごしているけれど、まだ少し慣れていない。
「ガッツリ……? また新しい言葉だ。そうだな、勢いよく食べることか?」
おかわりもしたし――ソフィアが楽しそうに実亜の言葉を解読してくれる。
「はい、ほとんど当たりです。勢いよく食べたり、沢山食べたりすることです」
「ふむ、確かに空腹だったから、勢いよく沢山食べていた」
ソフィアの感想では「ミアの料理も美味しいが、小さい頃から馴染んでいる料理も美味しい。凄く贅沢な悩みだ」と、いうことらしい。
いつも実亜を大事にしてくれるソフィアは、こういうところでも甘くて優しくて、実亜としては嬉しく思う。
「沢山動いたあとにお肉や魚を沢山食べると筋肉にいいそうですよ?」
今日は肉料理だったけれど、しっかりした赤身の肉で食べ応えもあったし、多分タンパク質が豊富――他には野菜のスープとか、ふわふわな焼き立てのパンもあったので、バランスもいい。
「ほう、ミアの国でもそういった習わしがあるのだな」
肉は色々と強くなれる――ソフィアは、少し得意気だ。
「はい。他にも、疲れには酢を使った料理がいいとか、お肉を食べる時は野菜も一緒に食べるとか、沢山あります」
今度、大根と人参でなますを作ってみようかなと実亜は考えていた。こちらにもキャロットラペやピクルスはあるのだけど、なんとなくもう少し甘みが欲しい時もある。
「成程、つまり修練のあとは肉と野菜をガッツリするんだな? あとは酢を使った料理――酢漬けの野菜なんかいいんじゃないか?」
ソフィアもなかなかの健啖家――食いしん坊だから、食べ物の話をする時も楽しそうだ。
「はい、付け合わせにいいです。でも、腹八分目も大事だって話もあって……」
「八分目、あまり満腹になってはいけないんだな? ルヴィックでもそういう言い伝えがあるぞ」
食後は動きも鈍るしな――ソフィアは笑って、実亜と屋敷の中を歩いているのだった。
それにしても、数日滞在していても知らない部屋が沢山あって、本気のお金持ちというか貴族はこういうものなのだなと、実亜は謎の納得をしていた。
「ソフィアさん、久々の剣の練習で、腕とか背中とか痛くないですか?」
屋敷の中を十数分歩いて、ソフィアの部屋に戻った時はもう夜もそこそこの時間だった。順番に入浴した湯上がりの身体で、実亜は寝る前のストレッチをしているソフィアに訊いていた。
今日は修練をしたから、念入りにストレッチをして身体を解していたみたいだ。
「ん? ああ、今日は重い剣を使ったから、肩の辺りに少しだけ張りがあるな」
とはいえ、軽くだが――ソフィアは笑顔で利き腕を軽く回して伸ばしている。
「じゃあ、少しマッサージさせてください」
実亜は両手を広げて、ソフィアに迫っていた。
「どうしたんだ、そんなに気を使わなくてもいいんだぞ?」
「なんか、ソフィアさんが私を大事にしてくださるのと同じくらい、私も大事な人を大事にしたいんです」
理由らしい理由はそれだけです――実亜はソフィアの右手を軽く握る。
「ミア――ありがとう。それなら喜んでお言葉に甘えよう」
ソフィアは実亜の肩に触れて、そっと柔くマッサージを始めていた。
「あ、あの……逆です」
実亜はソフィアに返事をしながら、大人しくマッサージを受ける。
「……マッサージというものは互いにはしないのか?」
ソフィアは優しい手で実亜の首筋や肩をマッサージして、こりを解してくれている。自分では肩こりとかを自覚していなかったけど、マッサージされると、わりとこっている。
「するのかな……同時にはしないと思いますよ」
実亜は改めてソフィアの肩をホールドして、反撃のマッサージを始めていた。
ソフィアの筋肉もそこそこにこっていて、マッサージの手応えがある。
「そうか、奥深いものだな……ああ、その首筋の後ろの辺り、何と言うか心地いい」
気のせいか目の辺りも清々しくなった気分だ――ソフィアが可愛く瞬きをしていた。
「ツボって言って、此処を揉むと目の疲れと肩こりに効くって言われてるんです」
「ふむ、肩を揉んでいるのに目に効くとは――不思議なものだ。ああ、そこも心地いい」
ソフィアはしばらく実亜に身体を委ねてくれていた。
そして、実亜はあとでたっぷりソフィアに甘い反撃の反撃をされていたのだった。
甘い反撃。(意味深)




