第七十話 撤退
嬢ちゃんのリュトを呼ぶ叫び。
その叫びが、何を意味しているのかを、私はすぐには理解出来なかった。
「叫びやがって! 位置がバレちま………」
そんな思いで、声の主へ舌打ちと共に顔を向けた瞬間、目に入ったそれが私の心を打ち砕こうとする。
リュト!!
心の内に叫ぶ。
それが口から出ようとするのを、唇を噛み堪える。
地面に伏したまま顔を上げないリュト。
私は今にも飛び出して行きたい衝動を抑え、ドワーフの背に寄り、なるべく静かに素早く要件を伝える。
「リュトがやられた。救出してこの場から離れる。援護してくれ」
ドワーフは肩を少しだけ揺らしただけで、小さく返事をする。
「わかった」
それを聞くと同時に私は動いた。
リュトの方向に駆け出した時、少し離れたところで、何か光るものが空中を漂っている。
それがゆっくりと離れていく。
その時、またしても巨大なランスが空を切り裂き、とてつもない速度で飛んでいった。
それは光苔を巻き上げ、壁に火花を散らしながら坑道の闇に消えて行く。
その光りは、あの娘のもつ精霊だった。
そしてランスは、その光りを狙って飛んで来ている。
精霊は、こちらに顔を向けつつも距離をとり離れて行く。
「囮になってくれるのか、ありがたい」
また、私の周囲に光りが届かないように、その光りの強さも調整しているようだ。
「これなら………」
これなら、隠密スキルを持って無くとも、敵に捕捉されることは、ほぼ無いだろう。
私はリュトの元に向かった。
私は足早にリュトの元にたどり着くと、なるべく頭部を揺らさないように体を移動させ、嬢ちゃんが起き上がれるようにした。
リュトの頭部に、袖口を裂いて用意した布を当てる。
触れた感じ、骨に異常があるようでは無いが出血が酷い、早く手当てをしなければ………
「リュト! リュト! 目を開けて!」
起き上がった嬢ちゃんは、まだ混乱しているらしく、叫ぶようにリュトの名を呼ぶ。
迷うこともない………
パンッ!
乾いた音がするのと、私の右手に衝撃が走るのは同時だった。
当たり前だな、頬を平手打ちにしたんだから。
「行くよ。ついて来な」
黙っているところを見ると、正気に戻ったみたいだな。
私はリュトを背に、闇に紛れるように、その場を離れる。
嬢ちゃんも暗い顔のまま、一言も喋らず黙ってついて来ている。
よしよし、あのドワーフも油を撒いた上で火を放ったらしい。
足止めになってくれたらいいが………
そう思っていたところで、嬢ちゃんの精霊が戻ってきた。
「さっきは助かったぜ。ありがとよ」
精霊はそんな言葉より、背のリュトの様子が気になるようだ。
「ああ、わかっている。だけどもう少し先だ。急ごう」
少し戻った所で分岐がある。
そこで罠を張れば、また時間稼ぎになるだろう。
とにかく早くリュトを治療しなければいけない。
グールなどの怪物に遭遇しない様に祈りながら、私は来た坑道の道を戻り、撤退した。




