十八話「月下の誓い」
結局、静乃ちゃんは化粧を落としてコスプレ用の制服で学園内を歩くことになった。背が高くて見目麗しい彼女は過度に目立たなくても十分に人目を惹くのだ。
私はちょっとやりすぎなくらいのコスプレをしていたのですが……?
しかし、終わったことを言っていても仕方が無いので今この瞬間を楽しむことにする。静乃ちゃんが看板を掲げる横で私も歩幅を合わせて静乃ちゃんに付き添う。
広告塔になっている最中は基本的に自由行動であるため、一緒に文化祭を見て回らないかと静乃ちゃんからお誘いを受けたのだ。断る理由も無かったため頷いたのだが、二人きりのデートというわけではない。
廊下を歩けば大勢の人に囲まれ、パシャパシャと写真を撮られる。校内きっての美女と、世間を多少お騒がせしたらしい小っちゃい珍獣の組み合わせだから目立つのもやむなし。寧ろ宣伝としては目立ってナンボだから、この状態が理想形ではあるのだろうか。
写真を撮られることを気にするでもなく悠然と歩く静乃ちゃんに舌を巻きつつ、私もそれに倣って胸を張ることにした。教職員であることを示す名前入りのネックストラップを隠しつつね。
「かなり歩きましたね。休憩しましょうか」
「うん、お昼ご飯は料理部にお邪魔する?」
「そうですね。宣伝主優待がありますし、料理部の皆さんにお世話になりましょうか」
料理部は初日に私が宣伝を行っている。そのお礼という形で食券を貰っていたのだが、今日まで使わずじまいだった。厚意で貰ったものを無下にするわけにもいかないし、静乃ちゃんを誘って家庭科室の扉をくぐる。
中には既に大勢の人がいて、ほぼ満席状態だった。宣伝の効果が表れているようで思わず頬が綻ぶ。
「あ、さやちゃん先生来てくれたんだー!」
私たちが空いている席に腰を下ろすと、店の奥からエプロン姿の少女が出てきた。彼女は私が受け持つクラスの料理部の子だ。
「調子はどう?」
「絶好調だよ、これも先生のおかげだね!」
「よかった。注文してもいい?」
「どうぞどうぞ、先生と楪さんには出血大サービスでご飯大盛りにしてあげる」
「大盛りは私の胃袋的にキツいよ……じゃあ、私はオムライスで」
「では、私も同じものを」
「了解! 愛を込めて精一杯作るよ!」
「別のお店になってない?」
私の心配を他所に、料理部の子は厨房へと駆け込んでいく。シェフが直接オーダーを取っていたのか……というより、厨房から私たちの姿が見えたから駆け付けてくれていたのかもしれない。ほっこりして笑みがこぼれる。
そんな私の笑みを見て、静乃ちゃんも微笑んだ。
「私たちのクラスの出し物がこうして貢献できていると知れて、正直とても嬉しいです」
「私も同じこと考えてた」
「本当ですか? 大好きなオムライスのことを考えていたのではなくて?」
「うっ……そんなことないし」
「紗耶香さんは外食の時、いつもオムライスを頼みますよね」
「それはオムライスが美味しいから仕方ない。オムライスが美味しいのが悪い」
「ふふっ……それなら、今度は私が作りますよ」
「おおっ!」
静乃ちゃんお手製のオムライス。楽しみすぎる。
その後、私たちのテーブルに届けられたオムライスはプロの味と遜色なくて、静乃ちゃんと顔を見合わせて驚いた。
厨房からはドヤ顔とピースサインが届いたので、私たちもピースサインで返した。
お昼からは広告塔の仕事を熟す静乃ちゃんの傍らで校内を見て回った。
映画研究会と演劇部の合作で放映されていた恋愛映画に号泣。
オカルト研究部が旧校舎を貸し切って展示していたお化け屋敷で絶叫。
園芸部と科学研究部の合作で行われたドライフラワーの生成実験で喝采。
運動部が合同で開催していた体力テストに参加して転倒。
茶道部で静乃ちゃん直々にお茶を入れてもらってまったり。
一日では回り切れない展示物。その全てが愛おしくて、素敵で、私は童心に帰ってはしゃいでいた。隣にいた静乃ちゃんも私につられてか、いつもはしないような砕けた笑顔を見せていた。
来年は美術館で展覧会をしている美術部の作品や、ホールで演奏している吹奏楽部の演奏も見に行きたいね、と話しているうちに、慌しくて、大変で、でも、楽しさに満ち溢れた文化祭は終わりを迎えた。
◇
バチバチと燃ゆる音と、それを囲む生徒たちの声が風に乗って屋上まで届く。
文化祭の終了から間をおいて十八時。大まかな片付けが終わってから後夜祭が始まった。焚火を囲んでいる生徒諸姉はフォークダンスを踊り、代わる代わる手を取り合っている。
「なんだかイケないことしてるみたいだね」
「そう……ですね」
隣に佇む静乃ちゃんに声をかける。静乃ちゃんは私の言葉に、困ったように笑った。
私と静乃ちゃんは祭りの輪から抜け出して二人、校舎の屋上から後夜祭の様子を眺めていた。誘いをかけてきたのは静乃ちゃんだ。お話があります、と連れてこられた。
屋上は立ち入り禁止というわけではなく、施錠がされているわけでもない。いつでも誰でも立ち入ることができるが、後夜祭の時間に屋上を訪れる奇異な人間は私たち以外にはいないらしく、夕闇に包まれたこの場所には私と静乃ちゃんの二人きり。
「きっとクラスの子たちは静乃ちゃんのことを探してるよ? クラス展示の立役者なんだし」
「それこそ、紗耶香さんもですよ。多くの人を動員できたのも紗耶香さんの活躍があってこそです」
「あはは……だといいね」
火を囲む生徒たちの踊りが変わった。耳に届く曲もアップテンポのものから、落ち着いたものへと変化する。
そんな風景に少しだけ寂寥を覚える。秋の夜風も相まって、私の身体は小さく震えた。
「…………」
私たちの間には心地いい沈黙が流れている。
静乃ちゃんは私に話があると言ってここに呼び出した。しかし、彼女は中々切り出さない。いや、切り出せないのだろう。
だから、私も待つことにした。
今は、静乃ちゃんと一緒に居られる刹那的快楽を味わっていよう。
静乃ちゃんの踏ん切りがつくまで思案してみる。教師の私に相談事とは何だろうか。
家庭のこと、成績のこと、お金のこと……これらは問題ないように思える。
だとしたら、以前から承っている衣装のデザインだろうか。衣装が完成したら私に見せてくれるという約束を彼女は覚えているだろうか。
静乃ちゃんと出会って……いや、再会してから半年。色々あったな。
入学初日にお弁当を貰って、次の日には連絡先を交換したっけ。モデルになってほしいと頼まれて、写真も送るようになった。
初めて二人で遊びに行った帰りに楪家に連れていかれて、お母さんと対面したこともあった。あの時は気が動転して子どものフリなんてしてたんだっけ。消したい過去だ。
静乃ちゃんが私の家に来たときは一緒にお風呂に入ったり、ご飯を食べたり、同衾したりとカップルみたいなことばかりしていた。あの時、ババ抜きで一度も勝てなかった理由が分からないままなんだよね。
運動会で私は痴態を晒してしまった。静乃ちゃんにも笑われて恥ずかしい思いをした。一方で、静乃ちゃんはカッコよかった。お姫様抱っこなんて生まれて初めてされたし、たぶん一生忘れられない思い出になるだろう。
そして、夏休みが明けて現在。文化祭はコスプレさせられて写真を撮られて追い掛け回されて。散々だったけど、心のどこかでは楽しんでいた。静乃ちゃんが私のことを「かわいい」って言ってくれるのが嬉しくて、満更ではなかったことは確かだ。
ああ、思い返せばいつの間にか私の生活の中心に静乃ちゃんがいた。
「ねえ、静乃ちゃん」
私は思わず声をかけてしまった。彼女の言葉を待つつもりだったのに、心の堰を切って止めどない感情が溢れてくる。
「静乃ちゃんの話の前に、少しだけ私に語らせてほしいことがあるんだ」
私はグラウンドで燃え盛る情熱的な炎から視線を外し、静乃ちゃんへと向き直る。私たちを照らすものは遠く、その表情は窺えない。
「四月、初めて静乃ちゃんに出会ったとき、不思議な子がいるんだなって思っちゃったの。なんでこの子は私に構ってくるんだろうってね。でも、今年の夏休みに……思い出せたんだ。なんで忘れてたんだってくらい簡単な切っ掛けでさ」
私が言葉を区切ると、静乃ちゃんは息を呑んだ。やっぱり、静乃ちゃんは頭が良くて、察しが良い。こういう時は、もう少し鈍くてもいいんだよ?
「こんな私にもう一度会いに来てくれてありがとう、しーちゃん」
しーちゃん。幼い時の呼び名を声に出すと、静乃ちゃんは弾かれたように私に飛びついてきた。
よろめきそうになるのを堪えて、そっと彼女の頭を撫でる。昔そうしていたように、思い出を慈しむように。
「紗耶香さんと再会できたとき、私のことを覚えていないんだって理解して、悲しかったです」
「うん」
「でも、改めて聞き出すことが怖くて自分からは言い出せませんでした。忘れられているのなら、一から思い出を作っていけばいいんだって、無茶な要求をしたりもしました」
「そっか」
「私は十年以上も紗耶香さんの影を追いかけてきました。再会したときに褒めてもらえるように勉強、スポーツ、料理や芸術まで真剣に取り組んできました……でも」
「ごめんね……」
「どうして、思い出してから直ぐに言ってくれなかったんですか」
「それは……だって、万が一、静乃ちゃんが私のことを覚えていなかったらショックだし……」
私の言葉に、静乃ちゃんは一瞬固まる。それから、呆れたように溜息を吐いた。
「同じだったんですね。私たち」
「だね。でも、もう思いは通じてる」
静乃ちゃんのサラサラな髪に手櫛を通す。彼女は心地よさそうに私の胸に顔を埋めた。
いつまでそうしていただろうか。頬を撫でていた夜風は凪ぎ、遠くの声も聞こえなくなった。
ここには私たちだけがいた。
「紗耶香さん」
「どうしたの?」
「私、決心がつきました」
私の胸から離れた静乃ちゃんの顔を、折よく雲間からの月明かりが照らし出す。
その表情は優しくて、気品にあふれていて────触れたら壊れてしまいそうだった。
「紗耶香さんを呼び出したのは────告白をするためです」
「こく、はく……」
意識外からの通告に私が瞠目していると、頬に手が添えられた。宝石を扱うように丁寧な指使いで、そっと撫で上げられた。
「私にとって、紗耶香さんは光でした。いつも俯いていた私を変えてくれたかけがえのない人。どれだけ心身が成長しても、ずっと貴女の背中だけを追い続けていました」
静乃ちゃんは笑った。
私の心臓はバクバクと跳ねまわっていて、煩いくらいだ。
今は、彼女の声だけを聴かせて。
「いつしか、思い出は想いに。紗耶香さんのことを懸想しない日はありませんでした」
彼女の言葉の意味が分からないほど鈍い私ではない。十数年もの間、私は慕われていた。
静乃ちゃんは一度間を取ると、どこまでも優しい声音で愛の言葉を囁いた。
「結婚を前提に、私とお付き合いしてください」
目と目が合う。
黒曜石の瞳は潤んでいる。
愛しい。だけど、哀しい目。
不安と期待で一杯で、今にも涙が零れそうだ。
きっと、私も同じような顔をしている。
「もし────私を受け入れてくださるのなら」
頬に添えられていた手に、僅かに力がこもる。
「どうか、拒まないで」
月下に咲く花の如く美しい静乃ちゃんの瞳が閉じられる。
瞼が下りたのか、月が隠れたのか。
連れて、私の視界も閉ざされた。
初めてのキスは、甘い彼女の味がした。




