27話 不吉な影
勇次と晶子が情愛を深めていた頃、アメリカ国防省の一角で問題が持ち上がっていた。
誰かが、国防の最高機密が保管されているコンピューターに忍び込んだことが判明したのだ。
「一体、どういうことなんだ。機密情報が見られていたなんて、セキュリティはどうなっていたんだ」
アメリカの国防省は厳重に機密保持がなされている。世界最大のビルとも称されるペンタゴンの奥深く、その一角にあるコンピューター室の出入りは厳重にチェックされている。コンピューターにアクセスする者は限定されていたし、外部との接続は許可を得てからとされている。プログラミングまで独自の設計でなされ、外部の人間からペンタゴンのコンピューターに接触すら不可能と思われてもいた。
「侵入された痕跡があると言うことは、今後も起こり得ることだ。犯人が特定でき、犯行手口が解明されなければセキュリティは万全と言えない」
それだけに国防省幹部にとって、この問題はショックでもあり、何としてでも犯人を探し出そうと躍起になった。
今回は、何の攻撃もされなかったが、もし、敵国からのサイバー攻撃であったなら、サーバーはダウンして、アメリカの防衛網は麻痺していたことも考えられた。
どんなことをしてでも、対抗策を構築しなければならなくなった。
「明らかに、犯行はスライマン諸島にあるサーバーからの行われたのは間違いありません」
「スライマンか。大方そこを中継基地にしていたのだろう。その大本を早く突き止めろ」
スライマン諸島は英国の保護領だが自治権が与えられ、地方政府は独自の政策を行っていた。その一つに外資を呼び込むために、企業への税金の優遇措置をしており、そこに目を付けた多国籍企業がここに本社を置き、節税するようになる。さらにここにサーバーを置き、世界各地と情報を共有する体制を整えるようになる。これに世界の通信大手も加わり、ネットサービス網を展開するようになっていく。スライマン政府は人材の不足から、ネットの検疫や監視が十分でなかった。ここに目を付けたのがネット詐欺、著作権侵害など屁とも思わない悪質ネットユーザーだった。彼らは取り締まわれる恐れがないことから大胆不敵な行動をするようになって、ネットを使って世界各地に悪行をしていた。また国際的な違法組織が、違法な手段で手に入れた大金を、マネーロンダリングもしているようだった。現状、スライマン政府が有効な手段を行えない限り、ネットによる犯罪はこれからも増え続けることが予想された。
「ええ、それですが、どうやら日本から忍び込んできた可能性が強いです」
「何、あの小心で真面目だけが取り柄の日本人が我が国に陰謀工作をしかけたのか?」
「まだ、はっきりはしていませんが疑いは十分あります」
「よし、直ちに日本政府に対処を求める。何が何でもハッカーを突き止めさせ、犯行手口を割り出させる。何だったら、ハッカーを殺しても構わん!」
これを受けて日本政府は対応に大わらわとなった。
アメリカ政府、国防省からの強い要請に、日本政府はハッカー対策に乗り出すしかなく、直ちに内閣官房室が中心になって、防衛省、警察庁に、事件の解明を指示した。また外務省はアメリカと交渉し、犯人逮捕に全力を尽くすと弁明せざるを得なくなった。
通常の事件で、内閣官房が関わることなどない。それが、今度は官房室が自ら乗り出さなければならない事態だ。
かつて、日本の役所は縦割り行政で、人事や予算、権限など各省庁、役所が持っていた。日本の政治判断が遅い理由が、縦割り行政に起因しているとみて、近年は行政改革に乗り出し、官庁の組織改革に乗り出していた。その一つに、通常の防衛活動や保安関係は現場に任されるが、今回のように外交関係に深く関連した事項となると、官房室に情報が一元化され、指令も発せられるようになった。
「アメリカからの情報ではハッカーが日本所在であることしか分からない。また侵入したことも痕跡がわずかであり、おそらく東京近辺からスライマン諸島を経由して、国防省に侵入したと思われるが、ルートが交錯しており、これを辿ることは困難で、いまだ発信源は特定されてない。
内閣機密情報公安室には発信源の特定と、犯行の解明が求められている。いいか、これは特命で全てに優先される事項だ。全力を上げて取り組んでもらいたい」
室長が訓示すると、部下たちの顔には緊張が走る。
全国の自衛隊基地や警察組織にまで、直接指示できる権限が与えられた。総動員体制で臨むことになるがそれだけに失敗など許されない。もし犯人を捕まえられなければ、室長は責任を取らされるし、官房室の改変さえ考えられる。
だが、部下たちはネットの追跡が常に困難を極めることも分かり切っていた。特に今回はアメリカ国防省に侵入したほどのハッカーだ。自分の犯行だと気づかせないよう様々なトリックを使っていると予想される。国防省以外にも米国の公共機関に侵入した形跡があるが、このハッカーはただ覗いただけだった。通常のハッカーなら、自分の存在を誇示しようと、侵入と同時に宣言などを残すのだが全くそのようなことはない。
大海原で遭難したヨットを見つけ出すのは、ヨットから救難信号が発せられなければ困難を極める。このような場合、人間の視界に頼るしかないが、海と比べ人の見える範囲など小さな点にすぎない。ましてヨットが、海に沈めば見つけ出すのは不可能になる。
今回のハッカーは世界のネットの海に、底深く隠れ、潜んでいて、時おり浮上してくるようなものだ。果たして見つけ出せるか、誰もがそう思った。




