はるかなる物語1
松坂茜は自宅のアパートの一室で、テーブルの上に置かれた二冊の本をそれぞれ眺めていた。それは、二冊とも同じ本だった。
『はるかなる物語』。一冊は茜がもともと持っていた本だ。倉本先輩から受け継いだ本である。中のページには、茜の貼ったハートのシールも貼られてあった。正真正銘間違いなく茜の持っていた本だった。
もう一冊は中に折れや破れなどのない本で、古くはあるが割と綺麗な本だった。
昨年のクリスマスイブの食事の席で、神谷は茜にその本を二冊とも手渡してきた。契約期間が終わるまでにはまだ日にちがあったので、一度はまだ受け取れないと断ったものの、神谷が困っているようだったので、結局その場で受け取ることにしたのだ。
しかし、一冊はもともと自分の本だったので理解ができたが、なぜもう一冊渡してくるのか疑問に思い、茜はそのことを訊ねてみた。
すると神谷は、そのときこう言ったのだ。
――もう一冊の本は、葵さんに渡してください、と。
「あなたの持っていた本を傷めてしまったのは、葵さんですね」
そう言った神谷の言葉にそうだと答えると、彼は続けてこう言った。
「ここからは僕の想像です。違うと思われれば聞き流していただいてもかまいません」
神谷はそう前置きしてから話し始めた。
「葵さんはきっと、その本の続きを読みたがっているのだと思うのです」
なぜ葵が本の続きを読みたがっているとわかるのだと問うと、彼はこう答えた。
「葵さんがその本のことを知ったのは、あなたがまだ実家で暮らしていたときのことです。そのころは当然、葵さんとも同じ屋根の下で暮らしていました。きっと葵さんはあなたのいない隙に、あなたの持ち物であるその本を少しだけ読んでみたのだと思います。箱が綺麗だったのは、当然箱から本を取り出さなければ読むことができなかったからです。けれどそれを読んでいる最中に、茜さん、あなたが現れた。きっとそのとき、あなたはこう思ったんじゃないですか? また葵がわたしの大事なものをとろうとしている、と」
茜はそれに正直に頷いた。
「そして、あなたは思わず彼女に対して非難の言葉を浴びせてしまった。そしてそれを奪い返そうとしたのです。そうこうしているうちに、本は葵さんの手の中から落ち、本には傷がついてしまった。そんなところではないでしょうか?」
神谷の推測は正しかった。そうして傷ついた本に、あとから茜がシールで補修しておいたのだ。
茜はそのとき、ただ単純に葵は自分のものを奪うつもりでいたとばかり思っていた。悪意しかそこには存在しないのだと思っていた。けれど、それは違うと彼は言ったのだ。
葵はただ、その本が読みたかっただけなのだと――。
茜は神谷から二冊の本を受け取った。だからこうして、今手元に同じ本が並んでいるのだ。
そのとき神谷はそれまでのバイト代も渡してきた。これで契約は終了してもらっていいと言っていたが、茜はまだ店には行くつもりだった。けれど、次の日曜日に茜が黒猫堂古書店に行くと、店は閉まっていた。
そのあとも何度か店に足を運んだが、いつ行っても扉が開いていることはなかった。電話をかけても繋がらなかった。そんなことをしているうちに年は終わり、新しい年を迎えてしまっていた。新年になってもやはり店が開いていることはなく、神谷とも相変わらず連絡を取ることができないままだった。




