第69話 被害者
「エネルギー充填完了。超光速航行エンジン、スタンバイ。……いつでも行けるわよ、勇爵」
監獄惑星アイリスのメインブリッジ。
制圧された司令室で、クロエが震える声で告げた。
5000億人の命を乗せた巨大な鳥籠が、今まさに自由の空へと飛び立とうとしている。
「ああ、上出来だ。クロエ、後は任せたぞ」
俺、クロウ・フォン・フライハイトは、満足げに頷いた。
「目的地は『惑星エンド』の衛星軌道上。あそこには俺の工場と防衛システムがある。到着さえすれば、帝国軍も手出しはできない」
「……本当に、行っちゃうのね」
クロエが振り返る。
その瞳には、不安と、それ以上の深い感謝の色が宿っていた。
「あんたも一緒に来ればいいのに。あんたがリーダーになれば、私たちは……」
「よせ。俺はあくまで帝国の貴族、フライハイト勇爵だ」
俺はニヤリと笑い、マントを翻した。
「それに、ここからは『被害者』を演じなきゃならないんでな。……さあ、時間だ。俺という人質をゴミのように捨ててくれ」
「……ふふ、分かったわ。最高の悪党に、最大の感謝を」
クロエは敬礼した。
レジスタンス式の、拳を胸に当てるポーズだ。
俺とシズはそれに背を向け、ブリッジ脇にある脱出ポッドの発射口へと向かった。
***
プシュゥゥ……。
気密ハッチが閉まり、俺とシズは狭い脱出ポッドの中に収まった。
ポッドと言っても、要人用の豪華なものではない。緊急時に脱出するための簡素なものだ。
「……おいおい、またポッドに詰められて宇宙に捨てられる運命かよ」
シートベルトを締めながら、俺は自嘲気味に呟いた。
脳裏に蘇るのは、数年前の屈辱的な記憶だ。
場所は、華やかなる帝国首都星。
当時、無実の罪を着せられた俺は、今は亡き宿敵グライム・フォン・ローゼンバーグ公爵の手によって、今回と同じような狭苦しい「処刑ポッド」に無理やり押し込められた。
そして、ゴミ捨て場である惑星エンドへと、文字通り「廃棄処分」として射出されたのだ。
「あの時は、絶望しか無かったがな」
だが今は違う。
俺は自分の意志で、勝つためにこのポッドに乗っている。
かつて俺を捨てたローゼンバーグ家は、俺の手で滅ぼした。
そして今、俺は銀河最強の生産者として、再び宇宙へと飛び出すのだ。
「当時のポッドよりは、空調が効いているだけマシなのでは?」
隣に座るシズが、相変わらずの無表情で淡々と言う。
「違いない。それに、今回は隣に美人がいるしな」
ズドンッ!!
鈍い衝撃と共に、ポッドが射出された。
窓の外、凄まじい速度で遠ざかっていく「アイリス」の巨体が見える。
そして数秒後。
カッ!!!!
空間が歪み、光が弾けた。
直径10000キロメートルの巨大質量が、物理法則を無視して消滅する。
監獄惑星アイリスは、5000億人の囚人と共に、遥か彼方の惑星エンドへと旅立ったのだ。
後に残されたのは、静寂に包まれた暗黒の宇宙と、ポツンと浮かぶ俺たちのポッドだけ。
そして、周囲に漂う「アイリス・カノン」の爪痕――砕け散った小惑星の残骸だけだった。
「……行ったか」
俺は小さく息を吐いた。
作戦は成功だ。
だが、問題はここからだ。
「フェンリルは無事でしょうか」
シズが呟く。
あの超弩級レーザーの直撃寸前、ヴォルフたちは緊急ワープを行った。
座標計算なしのデタラメな跳躍だ。
無事に生き延びている保証はない。
「ヴォルフなら大丈夫だ。あの悪運の強さは異常だからな」
俺はそう信じて、救難信号を発信し続けた。
***
それから、数時間が経過した。
暗黒の宇宙空間。
俺はポッドの狭い窓から、代わり映えのしない星空を眺めながら、大きな欠伸を噛み殺していた。
「……退屈だな」
「酸素濃度、気温共に正常。閉塞感によるストレス反応も見られませんね、マスター」
「当たり前だ。この狭い棺桶の中で何週間も過ごしたんだぞ?食料も水もギリギリで、毎日死へのカウントダウンを数えていたあの地獄に比べれば、たった数時間の待機なんざ、まばたきするような時間だ」
そう、俺にとってポッド生活は手慣れたものだ。
孤独も、狭さも、今更苦痛にはならない。
唯一の問題があるとすれば……。
「ただ、暇だ。窓から見えるこの宇宙の景色にも、そろそろ見飽きてきた」
俺がぼやいた、その時だった。
センサーが反応した。
ピピピッ。
「マスター、接近する艦影あり」
「やっとか。待ちくたびれたぞ」
俺が身を乗り出して窓の外を見る。
漆黒の闇の中から、傷だらけの、しかし威風堂々たる白銀の巨体が姿を現した。
戦艦フェンリル。
自慢の流体金属装甲は剥がれ落ちているが、その航行に揺るぎはない。
「待ってたぞ、フェンリル」
俺は通信機のスイッチを入れた。
ノイズ混じりのスピーカーから、聞き慣れた野太い声が響いた。
『……こちらフェンリル。回収班を向かわせる』
そして、少しだけ声を震わせて続けた。
『……閣下、迎えに来たぜ』
「ああ、遅いぞヴォルフ。退屈で寝るところだった」
俺は安堵と共に、深くシートに体を預けた。
***
フェンリルの格納庫にポッドが収容されると、俺たちは待ち構えていたクルーたちから万雷の拍手で迎えられた。
その中心を割って、包帯を巻いたヴォルフが歩み寄ってくる。
「ご無事で!いやはや、生きた心地がしませんでしたぜ!」
ヴォルフは豪快に笑ったが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「お前こそ、よくあの状況から生還したな。どこに飛んだんだ?」
「座標入力なしで適当に飛んだら、運良く近くのガス星雲の中に放り出されましてね。シールドも焼き切れて、流体金属装甲も全損しましたが、なんとかなりました」
「さすがは元帝国一の狂犬だな」
「へっ、褒め言葉として受け取っておきますよ」
俺たちは固く握手を交わした。
これで、役者は揃った。
アイリス強奪という大犯罪を成し遂げ、全員が生還した。
だが、まだ終わりではない。
むしろ、ここからが「表の戦い」の始まりだ。
「さて、ヴォルフ。進路をセットしろ」
俺はマントを翻し、艦橋へと向かいながら命じた。
「目的地は?」
「帝国首都星だ」
俺の言葉に、周囲のクルーたちがざわめく。
「この一件を、元老院へ報告しに行く。俺たちは『レジスタンスに拉致され、監獄惑星ごと誘拐されかけたが、命からがら脱出して生還した悲劇の英雄』だ」
俺はニヤリと悪党の笑みを浮かべた。
「アインザッツ議長に泣きついてやろうじゃないか。『あなたの管理不足のせいで死ぬところでしたよ』とな」
「クックック……性格が悪すぎて反吐が出るな、最高だぜ閣下」
ヴォルフも凶悪な笑みを返した。
シズが静かに紅茶を差し出す。
「では、私は服を少し破いて、激戦をくぐり抜けた演出をしておきましょうか」
「ああ、頼む。俺も少し顔を汚しておくか」
満身創痍の戦艦フェンリルは、大きく舵を切った。
目指すは銀河の中心、帝国首都星。
5000億人を盗み出した大怪盗は、今度は被害者の仮面を被り、政治という名の戦場へと乗り込んでいくのだった。




