十五話「家主を差し置いて人を招き入れるのはダメだと、私は思う」
「ここに静乃がいるの?」
「たぶんだけど……にゃ」
「ふーん。案内ありがとね、さや姉」
静乃ちゃんに会いたいと言った彩花ちゃんを連れてやってきたのは、絶賛営業中の茶道部だ。ここに来るまでの間、彩花ちゃんはずっとにこやかに校舎内を見て歩き、時折思い出したように私の写真を撮っていた。
「ねえ、ここまで来て訊くのもアレだけど、どうして彩花ちゃんが静乃ちゃんのことを?」
「へ? そりゃあ昔馴染みだからね。今日は会いに来ただけだよ。っていうかさや姉『静乃ちゃん』って呼んでんだ。教師と生徒の間柄にしては……ちょっとフランク過ぎない?」
「べっ、べつにー? 最近の高校生はこんなもんだにゃ~」
ぴゅ〜、と口笛を吹く私の背を汗が伝う。通気性の悪い着ぐるみパジャマのせいもあって、汗で蒸れて気持ちが悪い。
私と静乃ちゃんの関係はなるべく知られたくない。特に、半生を共にしてきた妹には何と言われるか分かったものではないからだ。
「それでは、彩花ちゃんを送り届けたということで私は宣伝活動へ戻らせていただきますにゃ」
「本当は一緒に会いに行って欲しかったけど……まあいっか、それは別の機会で」
彩花ちゃんは悪戯っぽく口元を緩め、横目で私の事を見遣ってきた。絶対悪いこと考えてる顔だよアレ……。
静乃ちゃんと彩花ちゃんを対面させることには不安しかないが、その場に私がいてもボロを出すだけだということは分かり切っている。ここは大人しく身を引いて天命を待つしかない。
「もし静乃ちゃんが今いなくても、茶道部で待っていればきっと会えるにゃ」
「りょーかい。静乃に挨拶し終わったら、さや姉に連絡するね。合流しよ」
「おっけーにゃ」
ケータイは職員室に置いているため、一度取りに行く必要がありそうだ。
私は踵を返すと、再び校舎内を練り歩き────
「おーい、さっきの女の子!」
「ねえねえ、一緒に写真撮ろうよ!」
「にゃっ!?」
油断していたためか、女子大生らしき集団に取り囲まれていたことに気が付かなかった!
こら、カメラを向けるな、見世物じゃないぞ!
いや嘘つきました、見世物だけど、撮影は勘弁して!
「あっ、逃げた!」
「待って〜!!」
待てと言われて待つ人はきっといないことだろう。猫コスプレの私とお姉さんたちの鬼ごっこが再び幕をあけるのだった……!
◇
さや姉に案内されて訪れた部室は入口に暖簾がかけられていた。くぐって足を踏み入れると、床机が並べられており、本格的な茶屋の造りを呈している。
私が視線を巡らせると、ひときわ目を引く着物姿が写り込んだ。艶やかなそれに身を包んだ少女は幼い頃からの腐れ縁で────認めたくないけど、恐らく私の義姉になるであろう人物。
「彩香さん……?」
「静乃、おひさー……っていうほどでもないか。一週間ぶり」
片手を挙げて笑みを浮かべた私を見て、静乃は小さく頷いた。彼女の手招きに従って併設された準備室に連れられると、静乃は真剣な表情で私の顔を見据えた。
「首尾は如何ですか」
「イイ感じ。ほれ」
私は首に提げたデジカメの成果を披露する。猫の着ぐるみを着た幼女もとい姉の姿が画面いっぱいに広がる。プラカードを持って歩く姿は子猫の行進を連想させた。改めて見てもめちゃくちゃ可愛いな。
「素晴らしいです……!」
覗き込む静乃の目は充血していて気持ち悪い。私のお姉ちゃんに発情するのやめてくれー?
私がデジカメの電源を落とすと静乃は何事もなかったかのように取り繕った。切り替えが早すぎる。サイコパスっぽくて怖い。
「はいはい、続きは文化祭が終わってからね。まだ撮影するんだし」
「そうでした。それで、何か用事があってここを訪れたのではないですか。報酬の交渉ならメッセージアプリで受付いたしますが?」
「いやいや前も言ったけど見返りは要求してないよ。私も可愛い姉の姿を収められて楽しいし」
「ふむ……では、私の顔を見に来たとか?」
そんなわけあるか、と思ったが声には出さない。静乃もその可能性は低いと踏んでいるのか、訝し気な視線を送ってくる。
私と静乃は折り合いが悪い。仲が悪いとまでは言わないが、幼少の頃は姉をめぐって頻繁に喧嘩していた。私も静乃もさや姉のことは大好きだったから気を惹きたくて──静乃の「好き」は昔からベクトルが違ったようだが。
今回はさや姉のコスプレが見られるということでカメラマンの役を請け負ったが、普段なら断っているところだ。
「まあ、特に用事があったから来たってわけじゃないんだよね」
「そうですか……では仕事に戻ります。彩香さんは引き続き、紗耶香さんの御神体をカメラに収めてきてください」
他人の姉を勝手に神の依り代にするな。
静乃と共に茶道部の部室へ戻る。お茶を飲んでいこうかと思ったが、静乃の目が「早く行け」と訴えている……いいのかなぁ、そんな態度とっちゃって。
私は静乃の耳元に口を寄せると、ウィスパーボイスを紡いだ。
「私、さや姉の部屋でお泊りするんだよね……静乃も来る?」
「なんっ……!?」
挑発的な声音で囁くと静乃は目を剥いた。頬は紅潮し、眉は顰められている……随分と器用な表情筋だね。想像以上のリアクションに私は満足した。
この顔が見たくて今日はここを訪れたのだから。
さや姉と再会を果たしてからの静乃は関係の進展を逐一報告してくるようになった(とてもうっとうしい)のだが、どうやら彼女はさや姉の部屋に行くだけでも相当な苦労をしているようだ。
ここは友人としてちょっかい──背中を押してあげようという魂胆だ。
「紗耶香さんに口利きしてくださるんですか?」
「おうともさ。なんだったら文化祭期間中は毎日さや姉の部屋に寝泊まりできるように頼んどいてあげる」
静乃はわかりやすく生唾を飲み込んだ。私は吹き出しそうになるのを堪えて「じゃ、またあとで」と踵を返した。
はてさて、どうなることやら。
◇
「はぁ~、疲れた」
「あれ、語尾の『にゃ』はどうしたの?」
「業務時間外なので勘弁してください」
時刻は十九時を回った頃。私と彩香ちゃんは肩を並べて帰路についていた。文化祭自体は十七時で終了なのだが、後片付けやら次の日の仕込みやらシフト確認やらで時間を食ったのだ。今日のような激務(お姉さんたちに追い掛け回される)が一週間も続くなんて。諦めて撫でられた方が良い気もしてきたが、教師の志を忘れないためにも私は屈しない……っ!
彩香ちゃんと駄弁りながら歩くこと十五分。我が家にたどり着くと、玄関対面の手すり子に括りつけられたトランクが目に入る。
「あれ彩香ちゃんの?」
「そうそう、一週間分のお泊りセット」
「私に宿泊拒否されてたらどうするつもりだったのさ……」
「押し入る」
「妹が怖いよー」
彩香ちゃんを連れて中に入ると、さっそく彼女はトランクから物を取り出していく。靴下、下着、部屋着、外出着、アウター……待て待て、これ一週間分の衣類の量じゃないよね?
「彩香ちゃんが滞在するのって一週間では?」
「んー? んー……」
絶対これ一か月くらい居座るつもりだ!
私は焦りつつも彩香ちゃんに質問を重ねた。
「彩香ちゃん大学は?」
「九月いっぱいまで夏休み。十月の初週はガイダンスだから出席しなくてもいいんだ」
不真面目な学生め。というか十月の上旬まで居座るつもりなのか! まだ九月の半ばなんですけど!
私が妹の豪胆さに戦慄していると、彩香ちゃんは藪から棒に話題を振った。
「さや姉、先にお風呂入ってきて。ちょっとやりたいことがあってさ」
一瞬、首を傾げるが、すぐにピンと思い至った。ははーん、これは乱入イベントですね。
実家にいる頃は何かにつけて一緒にお風呂に入ったものだが、私が一人暮らしを始めてからは無くなってしまった姉妹のふれあいだ。
もう、一緒に入りたいならそう言えばいいのに。
私は頬を綻ばせながら浴槽にお湯を張り、服を脱いで洗濯機を回し、髪と身体を丁寧に洗って、ゆっくりとお湯に浸かって、のぼせそうになったので風呂から上がった。
あれ、姉妹の戯れは?
「あやかちゃ、うわっ!」
身体を拭いて部屋着を着込み、脱衣所から出ると、待ち構えたように彩香ちゃんが立っていた。
「さや姉、これ着て」
「これは……バスローブ?」
白の纏は手触りが良く、柔軟剤の香りも漂ってくる。
「なにこれ」
「いいからいいから。私もお風呂もらうね~」
「えっ、なにこれ! ねえ、なにこれ!?」
私の叫びもむなしく、彩香ちゃんは入れ替わるように浴室へと姿を消していった。この強引な奇行、どこかで覚えが……あ、静乃ちゃんのそれと似ている。
そういえば彩香ちゃんは静乃ちゃんを探していたようだが会えたのだろうか。後で聞いてみよう。
廊下に立って考え事をしていると体が冷えてきたのでバスローブを纏う。意外と暖かい。
「ふあぁ~、眠い」
リビングに戻ってベッドへダイブすると、一日の疲れが波のように押し寄せてきた。まだ晩御飯も食べていないが、私の意識は一気に微睡へと引き込まれていく。彩香ちゃんに、冷蔵庫の中身は自由に食べていいからね、と言っておかなければ……でも、ねむい────
◇
「────どういうこと──か。ちゃんと──ください」
「見ての通り────だよ?」
私を眠りから引き揚げたのは誰かが言い争う声だった。
……言い争う?
重たい瞼を持ち上げると、今にも泣きだしそうな静乃ちゃんと、バスローブを開けさせて私に跨る彩香ちゃんの姿が────
「んー……?」
なーんで私の部屋に静乃ちゃんがいるんだ。
それに、彩香ちゃんの意味深な笑みが気になる……。
寝起きで頭が回っていないし状況がイマイチ把握できていないが、とりあえず彩香ちゃんは土下座ね。




