番外編(アステリアとクロエ・4)
(1)
「クロエ、聞いて。ばあやがリスフォールに行くって言うから、私も行くって言ったら『駄目です』って……」
冬の気配が日に日に近付いていたある日の朝――アステリアは着替えながら執事見習いのクロエに愚痴を溢していた。
躾や歴史など、クレリー家の色々を助言してくれるばあやが、アステリアの姉であるソフィアが仕事で駐在している帝国最北端の地、リスフォールに行くと言うのだ。
アステリアは大好きな姉のソフィアに会いたくて、一緒に行きたいとお願いしたのだけど、却下された。この冬には十六歳になるから年齢的には長旅をしても問題ないし、帝都の外を見られるいい機会なのに。
「今からの出発ですと冬の最終便でようやく間に合う時期です。リスフォールに行っても帰りの馬車は数ヶ月後ですよ?」
その間のお勉強はどうします?
家庭教師を全員連れて行くのですか?
アステリア様はそれでいいかもしれませんが、私たち使用人の勉強はどうなるんです?
クロエが厳しい言葉を続けている。立場というものを考えなければいけない、と。
リスフォールはもうすぐ雪が深く積もる時期で、帝都とを行き来する馬車や郵便などは余程のものでないと全て止まってしまう。
この冬に行ったら次の春の雪解けまで帝都には帰れない――クロエの言う通り、その間の勉強とかは出来なくなる。ある程度ならばあやに教えてもらえるけど、ばあやはソフィアに用事があって行くのだから、こちらにばかり構っていられないだろう。
アステリアだって、リスフォールに行くのが無理なことはわかっているのだ。
「ソフィア様もおそらく次の春には帰省なさると思いますし、我慢してください」
クロエは厳しい言葉を並べたあとに、更に大人の対応で言い聞かせて来る。
「はあい……」
アステリアは厳しいクロエに少し拗ねて返していた。クロエは少し慰めるようにアステリアの髪を手櫛で整えてくれるから、本当は優しい人なのだけど。
「――それじゃあ、今日はお勉強の時間を少し遅らせて、ソフィア様にお手紙を書きましょう」
しばらく黙っていたクロエが、困ったように笑うとそんなことを言う。
「え……?」
「ばあやに預けて、お渡ししてもらいましょう」
沢山の想いを込めたお手紙は嬉しいものです――クロエは折りたたみ式の机を広げて、便箋と封筒と封蝋の準備をしてくれていた。
「はい。クロエのそういうところ好きよ?」
アステリアはクロエに甘えて、大好きなソフィアに手紙を書くのだった。
「これでいい?」
アステリアは丁寧に手紙を書いて、確認のためにクロエに渡していた。
「いつも素敵なソフィアお姉様、ソフィアお姉様に会いたいです。お元気ですか。とても素敵なソフィアお姉様ですから――」
クロエは笑顔で手紙を読み始めている。
「声に出して読まないで」
内緒の手紙を声に出されると、かなり恥ずかしさがある――自分の心が発表されているみたいで落ち着かない。ここに居るのはアステリアとクロエの二人だけなのだけど。
「少し恋文みたいですが、素敵なお手紙ですよ」
クロエが「ソフィア様もお喜びになることでしょう」と、笑顔で手紙を返してくれた。
「そんなこと言うなんて、クロエは恋文をもらったことがあるの?」
アステリアはクロエに訊きながら、折りたたんだ手紙に封蝋をして、大事な姉のソフィアへの想いを閉じ込める。
「……数回あります」
「えー……私にも秘密にしてるなんて……誰からなの?」
でもクロエだって素敵な人だから、恋文の一通や二通もらっていても不思議ではないなとアステリアは思った。初めてクレリー家に来た時のクロエは可愛かったのに、五年も経った今では、もう素敵な大人になっている。
実際、仕事も出来て勉強も出来て、馬にも上手に乗るし――戦うのは少し苦手らしいけど、でも素敵だ。
「秘密です」
クロエは素っ気なく答えると、アステリアの勉強のために本を準備をしている。
「むう……意地悪なのね?」
アステリアも筆記具を用意して、家庭教師の待つ部屋に向かっていた。
(2)
「クロエ、お勉強頑張ったから、褒めて?」
アステリアは午前の勉強を終えて、昼食の時間だった。
母のローナはこの時期、ブドウ酒の出来などを管理するために忙しいから、一人の昼食――慣れているし、クロエがいるから寂しくないのだけど。
「いい子、いい子――」
クロエはお茶の準備を済ませてから、アステリアの頭を撫でてくれる。
少し行儀が悪いけど、一人だとこういう我儘を言えるから悪くない。
「ふふふ――いい気分。クロエのこのあとの予定は何?」
「このあとはローナ様と執事長のお供で、ブドウ酒の出荷手続きを勉強いたします」
年に一度しかない機会だから、確実に覚えないといけない――クロエは凜々しい。
「私も覚えないといけないけど……」
クレリー家の手がける事業は多い。ブドウ酒造りもその中の一つで、家の事業の三割を占めているのだけど、アステリアはまだあまり詳しい勉強を始めていない。
「アステリア様はまだお酒を飲める年齢ではありませんので、味見が出来ませんよ?」
クロエの言う通り、ブドウ酒は味見も大事――味で値段や出荷量が決まるものだから、まだ未成年のアステリアでは取引の場に立ち会えない。
「わかってるもの……十八歳になったらクロエから教えてもらうの」
「アステリア様にお教え出来るように、私も勉強に励みます」
私も今年で二回目――クロエは優しく笑って、もう一度アステリアの頭を撫でてくれている。
出逢った頃はこっちがクロエの頭を撫でていたのに、いつの間にか逆――アステリアは撫でられながら思っていた。
アステリア目線ではクロエが来てから五年ほど経ってます。




