エピローグ
俺の主人は、古本屋というものを営んでいる。
ここには常に本というものが存在している。あるときは誰かによって持ち込まれ、またあるときは誰かがそれを持ち去っていく。
俺にはこの本というものが、いったいなんの役に立つのかまったくもってわからない。
何度か爪研ぎに使えないかと試してみたりもしたが、その度に主人が怒ってくるのでやめることにした。だから俺にとっては、本というものは爪研ぎにも使えない役に立たないものでしかない。
しかし、人間たちにはそれがとても大事なものだったりするのだから不思議なものだ。
主人を見ていると、本当に本というやつにご執心なのがよくわかる。常に本を傍らに置き、可愛がっているのだ。まったく、俺の居場所を四角い紙の束が占拠しているのは気に入らないが、紙束を相手にしたところで仕方ないことは、いくら猫だとはいえわからないわけじゃない。きっと俺が鰹節を好きなことと同じようなものなのだろう。
そういえば、最近よくやってくる人間の雌も、本が好きで好きで仕方ないらしい。
この人間の雌は、最初は気に入らなかったものの、何度か会ううちに意外と世話好きないいやつであることがわかり、俺もこの店への出入りを許すことにした。
こいつに体を撫でられるのも、今となっては慣れたもので、思う存分触らせてやっている。俺の心も広くなったものだ。
「神谷さん。ちょっと訊いてもいいですか?」
「はい。なんでしょう」
和室から店のほうへと移動すると、今日もまたあの人間の雌がやってきていた。
「あ、ミケ。おはよう」
とりあえずニャーと鳴いて答えてみると、そいつは俺の体を撫でにきた。
まあこのくらいは許してやろう。
「あの、それで訊きたいことっていうのはなにかってことなんですけど」
そいつは俺の体から手を離すと、再び主人のほうに向き直った。
「この前から和室のほうに交代で古い本が置かれてますけど、あれはどういう意図でああしているんですか?」
「ああ。あれは虫干しをしているんですよ」
「虫干し?」
「ええ。紙魚という本を食べる虫の駆除のためです。最近の本は余程虫の被害は少ないのですが、古い本は虫の被害に遭いやすいですからね。特に昔の和本に虫干しは有効なのですよ」
「ああ、なるほど。それで」
そして、納得したようにうんうんとうなずく。
「ようやく謎が解けました。たまには自力で謎を解いてみようと思ったんですけど、駄目ですね。やっぱり神谷さんのようにはいきません」
「いえいえ。僕などたいしたことは。しかし、松坂さんも謎解きが好きになったとは、意外です」
「神谷さんの影響が大きいですよ。とにかく謎があるとなにかしら推理してますもんね。きっと面白いんでしょうね」
「まあ、本を読むことの次くらいには好きですね」
二人は笑顔で楽しそうに話をしている。最初のころと比べると、この二人の距離もぐっと近づいていることがわかる。主人を取られるのは気に食わないが、主人が以前より楽しそうなのは俺としても嬉しいので多少は我慢することにした。
それにしても、本を読んでいるやつらの様子というのは不思議なもので、泣いたり笑ったり驚いたりと、なかなかに見ていておもしろい。どうやら本というものには、人間を魔法にかける力があるらしい。
今も主人とその人間の雌が一冊の本を話題にしながら、なにやら楽しげに話し合っていた。
俺にはまったくそれを理解はできないのだが、そんな主人たちの様子を見ているのも、まあ悪くはないと思っている。
店内にベルの音が響き、誰かが入ってきた。
「いらっしゃいませー」
今日はどんなお客がやってきたのだろう。
俺はカウンターの上に飛び乗ると、そこで店の様子を観察することにした。
本に囲まれたその場所で、主人はまた手元の本をめくり始めた。先程入ってきた客は店内に並んでいる本を興味深げに物色している。人間の雌も本の整理をし始めた。
いとおしそうにカウンター内で本を眺める主人を見ながら、俺はじっと目を細める。
きっとその本というものは、主人にとってとても大切なものなのだろう。
キラキラとした宝物のような、温かい木箱のような。
なつかしい母親の温もりのような。
そんな想像をしながら、やがて俺はうとうととまどろみのなかに沈んでいったのだった。
(了)
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