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八話「本日は快晴なりて、青が私の頭上に降り注ぐ」

 白に満ちていた世界には、いつの間にか青が堕ちていた。


 久遠の空間を覆いつくす青空は、あの日を彷彿とさせる。


 私が君に出会い、夢を持つに至った日のことを。


 ◇


 気負う彼女は私に言った。


「わたしはダメな子だ」って。


 だから私は言い返した。


「ダメなんかじゃないよ」って。


「ダメな子だもん!」と叫んで、その子は泣き出した。


 足し算もできなくて、逆上がりもできなくて、おしゃべりも苦手で、周りの子に置いて行かれてばかりなんだ、と。


 だから私は彼女の頭を撫でて、こう言った。


「あなたがやりたいこと、全部できるようになるまで私がつきっきりで面倒みてあげる」


 なんで、と不思議そうな顔で見上げてくる童女の潤んだ瞳を見つめ返して、私ははにかんだ。


「だって私、あなたの友達だから」


 ◆


 六月も末を迎え、暑さも本格的になってきた。梅雨の時期特有の湿気も相まって不快度は極めて高く、人によっては体調を崩すこともあるだろう。

 しかし、我が校の生徒諸姉はそんなじめじめを吹き飛ばすほどの熱気に包まれていた。


『体育祭』


 年に一度行われる定期行事。多種多様の競技と、ダンス等のパフォーマンスで大いに沸きあがる学生の祭典。

 縦割りクラス別、学年クラス別、部活動別に得点を競い、毎年白熱した展開を見せる。学外からの見学者も多いそうだ。それは生徒各々が真剣に取り組んでいることの証左であり、尽く尽く良い学校なのだなと感心させられる。


 さて、ここで一つ私には悩みがある。

 それは、体育祭で競技を行う者が生徒だけではないということだ。


 ◇


『本日は天候にも恵まれ────』


 体育祭当日。連日の曇天を吹き飛ばしたかのような快晴が目に眩しい。校庭に整列した生徒は皆一様に笑顔をたたえ、落ち着きなく開会の挨拶を聞いている。

 その後、プログラムに沿って準備体操を済ませた生徒たちは蜘蛛の子を散らすように各自テントへと入っていった。校庭中央はぽっかりと穴が開いた状態となる。


『続きましてプログラム三番、二年生による徒競走です』


 本日最初の競技は徒競走。入場門から軽快な音楽と共に列を組んで行進してきたのは、緊張と高揚が入り混じった面持ちの二年生たち。

 私が副担任を務める二年Aクラスの面々が列の中にちらほらと見える。どうやらクラス別に纏まって並んでいるわけではなく、身長順に一定の規則性をもっているようだ。


 ────────あ、いた。


 入場行進していく列の最後尾に静乃ちゃんの姿はあった。いの一番に彼女の影を探してしまった事実に気が付き、奇妙な恥ずかしさを覚えた私はサッと目を逸らす。勘違いでなければ、静乃ちゃんとバッチリ目が合った気がする。



『用意────』

 空気を弾く銃声とともに駆け出していく走者。


「いけいけーっ! がんばれーっ!」


 私は教師用テントの中から声援を送っていた。私だけが声を出しているわけではなく、周囲の教師も我先にと大声を張り上げている。

 それだけ熱い展開なのだ。足が早いとか遅いとかそういうものではなく、皆が皆全力で走るためとにかく盛り上がる。朝一番のプログラムだというのに教師も生徒も、そして保護者席も興奮に包まれている。

 一位になった子は雄叫びをあげ、競り負けた子は天を仰ぐ。最下位でも自陣のテントに向けてピースを放ち、テント側も応えるように盛り上がる。


 なにこれめちゃくちゃ楽しい!


 会場が一体となって夢中になる。

 あっという間にレーンの待機者は数を減らし、いよいよ最終走者の登場だ。七つのレーンでクラウチングスタートを構えるのは、軒並み運動部で優秀な成績を持つ生徒たちだった。全員が張り詰めた雰囲気を出し、どれだけこの勝負に真剣なのかが伺える。私も当てられて固唾を呑む。

 内側から三番目のレーンで、結い上げたポニーテールを一撫でしたのは静乃ちゃん。俯いているためその表情は見えないが、さぞかし凛々しいことだろう。

 私の視線は静乃ちゃんに集中していた。


『位置について。用意────────』


 パンッ!


 大地を揺るがしたと錯覚するほどの踏み込みをもって行われたスタートダッシュ。低い姿勢から風を切るように上体を持ち上げていき────────躓いた。


「────っ!?」


 途端にバランスを崩す静乃ちゃん。足がもつれ、失速する。


 ────────そんな静乃ちゃんを視界に収めた瞬間、私の感覚はブレた。


 間延びしたようにスローモーションになる光景。

 音が消え去った世界に映るのは、自我のない私がもたらした既視感(デジャヴ)

 過去と現在。二つの時間軸が混ざり合って脳裏に過った言葉は────────


「負けるなああああああ! ()()()()()()()()()()!」


 ────────声が届いた。


 静乃ちゃんは一度両足を揃えて踏ん張ると、次の瞬間には疾風のごとく駆け出して行った。

 一度落ちたスピードでつけられた差をグングンと盛り返していき、一人、また一人と追い抜いていく。


「いっけえええええええええ!!」


 ゴールテープを切ったのは────────


「静乃ちゃん!」


 怒涛の六人抜きを達成して天高く腕を掲げる静乃ちゃんは、眩みそうなほどに輝いて見えた。


 ◇


『午前最後の競技となりました。プログラム九番、二年生によるクラス対抗玉入れです』


 来た、私の出番。クラス対抗玉入れの参加者は、各クラス代表十名に副担任を加えた十一名。静乃ちゃんは午後からのリレーに参加するため、玉入れには出場しない。

 教師参加型で競技を行うのも珍しい校風だと思ったが、学内での協調性を高めるという目当てには合致しているため採用されているとのこと。


『競技者の皆様は位置についてください』


 アナウンスに従って、私たちは立て棒を取り囲むように位置を取る。

 両手には握りこぶし大の布製の玉。見上げたるは地上三メートルの高さに鎮座するカゴ。

 生徒の皆に良いところ見せちゃいますか!


『用意────────』


 パンッ!


「うぉりゃっ!」


 開始間もなく投げ上げられた球は美しい放物線を描き────


「届かないっ!?」


 籠の下を通り抜けていった。


「さやちゃん先生かわいーっ!」

「さやちゃん届いてないよー!」


 自陣のテントから声援もといヤジが飛んでくる。耳まで熱くなるのを感じながら私はそそくさと足元の玉を拾い上げた。

 落ち着け私。狙いをすませば難しいことではない筈だ。


「よしっ!」


 乾坤一擲(けんこんいってき)。イメージするのはプロ野球選手。

 大きく振りかぶって────────投げる!


「あははっ、さやちゃん後ろに飛んでるよ~!」

「どうやったら後ろに投げられるの~! 先生~っ!」

「がんばれさやちゃんせんせー!」


 湯気が出るんじゃないかというほど顔が熱い。前に投げようと思ったら後ろに飛んでいた。

 私は再び足元の玉をひっ掴む。今や私にとって頭上のカゴは天高く聳え立つ巨塔以外の何物でもない。

 だが、ここで私は一つの天啓を得た。


 ────────アンダースローで投げれば良くない?


 ここまでの私は野球のピッチャーをイメージしたオーバースローで投擲していた。しかし、肩力もコントロールもない私が実践するには高難度すぎたのだ。

 ならば下から持ち上げるように投げるとどうだろうか。力がない私でも簡単に玉を浮かせることができる。

 これしかない。

 私は重心を低くして力を溜め、身体をバネのように弾ませて下から腕を振り上げた!


「いけーっ!」


 私の手を離れた玉はぐんぐんと高度を上げ、カゴの高さまで至った。


 ────────よし、いける!


 尚も上昇を続けた玉は地上五メートルほどで最高到達点に達し、自由落下。

 そしてそのまま────────


「ぶぺっ!」


 私の額に落ちてきた。

 衝撃で重心が後ろへと傾いた私の体は崩れ落ち、ぺたんと尻もちをついた。


 パンッ!


『そこまで! これより玉の数を数えます。競技者は整列して待機してください』


 生徒の一人に手を貸してもらって起き上がる。

 自陣のテントに目を向けると教え子たちが笑い転げていた。


「さ、さやちゃん、ひ、ひーっ!」

「あはは、あはっ、可笑しいっ!」


 笑いすぎだぞー。顔覚えたからな……楽しんでくれたのなら別にいいけど!

 競技の結果は私たちのクラスが僅差で一位。凄い。私が醜態を晒している間に頑張ってくれたみたいだ。


 ちなみに静乃ちゃんは私の競技中ずっと大爆笑をかましていた。

 タノシソウデナニヨリデス……。


 ◇


 午前の種目を終えて昼食休憩となった。


「紗耶香さん」


 職員室へ向かう私へと声をかけてきたのは静乃ちゃんと────


「お久しぶりです、美雪先生」

「あー……どうも」


 静乃ママだった。

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