番外編(アステリアとクロエ・5)
(1)
「周囲にアステリア様に近い年齢の人が少ないですから、親しみがあるのでしょうね」
すぐ上のお姉様は今年から帝都の寄宿舎に入っていますし――ばあやが夕食を食べながらクロエの相談に乗ってくれていた。
クロエがクレリー家に来てから二十日が過ぎても、アステリアはまだ話を聞きたいらしく、毎晩一緒に眠っている。クロエとしては眠る時も気を使うから、たまには一人で眠りたいということをばあやに相談していたのだ。
「はい……でも、話すことももうないですし、落ち着いて眠れなくて……」
大事な馬の話も沢山したし、村の祭りや楽しい人たちの話もしてしまったし――クロエは村で食べたことのない牛の肉を丁寧に焼いた料理を食べていた。頻繁に食べる鶏肉や、時々食べる豚肉とは違って、赤身で香辛料も効いていて、凄く美味しい。
クレリー家の食事は家人も使用人も同じ献立を食べる。伝え聞いていた使用人の生活は、もう少し食事などに差があったりするらしいのだけど、ここでは食べる時間以外は同じ――とてもいい雇用主だと思う。
「そうですね――ばあやからも強く注意をしておきます」
長命族のばあやはクレリー家の躾や歴史などを教えることもある人だから、執事長や使用人よりも権限は強い。クレリー家の当主であるアイルマーでさえ、それこそ生まれる前からクレリー家を知っているばあやには敵わないことが沢山あるのだ。
「ありがとうございます」
クロエはこれでやっと静かに眠れると喜んでいた。
使用人の食事の時間は少し遅めで、家で働いている人たちが集まって食べることになっていて、食卓では沢山の今日の出来事が飛び交って、情報交換や相談の場でもあった。
(2)
「クロエ……私のこと嫌い?」
夕食が済んで眠る前に、アステリアがまたクロエの部屋に来ていた。ばあやに注意されたらしく、今日はもう流石に枕を持って来ていないけれど、アステリアはご機嫌斜めだ。今にも泣きそうな顔をしている。
「アステリア様、どうなさったんですか」
クロエは部屋の扉の前でアステリアに返事をしていた。嫌いだなんて一言も言ってないけど、今まで二十日ほど一緒に寝ていたのを拒否すれば、嫌われたかもしれないと思うのも当然かもしれない。
「一緒に寝てくれないの……嫌いだから」
「嫌いだからじゃありません。アステリア様も、私も、一人で眠れないと困るでしょう?」
クロエもアステリアもまだ十八歳の成人ではないから、一緒の寝床で眠っても問題はないのだけど、一般的には子供であっても家族でもない限り、同じ寝床で眠ることはあまりない。
成人になればなったで、今度は一緒に眠るのは恋人か伴侶に限られるものなのだ。
「でも……」
まだ少し不満そうにアステリアが拗ねていた。
「アステリア様、このまま――大人になっても私と一緒に寝るつもりですか?」
出来ませんよね? クロエは少し強めにアステリアに言い聞かせる。
「……はあい。明日は一緒に寝ていい?」
「駄目です」
アステリアはまだ少しわかってくれていない。まだ十一歳だし、村に居る幼なじみの年下の子たちを考えれば、そういうものかなとクロエも思うのだけど。
「じゃあ、明後日」
アステリアがクロエの服を掴んで――これでは初日にしたやり取りと同じだ。ここで引き下がってしまっては、また自分の睡眠と一人の時間が危うくなる。
「駄目です! これからはお一人で、ご自分の部屋でお休みください!」
クロエは少し語気を強めて、アステリアに返していた。やっと気を使わずに眠れる夜がやって来たのに、それを逃せなかったのだ。
「……クロエ、嫌い! お母様に怒ってもらうから!」
アステリアがそんな言葉を言い残して、走って去って行った。
「アステリア様?」
クロエの呼び止める声もアステリアには届かなかった。
「ああ、やってしまった……」
雇用主の機嫌を損ねるなんて、大失敗ではないか――クロエは一人、静かになった寝床に入る。
きっと、明日になれば、クレリー家から追い出されるだろう。村への援助ももうおしまいだ。静かに落ち着いて眠れると思っていたのに、クロエはその心配でほとんど眠れなかった。
それに、アステリアの居ない寝床も凄く寂しくて――
(3)
「申し訳ありません……私は追い出されても構いませんので、どうか村は見捨てないでください」
翌日、朝食を終えたクロエはローナに呼び出されていた。アステリアはあれからローナの部屋に行って、一晩中泣いていたらしい。
クロエの初めての失敗は大失敗で大失態――もう少し上手くアステリアを宥めるとか、アステリアの機嫌を損ねないような理由を付けて誤魔化すことも出来たはずなのに、昨夜は出来なかった。
「クロエ、安心なさい。あなたを追い出すなんてことはしませんし、あなたの大事な故郷への支援の予定は何も変わりません」
ローナは自分でお茶を用意して、クロエに差し出してくれたけど、クロエは緊張と不安でとても飲む気にはなれなかった。
「……あ、ありがとうございます!」
とりあえず、村にまでは自分の失敗は影響しなかった。クロエはそれだけでも安心する。それに、追い出されなかったのも一安心――クレリー家を追い出されても、ここは帝都だから村よりは仕事に就ける可能性は高いのだけど。
「お礼を言うのはこちらよ、クロエ。あとは、私もアステリアも謝らなくてはならないわ」
ローナがお菓子を勧めてくれる。「今朝は朝食をあまり食べてなかったとばあやから聞きました」と。
「え……そんな、どうしてですか?」
クロエは差し出されたお菓子を一つ手にして口にする。口の中で溶けるように広がる甘さが、少し心に染みていた。
「アステリアは大人に囲まれて育っているから、なんでも我儘を聞いてもらえると思ってるの」
「……はい」
「皆、アステリアの我儘を上手く宥め賺したり、誤魔化したり――大事にしてもらえてありがたいけど、あの子のためには良くないことです」
私やばあやは厳しめにしているけれど、それでも甘いと思うのよ――ローナが「ごめんなさい」と謝っている。
「失礼ですけど、私としては、ローナ様も、アステリア様も悪くはないと思います……」
クロエの返事に、ローナが優しく笑う。
「だけどね、甘い人たちの中で、あなたは本気で正面からぶつかってくれた」
ローナは自分もお菓子を食べて、話を続けている。
「その、クレリー家の皆様のご命令を聞かず、申し訳なく思っています……」
「いいえ、アステリアと対等に向き合ってくれる人が出来たんですもの、喜ばしいことよ」
今までのクレリー家にはあまり居なかった人だとローナは言う。
「でも……」
そんな生意気な使用人は、公爵家にはふさわしくないのに――クロエは思う。執事とはいえ、使用人の立場で雇用主に物申したりするのはあまり歓迎されないことだ。
「クロエ、あなたが村を背負っているように、アステリアにも背負っているものがあるの」
重さや大切さは比べられるものではないけど――ローナは静かにお茶を飲んでいる。
「はい……」
この広大な公爵家や関わる様々な事業、そして、そこに関わる人たちの生活への責任――二十日程度しか過ごしていないクロエにも、その責任を背負う大変さはわかる。
自分も、少なからず村の人たちの期待と村の発展を担う立場だから。
「望んで持ったのか、持たされたのか、どちらにしても簡単には投げ出せない重荷ね」
「……」
ローナの言葉に、クロエは静かに頷いていた。
「二人、少し違うけど少し似ている――これからも、アステリアと沢山の喧嘩をしながら、良き友として傍に居てもらえるかしら?」
「はい――未熟ですが、私に、務まりますか?」
喧嘩をしながらだなんて、少し面白いことをローナは言う。クロエは苦笑いで答えていた。
「多分、クロエにしか務まらないでしょうね」
二人で成長してくれたらいいだけの話よ――ローナが笑っていた。
「……クロエ、ごめんなさい」
ローナとの話が終わって、アステリアが部屋に呼ばれていた。昨夜一晩泣いていたらしい目は赤くて少し腫れている。
それでもアステリアは自分から謝って、ここでもクレリー家の一人として、凄く立派な人だとクロエは思った。
「アステリア様……」
「私、クロエが好きだけど、クロエは私のこと嫌い」
アステリアはそんなことを言い出す。
「嫌ってなんていません。ただ、アステリア様が無理なことを言うので……」
嫌いじゃないけど、無理なことは無理だとわかってほしかった――クロエは自分の気持ちをそのままアステリアに伝える。アステリアは黙って頷いて、話を聞いていた。
「これからは、あまり無理なことを言わないでください」
私の言いたいことはこれだけです――クロエは話を終える。
「はい、ごめんなさい。昨日も『クロエのお休みを邪魔してたことの意味を考えなさい』ってばあやに言われてたの……」
だから謝ろうと思って、でも、出来なかった――アステリアはまた泣きそうになっている。
「お気持ちはわかりましたから、もう泣かないでください。……時々なら、一緒に寝ても大丈夫ですよ?」
クロエは目を擦っているアステリアの手をとって、柔らかく握っていた。
「クロエ……!」
アステリアが急に抱きついて来る。
「うわ、危ないです!」
クロエは思っているより力の強いアステリアを受け止めた勢いで床に転がっていた。
まだわからないことも多いし未熟だけど、この人と一緒に成長出来るなら、それも悪くない――クロエはアステリアを受け止めながら思っていた。




