第70話 古狸の失脚
数週間後。
帝国首都星の空を、一隻の傷ついた巨船が切り裂いた。
白銀の戦艦『フェンリル』。
かつてその美しさで銀河を魅了した船体は、今は見る影もない。
装甲は熱で焼け焦げ、あちこちがひしゃげ、塗装は剥離している。
それは、いかに壮絶な戦場をくぐり抜けてきたかを物語る、雄弁な「証拠」だった。
「……良い焼け具合だ。ヴォルフの奴、派手してくれたな」
タラップを降りながら、俺、クロウ・フォン・フライハイトは満足げにフェンリルを見上げた。
もちろん、中身の機能は完璧に修復済みだ。
見た目だけをボロボロに見せかける偽装工作である。
「行きましょう、マスター。時間は過ぎています」
傍らに立つシズが、俺の服の裾を少しだけ破き、煤汚れを演出として塗りつける。
俺は頷き、迎えに来たエアカーに乗り込んだ。
目指すは帝国の最高意思決定機関、元老院だ。
***
元老院の議場は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
無理もない。
帝国の暗部であり、絶対不可侵の聖域とされた『監獄惑星アイリス』との定期連絡が途絶え、現地へ向かった調査船からは「惑星が消滅している」という信じられない報告が届いているのだから。
俺はフライハイト勇爵家に割り当てられたボックス席に静かに座った。
周囲の視線が一斉に突き刺さる。
「生還者だ」「あんな状態の船でよくぞ」「一体何があったのだ」という囁きが漏れ聞こえる。
「……静粛に!静粛に願う!」
議長席で木槌を叩いたのは、元老院議長であり、帝国司法省大臣も兼任する大物、ヴァルター・フォン・アインザッツ公爵だ。
だが、その表情にはいつもの狡猾な余裕がない。
脂汗をかき、目は血走っている。
「此度、緊急に集まっていただいたのは……監獄惑星アイリスが消息不明となった件についてだ……」
ヴァルターが重い口を開いた瞬間、議場から怒号が飛んだ。
「どういうことだヴァルター!お前の管轄だろうが!!」
「消息不明だと!?惑星が一つなくなるなど、管理不行き届きにも程があるぞ!」
「何、他人事のような口調で話しているんだ!責任を取れ!お前もお前の家族も、帝国流の『慈悲なき鉄槌』が必要だ!」
普段はヴァルターの権力を恐れてへつらっていた議員たちが、ここぞとばかりに牙を剥く。
彼らは知っているのだ。
あの惑星には、帝国の秩序を維持するための「秘密兵器」が隠されていることを。
それが失われた今、ヴァルターはただの老いぼれた狸に過ぎない。
「ええい、黙れ!まだ状況は確定していない!」
反論できないヴァルターは、話題を逸らすように叫んだ。
「こ、ここで、唯一の証人を召喚する!フライハイト卿だ!彼は直前まであの監獄惑星に居て、命からがら脱出した!まずは情報を聞くのが先決であろう!?」
ヴァルターの指名を受け、俺はゆっくりと席を立った。
スポットライトが俺を照らす。
俺はいつもの傲岸不遜な態度を封印し、少し背を丸め、声を震わせて演壇に立った。
「……フライハイトです。ご指名にあずかりました」
弱々しい口調。
いつもの猛々しい「軍神」や「独裁者」としての彼をイメージしていた議員たちは、そのやつれた姿(演技)に意外さを隠せない。
「報告します……。私は先日、自領で捕らえたレジスタンスの大物幹部とその部下数十名を、アイリスまで直接護送しておりました」
俺は言葉を選びながら、悲痛な面持ちで語り出した。
「しかし……惑星のドックに降り立った時です。奴らは隠し持っていた未知のデバイスで私の警備ドロイドをハッキングし、銃を奪い取りました。そして、不覚にも私を人質に取ったのです」
「なんと……勇爵ほどの武人が不覚を取るとは」
「それほどまでに、奴らは狡猾で訓練されていたのです。……その後、駆けつけたアインザッツ卿の私兵『特別行動部隊』が応戦しましたが……」
俺はちらりとヴァルターを見た。
「彼らは次々と倒されました。レジスタンスの制圧力は凄まじく、帝国最強と謳われたサイボーグ兵士たちが、まるで紙屑のように破壊されていったのです」
「馬鹿な!私の部隊が負けるはずがない!」
ヴァルターが叫ぶが、議員たちは冷ややかな目で彼を見た。
「所詮は私兵か」「予算をケチったのではないか」という陰口が聞こえる。
「奴らの狙いは、アイリスのメインブリッジでした。そこまで、私は人質として銃器を突きつけられながら、盾として歩かされました。……屈辱でした」
俺は拳を震わせてみせた。
議員の中には、勇爵の受けた仕打ちに同情し、涙を拭う者さえいた。
「私はメインブリッジで一瞬の隙を突き、メイドドロイドの助けを借りて脱出ポッドに飛び込みました。しかし……彼らはすでにアイリスの中枢を掌握していました」
俺は手元のスイッチを押し、ホログラムを展開した。
そこに映し出されたのは、ボロボロになったフェンリルの痛々しい姿だ。
「彼らはアイリスのコントロールを奪うと、私の戦艦フェンリルに対し、要塞砲による砲撃を開始しました。我々は全速力で回避行動を取りましたが、この有様です」
「おお……なんという惨状だ」
「あれほどの巨艦が、これほど傷つくとは」
「そして……彼らは最後に、要塞の超光速航行エンジンを起動し、5000億人の囚人を乗せたまま、銀河の外へと消え去りました。……以上です」
俺が証言を終えると、議場は静まり返った。
だが、その静寂はすぐに爆発的な怒りへと変わった。
矛先は、もちろん俺ではない。
「ヴァルター!!貴様の私兵が弱いせいだ!!」
「何が『特別行動部隊』だ!全員やられているではないか!」
「いや、本質はそこではない!問題なのは、アレが……『アイリス・カノン』が搭載されている要塞惑星ごと、レジスタンスに盗まれた件だ!!」
一人の議員の叫びに、全員が顔色を変えた。
ここにいる元老院議員は、貴族の中でも上級の者たちだ。
全員が、アイリスに搭載された「惑星破壊兵器」の秘密を知っている。
それが今、帝国に恨みを持つテロリストの手に渡ったのだ。
「いつ我々の領地が狙われるか分からんぞ!」
「今日にでも首都星が撃たれるかもしれん!」
「ヴァルター、どう責任を取るつもりだ!!」
恐怖は理性を食い尽くす。
ヴァルターは蒼白になり、ガタガタと震え出した。
「ま、待て!私は悪くない!あれは想定外の――」
その時だった。
議場の最上段、一段高い場所に設けられた「皇族席」から、透き通るような、しかし絶対的な威厳を持った声が響いた。
「――これは弾劾だね。アインザッツ卿」
その一言で、議場の狂乱がピタリと止んだ。
発言の主は、帝国第3皇子、ゼルク・フォン・グラングリア殿下。
比類なき美貌を持ちながら、その瞳には冷徹な氷の炎を宿した男だ。
「ぜ、ゼルク殿下……!?」
「流石に庇いきれないよ。帝国の重要拠点を奪われ、脅威を拡散させた罪は重い」
ゼルクは冷ややかにヴァルターを見下ろした。
「他の議員も、ヴァルターを弾劾することには賛成のようだね?」
ゼルクの問いかけに、議員たちは一斉に頷いた。
今までアイリスという暴力装置を背景に、何かと脅されてきた恨みを晴らす時が来たのだ。
「弾劾!弾劾!弾劾!!」
議場がコールの嵐に包まれる。
ヴァルターは崩れ落ちた。
「判決を言い渡す。アインザッツ公爵家を取り潰し、当主ヴァルターを処刑とする」
ゼルクは無慈悲に宣告した。
「ただし、せめてもの情けとして、安らかな死を賜わろう。今まで帝国に尽くしてくれた報いだ。……あのグライムのように、永遠に続く苦痛を与えたりはしないよ」
「は、はは……ありがたき、幸せ……」
ヴァルターは涙を流し、近衛兵に両脇を抱えられて引きずり出されていった。
かつての権力者の、あまりにあっけない幕切れだった。
「さて」
ゼルクは空席となった議長席を見つめ、再び口を開いた。
「彼の元老院議長という空席、そして帝国司法省大臣の空席をどう埋めるかだが……元老院議長には、私がなろう。異議はあるまい?」
「はっ!殿下が就かれるのであれば、我らは安泰です!」
貴族たちは即座に平伏した。
皇族に逆らえる者などいない。
その場で新議長選任の決議が行われ、満場一致で可決された。
「次に、帝国司法省大臣だが……」
ゼルクの視線が、演壇に立つ俺に向けられた。
「元老院議長の権限で、フライハイト卿に任せたいと思う」
議場がどよめいた。
「で、殿下!フライハイト卿は確かに英雄ですが、彼は一代限りの新興貴族です!」
「伝統ある司法省のトップには、『世襲貴族』でなければ就任できないという規定があります!不適格では!?」
古参の議員たちが吠える。
帝国法では、大臣クラスのポストは数百代続く名門貴族に限られるという不文律が、明文化された規定として存在した。
だが、ゼルクは涼しい顔で頷いた。
「無論、承知している。規定を破るつもりはない」
「で、では……?」
「彼が一代貴族であることが問題なのだろう?ならば、この場で彼を『世襲貴族』に格上げすれば良いだけの話だ」
議場が静まり返る。
「彼の今回の功績、そしてこれまでの忠誠は世襲の名に値する。よって、フライハイト卿を本日ただいまより、世襲の勇爵家当主と認める。これで規定はクリアされたな?」
強引すぎる論理展開。
だが、元老院議長となった皇族の決定に、異を唱えられる者は誰もいなかった。
「……以上、閉会とする!」
ゼルクが一方的に宣言し、席を立った。
俺は内心でほくそ笑んだ。
(これは僥倖だ……!一代貴族のままでは手が出せなかった権限まで転がり込んできた)
ゼルク殿下が何を考えているのかは分からないが、司法省大臣というポストは喉から手が出るほどありがたい。
司法省は、法と刑罰、そして「囚人」を管理する省庁だ。
これなら、今まで非合法スレスレで集めていた人材――帝国で虐げられている5等民や思想犯たちを、「更生プログラム」や「労役」という名目で、堂々と俺の領地に大量輸送できる。
「5000億人の次は、合法的な人材ルートの確保か。……感謝しないとな」
***
閉会後。
俺は特別応接室で、ゼルク殿下との謁見を許された。
「ゼルク殿下、此度は帝国司法省大臣への選任、並びに世襲貴族への叙任、誠にありがとうございます」
俺は恭しく頭を下げた。
「なに、優秀な臣下を登用するのは皇族の務めだよ、勇爵」
ゼルクはグラスを傾けながら、楽しげに俺を見た。
「卿の政治手腕と、その冷徹さは有名だ。特に……あの『大粛清』は見事だった」
「……ご存知でしたか」
「ああ。自領の汚職役人を、ドロイド軍を使って数千億人単位で物理的に『排除』したという話だろう?……あれは実に思い切りが良い」
ゼルクの目が、怪しく光った。
俺は表情を崩さずに頷いた。
「……お耳汚しを失礼しました。ですが、腐った果実は、枝ごと切り落とさねば木そのものが腐ります。生産効率を阻害する不純物は、徹底的に取り除くのが私の流儀ですので」
誤解ではない。事実だ。
俺の領地において、不正を行い、生産システムの足かせとなる「汚職役人」は、俺にとって「産業廃棄物」と同義だった。
だから俺は、量産したドロイド軍を放ち、文字通り物理的に掃除したのだ。
数千億の命だろうと、俺の領地の稼働率には代えられない。
「いい答えだ。不要なものを躊躇なく切り捨てる決断力……それこそが、これからの帝国で最も尊ばれる素質だ。余はそういう男が好きでね」
ゼルクは満足そうに微笑んだ。
「過分なお言葉、恐縮です。ご期待に添えるよう、司法の場でも帝国に仇なす悪を断ち切って見せましょう」
「うむ。期待しているよ」
「ありがとうございます。では、また」
俺は一礼して退出した。
扉が閉まった後、ゼルクは一人、グラスのワインを見つめて呟いた。
「せいぜい帝国の役に立ってくれよ、勇爵。……汚れ役は、多ければ多いほどいいからね」
***
廊下に出た俺は、待っていたシズに歩み寄った。
「マスター、いかがでしたか?」
「ああ、最高の結果だ。大臣の椅子と、世襲貴族の地位、そして皇子のお墨付きを手に入れた」
俺はニヤリと笑った。
「これで、俺の『生産』活動を邪魔する法律はなくなった。……忙しくなるぞ、シズ」
「承知しました。スケジュールの調整と、5等民の受け入れ準備を進めます」
俺、クロウ・フォン・フライハイトは、新たな権力を纏い、帝国の深部へとその根を張り始めていた...。




