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三話「私は、私の可能性を信じてみることにした」

【TIPS】登場人物

美雪みゆき 紗耶香さやか……言葉巧みにころがされる人。

ゆずりは 静乃しずの……言葉巧みにころがす人。

 時計の短針が十を少し回る頃、私と楪さんはアパレルショップが軒を連ねる通りを歩いていた。休日ということもあってか随分と人が多い。


 私はというと、内心わくわくしっぱなしだった。つい数十分前までは世間体だの倫理だのと思い悩んで唸っていたものだが、今となっては些事にすぎない。


『紗耶香先生、おどおどする必要はありませんよ。私たちは悪いことをしているわけではないですから』

『年頃の少女二人がショッピングに出掛けるだけ。誰にも迷惑をかけていないのに、有象無象に何かを言われる筋合いはありません』

『それに先生はお忙しい中、今日のためにお仕事をたくさんこなされたと聞きました。私……とても嬉しかったです。今日は精一杯エスコートさせて頂きますね』


 以上が楪さんの言だ。

 だよね! 悪いことしてないもん! 今日一日空けるためにお仕事いっぱい頑張ったもん! バレたらバレたでその時はその時だ! がっはっは!

 私だって教師である以前に人間だ。女の子としてショッピングを楽しんだっていいじゃない。


 人はこれを開き直ったとか絆されたというらしいね。


 ただ、私には一つ気がかりなことがあって────


「ねえ楪さん。『先生』って呼ぶのやめない?」

「ふむ?」

「ほら、どこで誰が聞いているか分かんないし、その、デっ、デートに『先生』っていうのも仰々しいというか、ね?」

「なるほど、つまり──」

「名前で呼んでほしいかなー、なんて、あはは」


 自分よりも遥かに年下の子に名前呼びを催促。

 それは、ほんの思い付きだった。折角、教師と生徒という垣根を越えて──正確には垣根を無視しているだけだが──遊びに出掛けるのだから、今日くらいは無礼講で対等でフランクな関係であってもいいんじゃないか、と。

 また、仲良くなれればなという下心もちょっとだけあったりする。手を引いて前を歩く楪さんに、形容し難い『甘えさせてくれるお姉ちゃんオーラ』を感じてしまったのだ。頼れる人に甘えたがってしまうのは私の本能に近い部分でもあるので多めに見てほしい。

 回りくどくなってしまったが、要するにこのデート(?)を切っ掛けにして、楪さんともう少しお近づきになりたいのと思ってしまったが故の、先の発言であったわけだ。

 楪さんからすれば迷惑極まりない注文だということは理解していたため冗談めかして言ったのだが、楪さんの反応はというと────


「!?」


 ────目を大きく見開き、固まっていた。信じられないものを見た、という顔だ。


「楪さん……?」

「(いや、まさか、そんな、これは予想外ですね、名前呼びというステージはまだ早いと思っていましたが、()()()()()の方から迫ってくるとは、いやはやこれは好機、ここで一気に距離を詰めて……いえ、落ち着きなさい静乃、焦ることと大胆に距離を詰めることは相異なるわ、プランを再構築して最適解を出すのよ──)」

「ど、どうしたの……?」


 楪さんは唐突に虚ろな目をしたかと思うと、低いトーンで何やら呟いている。怖い。


「大丈──」

「それでは! お互いにファーストネームで呼び合うというのはどうでしょう!」

「ひゃっ、ぅん…………」


 突然目に光を取り戻し威勢よく喋る楪さんに驚き、返事と悲鳴の混ざった変な音を漏らしてしまう。私としては苗字──ファミリーネームで呼んでもらえればそれで十二分だったのだが、どうやら楪さんは「名前」という表現をファーストネームと受け取ったらしい。日本語って難しいね。


「──紗耶香さん!」

「ひゃ、ひゃいっ」


 楪さんが私の名を呼ぶ。私より頭一つ分以上高いところから見下ろしてくる彼女の目は真摯で、澄んでいた。思いがけず胸が高鳴り、きゅっ、と喉が絞まる。年下の女の子に名を呼ばれ、どうしてこんなにも嬉しくなってしまったのだろう。私の知らない感情だ。


「私のことは静乃とお呼びください」

「う、うん……」


 ぐっ、と上体を前傾させて私に迫る楪さんに押されるように私は首肯し────


「し、静乃ちゃん!」

「はい、紗耶香さん!」


 打てば響くとはこの事か。名を呼ぶと、快活な返事と共に満面の笑みを浮かべる楪さん────改め、静乃ちゃん。

 静乃ちゃん、静乃ちゃん…………うん、彼女に似合う、綺麗な音だ。心地いい律音を反芻(はんすう)し、私は頬を緩める。


「静乃ちゃん!」

「はい、なんでしょう!」

「呼んでみただけ!」

「…………うっ!」


 私が静乃ちゃんの名を呼ぶと、彼女は苦し気に心臓あたりを掻き抱いた。


「これは破壊力抜群ですね」

「破壊力?」

「いえ、こちらの話です。それでは、改めてよろしくお願いしますね」


 静乃ちゃんは私の手を恭しく取ると、指を絡めてきた。


 ────!?


 呼び方が一つ変わっただけでこんなにも距離感が変わるのかという驚きと、年齢や立場など関係なしに、もっと仲良くなっていけたらな、という期待で私の心は満たされていた。


 ◇


「たくさん買いましたね」

「ちょっと買いすぎたくらいだよ……しばらくは節制しなくちゃ」


 昼下がりとなり、私と静乃ちゃんは両手いっぱいに紙袋を下げていた。夏物の服どころかアクセサリーや化粧品まで買っていたらいつの間にかこうなってしまった。

 買い物の様子であるが、延々私が静乃ちゃんの着せ替え人形になったとだけ言っておこう。

 ちなみに、静乃ちゃんの物は全くと言っていいほど買っていない。欲しいものはないのかと尋ねたところ、悟った表情で『物欲よりも遥かに崇高なものを貰いましたから』などと述べていた。静乃ちゃんはこのように時々よくわからないことを言うので面白い。


「どこかで昼食を取りたいですね」

「そうだね、いい時間だし」


 そのような会話の後に私たちが足を向けたのは、全国規模でチェーン展開をしているファミリーレストラン。窓際の席に通された私たちは荷物を下ろし、ほっと一息吐く。


「ひゃー、疲れた」

「歩き通しでしたからね。随分遠いところまで来てしまいました」

「帰りも歩かなきゃって思うと憂鬱だー」

「帰りはタクシーでいいと思いますよ」

「あー、うん、はは」


 今しがた散財して財布の軽さが危険域なのでタクシー代は出したくないかも、とは恥ずかしくて言い出せない。正直、昼食の話が出た時もヒヤリとしたものだ。静乃ちゃんは育ちが良さそうなので「お昼はお寿司にしましょう」なんて言われた日には絶倒していた。私がファミレスへとちらちら視線を向け、ミスディレクションを(おこな)って勝ち取った結果がこの店、この座席だ。ありがたや。


「それにしても、今日は天気がすぐれませんね」

「うん。天気予報に従うなら、この後は晴れる筈だけど」


 窓越しに外を見遣ると空はすっかり灰黒色に染まり、今にも雨粒がガラスを叩きそうである。二人して遠目に見上げていると、横合いから声を掛けられた。


「お待たせいたしました、注文がお決まりになりましたら、そちらの呼び出しボタンを押してください」


 お冷とメニュー表を持ってきてくれた店員さんにお礼と会釈をし、渡されたメニュー表に目を通す。

 私の目の前に置かれたメニュー表は、堂々たる──


「──お子様ランチ」

「ふふっ、ふふふふふっ」

「知ってましたー。いつもこうなるからね。というか静乃ちゃん笑いすぎ」

「すみません、少々ツボに入ってしまいました……いいではないですか、お子様ランチ。安くて、おかずの種類も豊富ですし」

「まあね、お子様ランチにも店員さんにも罪はないから」


 その後、私がお子様ランチを注文すると、静乃ちゃんはぶり返したようにもう一度笑うのだった。

 美味しいもん。仕方ない。


 ◇


 会計を済ませて店を出た私たちだったが、ここで足止めを食らう。


「本降りですね」

「雨具持ってきてないや」

「私もです。今から買いに行くにも、少々距離がありますね……というわけで」

「……というわけで?」

「家の者に、迎えに来るよう、電話を一本入れておきました」

「んんんん!?」


 食事中に静乃ちゃんが手を止め、お花を摘みに行ってきますと一言告げて席を立つ場面があったが、まさかご家族のどなたかを召喚していたとは。気が利く行いだが、私は内心恐々である。


「え、それ、私と静乃ちゃんが一緒に、デートで、親御さんが」

「落ち着いてください。大丈夫です、迎えに来るのは親ではなく執事ですから」

「執事ぃ!? 燕尾服に白手袋に白髪で『爺や』って呼ばれるあの執事!?」

「偏見が過ぎますが、多分、その執事です」


 私は今の会話だけで顔を青くしたものだが、ややしてファミレスの駐車場にそぐわぬ高級車と紳士が現れた時には全身から変な汗が噴き出した。


 ◇


「ねえ、なんで、静乃ちゃんの家へ行くことになってるの……」


 私はてっきり駅などの交通機関が盛んな所へ向かっているものだと思っていたが、全くそんなことはなかった。


「何か不都合がありましたか?」

「ありまくりだよ……?」


 ご家族の方に出くわした日には、何と言えばいいか分かったものではない。教師の身でありながらお宅の娘さんと遊んでました、と土下座を伴って身の潔白の証明をすればいいのかな。いや、この言い方だと不純な感じしかしない。


「ご家族の方もいらっしゃるだろうし、ね?」

「心配ないですよ。父は出張中、母も暫くは会社に泊まると言っていましたから」

「いやぁ~、うーん」


 私の出す「帰らせてくださいオーラ」が、静乃ちゃんの出す「ええじゃないかオーラ」の前に霧散していく。


「途中で降りてタクシー拾うからさ、今日はここまでということで────」

「まあまあ、よいではないですか」


 あ、もうこれ、人の話を聞かないモードの静乃ちゃんだ!

 その後、言葉巧みに再三転がされる私なのであった。


 ◇


「ねえ、このエレベーター、どこまで上がるの?」

「最上階から二つ下のフロアですね。階数にすると二十八になります」

「はぇー……」


 ここまでの道中、ほぼ一方的に静乃ちゃんの話を聞いていたのだが、高級車を数台抱えていることに始まり、この高層マンションの最上階から数えて三つのフロアは楪家のものだとか、先ほど送迎をしてくれた執事さんを含む使用人が大勢いることだとか、海外に別荘が点在しているだとか、自家用ジェットがあるだとか、もう理解が追い付かない。これらを自慢げにではなく、ただの事実として淡々と述べる静乃ちゃんも意味不明だ。

 私の感想を三文字で述べよ、と尋ねられたら「はぇー」以外の解が出てこない。これでも国語教師なんだけどね。


 ややして、体がふわりと浮くような感覚と共に、チンッ、というベルの音が軽快に響く。静乃ちゃんに促されるように、私は豪奢な箱から降りた。外廊の時点で一面に大理石が敷き詰められており、磨かれすぎたそれらからの反射光が目に痛い。と、絢爛(けんらん)な床や天井に目を奪われている間に、目前にまで楪家の玄関が迫っていた。


 ここまで来て、私の中には「早く帰りたい」以外の考えがなかった。身分の違いを感じすぎて居た堪れないというのもあるが、何より教え子の家に赴くという行為に、今更ながらとんでもないことだという実感がわき始めていたからだ(遅い)。


「それでは、紗耶香さん、ようこそ我が家へ」

「お、おじゃまします」


 カードと指紋と虹彩によるアンロックを済ませた静乃ちゃんは、ゆっくりと鉄扉を開いた。

 そして、開いた先には────


「あら、おかえりなさい、静乃」


 なっ────────


 艶やかな濡羽色の長髪。

 釣り目気味の双眸、通った鼻筋、柔らかな唇が奇跡的なバランスで配置された美貌。

 和装に包まれた身体は起伏に富んでいて且つ、すらりと高い。


 ────私はこの類の美しさを知っている。



 理解が及ぶと共に、意識が吹っ飛びかける。

 だが、すんでのところで、私の理性が意識を繋ぐ。


 そう、この人は────


「お母様、帰られていたのですか」


 静乃ちゃんの声も、どこか遠く聞こえる。それほどまでに、私の耳奥で警鐘が鳴り響いていた。

 静乃ちゃん、家族は不在とか言っていたのに全然そんなことはなかった。お家にお邪魔して零コンマ二秒で御家族の方とエンカウントしてしまったではないか。リアルタイムアタックだったらさぞかし優秀な数字であったことだろう。


「すみません、紗耶香さん」


 困った、とでも言いたげに頬に手を当てる静乃ちゃん。その仕草はどうにも芝居がかって見えたが、今はそんなことにまで気が回らない。


「始めまして、静乃の母です。以後、お見知りおきを」


 静乃ちゃんの母と呼ばれた人は、嫋やかな笑みを浮かべたまま────薄く目を眇めた。


 ────────見定められているっ!


 恐らく静乃ちゃんのお母様は、私という異端な存在について思考を巡らせていることだろう。

 突如として娘が連れてきた見た目小学生の女性。当然、事情は()かれる筈だ。もし……もしも、ここで私が身分を明かし、今日のことを洗いざらい話したとして、どうなるのか。


 恐らく、タダでは済まない。威圧感を放つ目の前の美女が、私を赦してくださるとは思えない────と、私の直感が告げている。


 ならば、私にできることは何だ。


 考えろ。


 本当のことは話せない。怖いから。


 嘘を吐くしかない。


 不自然に思われないような、私と静乃ちゃんの関係性。


 考え直せ、私と静乃ちゃんの関係性は、客観的に見て────────



 その時、私は天啓を得た。



 これだ、これしかないっ!

 私は身体から力を抜き、大きく息を吸うと、表情筋の全てを駆使して────────破顔(はがん)一笑(いっしょう)ッ!


「はじめまして! 静乃お姉ちゃんにはいつもお世話になってます! わたしの名前は美雪紗耶香っていいます! 小学五年生ですっ!」


「えっ……!?」


 小さく声を漏らしたのは、静乃ちゃんのお母様。静乃ちゃんはこちらを見て、唖然としている。


 この時、この場において、私は幼気(いたいけ)な子供を演じ切る────────!!


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