80.忍び寄る帝国の影
「…というわけで、報告は以上です」
私の言葉にヴェルギリウス様が、うむ、と大きく頷く。
ここは研究所の所長室、つまり私の仕事部屋なのだが、今その所長席と書かれた机で腕を組んでいるのはヴェルギリウス様だった。
「ご苦労。着々と進んでいるようではあるが、あまり無理をし過ぎると研究員がついてこれなくなる。程々にな」
本来ヴェルギリウス様は既に研究所の職を退いた身で、このような報告をする必要も無いのだけど、偶にひょっこり顔を出した際に研究の話をする、これは半ば私の習慣となっていた。
そしてまだ暑さの残る季節、偶にとはいったがヴェルギリウス様がこの部屋で寛いでいる頻度は結構高い。今も所内に唯一の扇風機は、その首を振らずにヴェル様の方だけに涼しい風を送り続けていた。
「私は皆にやれやれと急かしているつもりは無いのですけれど、モーリッツさんなんかは率先して研究室に籠りその手を休めません。羨まし、いえ、心配ですので一度ヴェル様からもご注意を」
「ああ、あいつは放っておいて構わない。研究の途中で倒れても本望だろう。他の研究員は其方が注意深く見守ってやると良い」
なんと、モーリッツさんはヴェルギリウス様にとってもそんなキャラだったのか。クラスに一人はいる、ああ、あいつは勝手にやるから放っておいてもいい、みたいな。
「それで、先刻の冒険者ギルドとの件は上手く運んだのかね」
私が一人、ニマニマと頬を緩めていると、それまでの様子とは打って変わって、ヴェルギリウス様が真面目な顔付で尋ねた。
「はい、研究所としてギルド側のお話は了承しました。現在はラプラスさんが事務手続きに入っていますので、直に体制は整うと思います」
私はこれまでの話の流れを簡単に説明する。
「つきましては予算の件でヴェルギリウス様に協力頂けないかと」
既にラプラスさんからヴェル様の元へは話がいっている筈だが、確認の意味も込めて改めてお願いしておく。研究所とは無関係な立場のヴェル様だが、四大公爵家のひとつとして王国中央への影響力は当然強い。
なのでこのような大規模な案件になると、ヴェル様から中央への根回しは必須なのだ。
「うむ、その事については承知した。これも私が思っていたよりも動きが早いな。既に現地調査も行ったのであろう?」
はい、と私。
「アイザック先生にご同行頂いたのですが、先生、ヴェル様に随分と感謝していましたよ」
そう、確か先生はヴェルギリウス様に拾ってもらったと言っていた。
「ふむ、あれは教師として上手くやってくれている。感謝など必要無いのだがな」
そう言って顔を背けるヴェル様、何だか少し照れているらしい。感謝されているのだから素直に喜べばいいものを。
「話は先生から聞きました。大規模魔法を使って処分されたって。それをヴェルギリウス様がお助けになったのでしょう?」
先生は随分と自分を責めているようだったが、それが作戦行動の一つであるならば、その決定を下した上層部、ひいては王国にも当然その責任はあるのではないか。そう思って口を尖らせた私に、ヴェル様は首を振った。
「あれが使った魔法は実戦に投入できるような代物では無かった。それを無理に使わせたのは軍部だ、あれだけの責任では無い」
そう言ってヴェルギリウス様は当時の様子を語り始めた。
「アイザックは当時第一魔法大隊の魔法特殊部隊で隊長を務めていた。その時は先代のウォーレン公爵が大隊長に就いていたが、実際に指揮していたのはウォーレン公爵だな。あそこは魔法に秀でた者を集めた部隊をいくつか持っていてな、魔法特殊部隊もその内の一つだ」
やはり先生は自分でも言っていた様に、随分と魔法の技能に優れていたようだ。それにしてもウォーレン公爵か、何度か面識はあるが正直少し距離を置きたい人ではある。
「ウォーレン公は当時から実戦第一主義で、新魔法使用の要請があった際に二つ返事で了解したのは公爵だった」
その言葉にやはりという思いで、むっとした顔を向けた。
「いや、勘違いするでない。最終決定を下したのはウォーレン公だが、その使用を強く推したのは他でもないアイザックだ。あれだけの責任では無いと言ったが、あれに責任が無かったとは言っていない」
ヴェルギリウス様の話では当時のアイザック先生はそれはもう先頭切って敵陣に突っ込むようなバリバリの主戦派だったらしい。
「今では滅法大人しいが部隊に入ったばかりのあれは、無茶苦茶だったぞ。アインスター、其方以上だ」
ぐぬぬ、ここで私が引き合いに出されるのは納得がいかない。しかし、話が本当だとしても今の先生からは想像も出来ないよね。
「少し話が逸れたが、敵味方巻き込んだ魔法の暴走劇、それを起こしたアイザックに対してウォーレン公は一言、未熟と告げ、謹慎処分を言い渡した」
「やっぱり酷いじゃないですか、先生にだけ責任を押し付けて!」
先生は今も当時の事を後悔している。私はあまりにも先生が可哀想に思えた。
「だが考えてもみよ、もしもそこでウォーレン公爵や他の人間までもが責任を取り身を退いたとなると、アイザックは今以上に苦しい思いをしたと思わぬか?公爵は私のところへ来て、アイザックを使ってやってくれと頭を下げた。あれはそういう御仁だ」
なるほどそういう考え方もあるのか。確かに言われてみればそうかと思ってしまう。
「先生はその事をご存知で?」
「いや、わざわざ伝える事でもあるまい。おそらく気付いてはいると思うが」
ふうん、現に先生は部隊にも復帰している。私としては納得半分といったところか。敢えて厳しく突き放したウォーレン公爵、その意図を受け止めているアイザック先生、そしてお膳立てしたヴェル様。
なんだか出来過ぎた話にも思えるが、皆それぞれ大人だという事か。
「私はウォーレン公に頼まれた事もあるが、アイザック自身の才能が惜しいと思ったのも事実だ。優秀だから使った、それだけだ。特段感謝される謂れは無い」
ああ、そう言えばそういう話だったか。
「兎も角、冒険者ギルドの話はわかった。それで…」
話が終わったのかと気を緩める私に、ヴェルギリウス様が再び真面目な顔を向ける。この話題に入る際のそれは顔付、そうだった何か言いたげだった。
「アインスターよ、其方の進める医療改革、これは必ず教会の利益とぶつかる。王国での折り合いは上手くついたようだが、その後ろには神聖ギュスターブ帝国が付いているというのは其方も知っているであろう」
そう、教会の総本部があるのが神聖ギュスターブ帝国、それは聞いている。そしてその事は私も懸念していた。何か動きでもあったのだろうか。
「もしもその帝国に何らかの動きがあった際、其方は絶対に何もするな。余計な事も余計で無い事も含めて、絶対だ」
余計な事、と言われるのはまあ心外だが、余計で無い事もという言い方に引っ掛かる。
「それは結局、何が起こっても何もするなと」
「そうだ。実際これまで其方が何か余計な事をしたとは私は思っていない。全てこの王国の利に適うものだったという事を承知している。それでも、いやだからこそ、帝国の動きに関しては其方は絶対に動いてはならぬ。これは魔法大隊における大隊長としての命令だ。帝国に関して何かあったら必ず私に報告する、いいな」
並々ならぬその言葉に私はプレッシャーを感じた。これまでに無い緊張感、しかもまだ何も事が起こってはいないというのに。
「わかりました。気を付けておきます」
私がそれだけを言葉にすると、しばらく私の顔をじっと見据えていたヴェルギリウス様が一つ大きく頷いた。しかしその表情は些かの憂いを帯びているようでもあった。
次回は10月25日17:00更新です。




