93.わからない事、わかった事
どうしてシズクさんがここに? そんな疑問に私は首を振って瞬きを一つ。とその瞬間に彼女の姿は私の視界から消えていた。だがあれは確かにシズクさんだった。そして。
そして、不敵に笑った彼女に気を取られて気付かなかったが、海岸には魔法船団に向かって魔法を放つ小隊の姿があった。それは紛れもなく第八小隊の皆で。
「なんで戦っているの!」
どうして? 戦わなくて済むように私はここへ来たのだ。それなのに…… そんな私の叫びに気付いたのだろうか。小隊の皆がこちらを振り向き呑気に手を振った。
と、その刹那だった。
微かに船が揺れたかと思うと、辺り一面に耳をつんざく様な轟音が響く。鉄鋼船に搭載された砲弾が発射されたのだ。そして私の頭上を過ぎようとするそれは明らかに街に届く軌道を描き。
「危ない!」
私は咄嗟に魔法で障壁を展開する。大砲から発射されたそれは私の予想に反し弾頭を備えている。万が一にも火薬等が詰められていた場合には街に甚大な被害が出てしまうのだ。だが、
――――数が多すぎる!
一隻の船に二門の大砲。その数は十を超える。とても私の魔法では間に合わない!
空に咲いた私の小さな魔法陣を茫然と見詰める。するとその時、私の魔法陣を包み込む様に、巨大な魔法陣が空に現れたのだ。
「美しい……」
広範囲に亘る鉄壁の障壁。きらりと輝くその魔法陣は思わずうっとりする程の様式美を備え。その壁に阻まれて、飛来した砲弾は溶ける様に空に消えた。こんな魔法を使う事が出来る人を私は一人しか知らない。ルーベンス王国が誇る最強の盾。
「ヴェルギリウス様……」
私は海岸に向けて走り出していた。展開した魔法陣の中心、すらりと長い右手を天高く翳し、私の方を見詰めている。この戦いはヴェルギリウス様が仕掛けたのか。
「うっ、ヴェルギリウス様…… どうして?」
その鋭い視線を一身に受けながら、私はヴェル様に詰め寄った。
「ふん、アインスターか。遅かったではないか。それで、其方はどうするつもりなのだ? 戦うのか、それとも」
一人、投降するのか。ヴェルギリウス様の言葉が私の胸に突き刺さる。やっぱり私の目論見はバレていたのだ。
「私は…… そうです、私は帝国に投降する為ここに来ました。なのに、どうして。どうして戦っているのですか! 台無しじゃないですか。私がここに来た意味、私の思いが台無しじゃないですか!」
言葉が溢れた。言いたくもないのに、本当はこんな事を言いたいんじゃないのに。止めようとしても止まらない、私の瞳から零れる涙と一緒に、次から次へと言葉が溢れた。
「ヴェルギリウス様の馬鹿! どうしてわからないんですか! 私一人でいいんです。私一人で済んだんです。どうして皆で来るんですか。ピクニックじゃないんですよ。戦争なんですよ! 台無しじゃないですか! 馬鹿!」
どうしてわからないんだ。これ以外に最適解なんて無いのに。本当に、どうして……
「言った筈だ、私は私の好きにする、と。ここに来た者は皆、私と気が合ったようだな。其方の小隊、それに」
私はヴェルギリウス様の視線を追う。そこに居たのはアイザック先生と、そして私のクラスメイト達だった。
「リチャード君達まで…… どうして止めなかったんですか! 危ないじゃないですか」
「其方の為にやって来た者を拒む理由は私には無い。それにアイザックが居れば大丈夫だ。ん? ふむ、来たようだな」
この上一体何が来たというのだ。ま、まさか!
微かに聴こえる荘厳な響き。まるで大地を揺らすかのようなその音は次第に大きくなり、やがてその黒く雄々しい巨体が私の視界に飛び込んできた。重装甲列車カムパネルラ!
「あれにはギルベルトの騎士団が詰めている。占領区の解放にあたらせようと思ったがその必要は無かったな。まあ、いい。アインスターよ、其方に言いたい事はあるが、私の話は後で結構だ。まずはカムパネルラに行ってきなさい。そこでたっぷりと叱られてくればよい」
私が叱られる? どういう事だろう。あれに乗ってるのはギルベルト団長の部隊と言っていた筈…… あ! お父様が乗っているのか!
「い、行ってきます」
カムパネルラが停車したのはヴィンセントの郊外、海の見えるその場所に王国最西端の駅舎がある。規律を以て一斉に降車した騎士団の中にやっぱりお父様の姿はあった。これは拙い、私は家族に黙って出てきてしまったのだ。
あれ? でも私が帝国に投降しようとしていた事は知らないんじゃないのかな。だったら私がここに居ても問題は無い筈なんだけど。
「お、お父様……」
私の姿を捉えたお父様がギルベルト団長に視線を送り列を離れる。うぅ、やっぱりあの目は本気で怒っている時の目だ。
「アイン。お前のしようとした事は全部シュレディンガ公爵から聞いている」
そして次の瞬間、お父様の大きな平手が私の頬を打った。うぅ、痛い……
「お父様、ごめんなさい。でも私が行けばそれで全てが収まるんです。戦争になったら沢山の兵士が傷付きます。だから私は」
私の言葉を受けてお父様が再び右手を振り上げる。う、また打たれる! だがその手は空中で静止したまま動かなかった。
「アイン、お前は本当にそう思っているのか? お前を一人で行かせて、父さんや母さんがそれで納得すると本気でそう思っているのか? だとしたら……」
お父様の声が震える。そしてその瞳からは大粒の涙が流れた。
「だとしたら、俺が悪かった。お前は何でもよく知っている、何でもよく出来る、そう思っていた。だけど一番大切な事を伝えていなかったんだな。リヒャルト、エーリッヒ、それにアイン。お前達は父さんと母さんにとって最も大切な宝物なんだ」
わかるよ。それはわかっているよ、お父様。
「もしも王国がアイン、お前をギュスターブ帝国に差し出してそれで良しとするなら、俺はこの国の全てを絶対に許さない。このままお前が居なくなっていたら、父さんはこの国をめちゃくちゃに壊していただろう」
うぅ、お父様、怖いよ。本当にやりそうだもの。でもそれが…… 私にはわからない。
「戦争で兵士が傷付くのは仕方のない事だ。アイン、もしもお前が戦場で傷付いたなら、それは悲しい事だが父さんは納得する。魔法学校に行く事を認めたのも父さんだ、この国を恨んだりしない。まあ、母さんは納得しないだろうが。だけど国がお前を見捨てるならそれは違うんだ。そんな国に未練は無い。お前が行くというなら父さんも母さんもお前の行くところへついて行く」
お父様の目は真剣だった。その前では何も言う事が出来ない程に。
「だが幸い、シュレディンガ公爵はお前の為に動いて下さった。ギルベルト団長もだ。だれもお前を見捨てちゃいない。だから悪いのはお前だ、アイン。さっき殴ったのはその為だ。お前は何処へも行かなくていいんだ」
両腕を広げたお父様の体が私の視線を覆う。そして瞬く間に私の体はその中に吸い込まれた。
「お、おどうざまぁ、ぐるじいでずぅ」
その大きな体は温かかった。これまで感じた事が無いような温かさだった。私には解らない。でもわかった事もある。私一人がいなくなればと思っていたが、その事をこんなにも悲しんでくれる人がここにいるのだ。お父様、それにお母様も。私一人の事では無かったのだ。
お父様の手が緩み、ふっと体が軽くなる。だけど目の前がぼやけて見えない。それはお父様の大きな体のせいばかりでは無かった。私の瞳からは涙が溢れていたのだ。
「アイン、お前は賢い子だ。だから父さんの言った事をわかってくれると信じている。さあ、行ってきなさい。お前の事を心配しているのは父さんだけじゃない。シュレディンガ公爵を始め、多くの人達がお前の事を案じてここに集まってくれたんだ。その事にお前は感謝しなくてはいけないよ」
「はい、おどうざまぁ」
私は涙を拭う。ぼやけた視界のその先に、お父様はいつもの優しい笑みを浮かべていた。
次回は1月24日17:00更新です。
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