十一話「記憶と場所は密接な関係にあると私は聞き及んでいる」
「あれまぁ、いらっしゃい」
『美雪』の表札がかけられた家で私たちを出迎えたのはおばあちゃんだ。
お盆休み二日目を迎えた我々美雪一家は父方の実家を訪れていた。
自宅から車を走らせること二時間。隣県の地方都市。流通そこそこ、人口もそこそこのここは、住みやすさで言えば申し分ない。私も老後はこのあたりに永住しようかな。なーんて。
「まぁ、久しぶりじゃねえ」
「お久しぶりです、お義母さん!」
「私はゴールデンウィークぶりだけど、さや姉は一年ぶりくらい?」
「去年のお盆以来だから丁度一年かな」
線香と畳の香りが混ざった「ザ・おばあちゃんちの匂い」に囲まれて、美雪家女性陣は早速談笑に耽っていた。
「紗耶香ちゃんは今年から新社会人じゃった?」
「うん、なんとか教師になれたよ」
「教師じゃって凄いねぇ。就職祝い渡しとかんとね」
そう言っておばあちゃんが取り出したのは封筒だった……随分と分厚い。これ相当な金額入ってない!?
「いや、いいよ。気持ちだけで十分」
「まあまあ、貰えるもんは貰っときんさい」
「いい、いい、いいって本当に! 大丈夫!」
「まあまあ」
こういうとき、おばあちゃんは決まって大金を押し付けてくるから困る。貰いすぎるのも考え物だ。
私とおばあちゃんの応酬を彩香ちゃんはニヨニヨと眺めるだけ。ママは義母に強く出られないのかあたふたとするだけだ。結局、車から荷を下ろし終えたパパが仲裁に入ることで事なきを得た。お菓子とかなら貰っちゃうけど、現金は受け取ると罪悪感が芽生えそうになるのは何なんだろう。
「それにしても、紗耶香ちゃんは就職に苦労しとったじゃろう。連絡もあんまり取れんで、心配しよったんよ」
あー、そうだった。就職が決まってからはバタバタして連絡を忘れていた。
私が教員採用試験を受けたのが去年の夏。一次試験のペーパーテストは突破できたのだが、問題は二次試験────面接で私は落ちた。
精神的ショックは強かったものの、その後どうにか切り替えて臨んだ一般企業への就職。そこで私はことごとく『お祈り』を受けることとなった。
就職先が見つからないまま秋を終え、冬を超え、絶望に苛まれていた春。私のもとに一通のハガキが届けられた。
『私立理心女子学園で教師をしてみませんか』
そこからは怒涛の展開が待っていた。一も二もなくこの話に飛びついた私はすぐさま連絡を取り、直接学園へ赴き、簡単なペーパーテストと面接を受けて即採用。就職先が決まったことによって急遽行われた引っ越し。一人暮らしに必要な買出しや各種手続き。
これらもろもろを一週間で終わらせたことは僅か半年前のことなのに、随分と昔のことのように感じる。
突然舞い込んできた「推薦状」の正体は未だに分かっていない。学園長に問い合わせてみたが、答えをはぐらかされるばかりだった。待遇は悪くなく、寧ろ新卒にしては相当良心的な職場環境であることに間違いないし、こちらから下手に突いて蛇が出てくるのも怖いのでこの件については触れないようにしていた。
と、まあ、このような成り行きで忙しさの極みにあった春先。
友人や親戚への連絡を失念しておりました……。
「さや姉、学校ではどうなの? ちっちゃいし、生徒からバカにされたりしてない?」
「さーれーてーまーせーんー!」
一瞬脳裏に「体育祭で笑われる私の図」が過ったが……バカにされているわけじゃないと思う。
理想の教師像とは大分離れてしまってはいるが、生徒の皆とは仲良くやれているし────
「あ、そうだ、さや姉、隠してることとかない?」
「へ?」
彩香ちゃんの口調は軽いものだったが、その顔は笑っていなかった。見極めるように目を細めてこちらを見遣っている。
突然の質問に私は答えを窮する。
隠していること……ある生徒の顔が浮かんだ。
静乃ちゃん。
僅か四ヶ月ですっかり親しくなった女の子。私を甘えさせてくれるお姉さんのような存在。
そして、誰よりも格好良くて、もっともっと仲良くなりたいと思える素敵な人。
体育祭の後、公衆の面前で好意を示されてから私はまともに静乃ちゃんと向き合えていない。
お昼のお弁当も放課後のモデル撮影も午夜のチャットも全てうわの空だ。
静乃ちゃんと一緒にいると、顔が熱くなって落ち着きがなくなってしまう。胸がキュッと締め付けられる。少しでも長い時間、一緒にいたいと思ってしまう。
私はこの感情を知らない。
知らないけれど、きっと本能は理解している。
私が静乃ちゃんに対して抱くこれは────
「隠し事なんてないよ。私の教師生活は順風満帆ですし」
「ふーん……?」
「な、なにさ、何が言いたいの?」
「いや、べっつにー。うまくやってるんだなーってね」
彩香ちゃんは破顔すると、話題を変えるように自分の大学生活について語り始めた。ママもパパもおばあちゃんも、彩香ちゃんの話に食いついたけれど、私は一人、高鳴る鼓動を抑えるように胸に手を当てた。
◆
翌日。おじいちゃんの名前が刻まれた墓石に手を合わせた帰り道。私は家族に一言告げてから、辺りを散策することにした。おばあちゃんの家から墓地までは歩いてもせいぜい十分ほどの距離にあるため、一人でも迷子になることはないだろう。
日傘を片手に殺人光線を防ぎつつ、周囲に目を走らせる。
小さい頃の記憶を頼りに「しーちゃん」の痕跡を集めようとしているわけだが、さっぱり思い出せそうにない。
「うーん、やっぱり十云年も経ってると地形ごと変わっちゃってるもんね」
見覚えのない新築物件や、取りつぶされた空き家、草木に覆われてすっかり通れなくなった小道。
本当にこんなところに遊び場が────────
「あ、あった」
私の目に飛び込んできたのは、ぽっかりと空いた土地。そこは夏の日差しを受けて白く輝いているようにも見える。
「公園……」
私の足は自然と敷地内へと向かっていた。
公園内に掲げられた看板には「ボール遊び禁止」の文字。雨風に晒された金属遊具は軒並み錆を生やし、かつて砂場だったであろう場所は土が踏み固められ、雑草が生い茂っていた。
人っこ一人いない寂れた風景。
だが、私の目にはちゃんと見えていた。セピア色に染まる、いつの日かの情景が。
「昔はもっと子供たちで賑わってた筈なんだけど」
私は何の気なしにブランコへと腰かける。長らく使われていなかったのか、鎖がキキキと嫌な音を立てた。
日傘を閉じてゆっくりと漕ぎだす。静寂は破られた。
「あーした てんきに なーあれ!」
ブランコの勢いと共に履いていた左のサンダルを前方へと大きく飛ばす。
コロコロと転がるサンダルは公園端に生えたブナの木の根元で止まった。
片足跳びで木陰へと向かう。サンダルは裏返しだった。
────────私が彼女と初めて出会った時も、裏返しだったっけ。
「……あぁ、そっか。そうだった」
サンダルを履きなおした私は、ぼうっとその場に佇む。
思い出す切っ掛けなど他にいくらでもあったのだろう。現に、周囲に目を走らせると、湧水のように思い出が溢れていた。糸口さえ見つけてしまえば、記憶なんて簡単に出てくるものだ。
一陣の風が、熱を吹き飛ばすように通り抜ける。頭上の葉擦れが、心地よく響いていった。




