第八十九話 憤怒と笑顔
「リュト! 待て! 冷静になれ!」
シェランさんもリュトの様子とその理由に気付いたようだ。
シェランさんに呼びかけられたリュトは、何事もないかのように笑顔で答えた。
「やだなぁ、シェランさん。俺、冷静ですよ」
そう、彼は笑顔なのだ。
まるで、初めて寺院で会った時のように、屈託なく、爽やかに感じるほどに。
だけど、だけど違う!
いつものリュトじゃない!
普段はシェランさんのことを姐御と呼んでいた!
その態度、言動、雰囲気がまるで違う!
何より、リュトの身体から……… 瘴気が溢れ出している………
「精霊使い殿! 小僧に迂闊に近づかんぬ方が良い! 凶暴化じゃあ!」
ダレフさんの叫び声に打ちひしがれる。
嗚呼、やっぱり………
怒りで我を無くした者が稀になると言われる「凶暴化」。
これになった者は敵味方関係なく近づいた者を破壊すると言う。
そして破壊を尽くしたあと、自我が崩壊するのだ……… 例外は無い。
どうして良いか分からない。
どうしてこうなったか分からない……… 分かりたくない。
「うん、ダレフさんの言う通りだね。危ないから近づかない方がいい」
リュトは顔は笑っているように見えるけどそうじゃない。
研ぎ澄まされた刃物が光るようなものだ。
私でもわかる。
瘴気とともに殺気がダダ漏れになっている。
笑顔で会話ができるのは、彼の自我の最後の灯火。
自我の焔が憤怒の豪炎に巻き込まれたとき、リュトがリュトじゃなくなるんだ。
リュトの殺気に当てられ恐怖を覚える。
けど、それ以上に悲しみが込み上げてきて、眼から溢れ出たものが……… 頬を伝う
「リュト!」
シェランさんもリュトに悲痛な叫び声をかけたが、リュトはそれを遮るようにシェランさんに向かってナイフを向ける。
「ごめんよシェランさん。許せないんだーー俺、死ぬよ」
最後にリュトはそう言うと、ゆっくりと顔をビルツの方へ向けた。
向けた瞬間、その顔はビルツのような感情を感じさせないものとは対極の、憤怒の形相に変わる。
額の血管は浮き出て、髪は怒りで逆立ち、何より殺気により血走った眼孔は人のものとは言い難い。
獣の眼だ。
「ほう、素晴らしい殺気だ。気が変わった。お前も我が使ってやろう」
ビルツは、その悪魔はリュトにそう言葉を投げかけると、右手を差し出した。
ランスではなく剣を構えた騎士が動き出す。
同時に私たちを囲うグール達も、だけど私もシェランさんもリュトの姿から目が離せない。
間も無くして、リュトの瘴気と騎士の瘴気とが、霧の晴れた坑道の中で歪に混じりあった。
なんとか書き続けております。
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