第10話 火の山の怪鳥
自分の姿にサーベルを追加してみたが、そのサーベルは鞘に収まったまま腰に穿いている。
僕はサーベルの柄に手をかける。
僕が居合いでも出来るのならこれで戦闘準備完了だが、もちろんそんな事はない。
抜くか?
斬りかかるか?
レンライル神が面白そうに笑う。
「どうした。抜かぬのか?」
かの神にとっては確かに笑い事だろう。
レンライル神はあの祟り神が事を起こす前に挨拶に来るほどの大神だ。僕ごとき神未満の木っ端など、敵対したところで気にもならないだろう。
対して、僕にとってはここで抜くか抜かないかは生きるか死ぬかの問題だ。
クルセルク領のために、あの領地が地獄になったことに対して僕が命を捨ててでも意地を通すかどうか。
あの領地の惨状を思えば抜きたい。
だけどクルセルク領に僕の命をかけるほどの価値があるかどうか? そんな卑怯な考えが頭をよぎる。
しかし、レンライル神を敵に回したところでクルセルクが救われる訳でもない。だけど、それだと僕のこの怒りはどこへ行けば良い?
いろんな考えが頭の中をグルグルと回り、結果として僕はそこから一歩も動けなくなっていた。
「そこで止まってしまうのがお前の限界。お前は武神にはなれんな」
「……」
そんなもの、なるつもりもないけど面と向かって言われると腹がたつ。
「武を持って意を通す。そのつもりがあるなら、もっと良く考えることだ。あるいは考えないことだ」
「おかしな事を」
「自分では決して勝てない格上と出会った時、武人ならどうするか? 己の武勇に誇りを持つならばそれを上回る相手には敬意を払う。場合によっては臣従することもあるだろう。それができぬほどに道を違える相手ならば。そうさな、ちょうどいい教材があちらにあるようだぞ」
僕の意識が強制的に一方向へ向けられる。
そこに見えたものは、これはクルセルク領の戦いの続き?
外が明るくなった。
なんだか、屋敷の中も外も慌ただしい。最初は火事かと思ったが、そんなレベルのものではないようだ。
はるか東方からの客人、タケル少年は通されたそこそこ上等な部屋で放置されていた。
別に粗略に扱われている訳ではない。少年の方がこれまでの疲労の蓄積から寝落ちしてしまったのだ。
目が覚めてみると外は夜とは思えないぐらいに明るい。時折、地面が振動する。聞きなれないが意味はわかる鬨の声が響いてくる。
異変が起きている。
これまでの経験からすぐに察することができた。
おそらくあの祟り神か、その眷属が襲来したのだろう。
すでに矢がつき刀が折れた身ではあるが、ここが戦さ場になったのならば武器ぐらい拾う事ができるはず。
タケル少年はそう考えた。
言葉が通じないから屋敷の人間に話を聞くのは諦める。窓から庭へ出て、塀を乗り越える。
まともな食事と睡眠のおかげで、逃亡中より身体の動きがずっといい。これなら戦える。
どういう訳だかこんな西の果てに飛ばされてしまったのでは故国へ帰るのは難しい。この家を、あの半神の姫君を主と仰ぐのならば手土産となる武勲は多いほど良い。
もう帰れないと思うと涙がこぼれそうになるが、彼はとっくに前髪を上げた身だ。母を恋しがって泣く年齢ではない。
溶岩の流れる大地を目にしても、このところ非常識な出来事に立て続けに出くわしている彼にはショックは少なかった。どちらかと言うとクルセルクの町全体を光が覆っている事に感銘を受ける。
さすがミカドの同族であられるフォリン様だ。やる事のスケールが大きい。
戦さ場ならば武器ぐらいそこら辺に落ちているだろうと期待していた。しかし、三本腕の異形の巨人を迎え撃つこの町の守備隊は想像以上に秩序だっていた。
前線部隊が壁の上で巨人たちの侵攻を阻む。
その足元から弩弓部隊が強力な鉄の矢を放つ。
少し離れた相手には町の屋根の上から矢の雨を降らせる。
壁の上の二人の男。フォリン様から神槍を賜わった武人と巨大な剣を操る巨漢が目を引いた。
これでは自分の出番はないだろうか?
と、シキ・タケルは思案する。
盗んだ武器で安定した防衛戦を行なっている所へ乱入する。それで仮に手柄首を上げられたとしても、それは到底「手柄」と呼べるものにはならないだろう。良くて最低限の金品を渡して放逐、悪くしたらただの犯罪者あつかいだ。
神槍の連撃と大剣の一撃が敵の持つ大盾を砕く。
身を守る術を失った異形の巨人はたちまち太矢の餌食になった。身体の各所を撃ち抜かれて膝をつく。
壁の上からの神槍の一撃がとどめとなる。
ただの岩塊へと還る怪物に皆が勝ち鬨を上げた。それはタケル少年も例外ではない。私利私欲からするとありがたくないが、完成された『武技』に素直に感心していた。
「へっ、俺らを慈悲なく殲滅するって? 慈悲が必要なのはどっちかね? そよ風戦士団さんよォ!」
大柄な戦士が大声で煽る。
異形の怪物たちは神槍が届かない位置まで後退した。
その位置だと弓の攻撃を一方的に受けるが、盾をかざしていれば大きなダメージにはならない。矢の浪費を警戒して神槍を持つ男が攻撃をやめさせた。
守備隊側は鬨の声を上げて怪物を威嚇、挑発する。
怪物たちのリーダーが嘆く。タケル少年には理解できない言葉のはずだが、念話がこもっているのか、なぜか彼にも意味がとれた。
「おお、我が戦士団から欠員が出てしまうとは。ダル・ダーレ・ダレン様、申し訳ございません。斯くなる上は我らの全力をもって……オオォッ!」
町から少し離れた所から、新たに火山が噴き上がる。
だが、今までの火山とは少々違う。今までは水のように川となって流れる溶岩が噴き出していたが、今度の火山は紅く輝く塊を押し出して来た。
溶岩の塊は小山のようにそびえ立つ。
怪物たちのリーダーが哄笑する。
「我らだけでは任務を遂行できず新たな戦力の投入をまねくとは慚愧のいたり。しかし、これでそなたらも終わりである!」
輝く塊がはじけ飛ぶ。
中から何かが空中へと飛び立った。
鳥、なのだろうか?
暗い空をバックに鳥らしくも見える不恰好なシルエットが飛翔する。翼が小さすぎて鳥として自然に飛べるとは思えない姿だが、そこは神力か魔力で補填しているのだろう。
大きい。
人間なら三人ぐらいはまとめて背中に乗せられそうな大きさだ。
「この者こそ怪鳥ゾッドーバ。マグマの血が流れる空の支配者。その嘴にはどのような勇者も打ち倒す最強の猛毒を持つ!」
いやいや。何だよ、その無駄能力!
と、タケル少年は内心でツッコミを入れた。あの怪鳥の嘴を受けたら普通の人間は身体が真っ二つになる。毒で死ぬ方が難しい。
神話の時代には同等以上の大きさの怪物や巨人と戦っていたのかも知れないが。
ゾッドーバはクルセルクの町の上空を旋回。ギューンと気味の悪い音を立てて急降下して来る。
地表スレスレを飛びながら嘴で攻撃して来るか?
それともそこらの屋根でも引っ掛けて破片を撒き散らすか?
そのどちらでも無かった。
怪鳥の嘴から毒ではなく炎の塊が吐き出される。塊は急降下の勢いのままに町中で炸裂。あたりに小さな炎を飛び散らせた。
火災が発生する。
三本腕のリーダーが呵々大笑する。
「其奴の血はマグマだ。その血を吐き出せば威力は見ての通り」
町の屋根の上に展開していた弓兵たちが動揺する。
ゾッドーバは壁を守るため兵には近づかない。かわりに後方を狙って襲撃してくる。
あの火炎弾は精密な照準がつけられないのだろう。だからこそ『壁』という線ではなく『町』という面を狙って来る。そして、それは怪鳥が神槍や大剣の攻撃圏内に入らないという事でもある。
あの壁の上で戦っている武人たちはなかなかの腕だが、武器が悪い。空を飛ぶ相手との相性は致命的に悪い。
ここは自分の出番だ。ミカドに仕える武人として魔物との戦いは必須事項だ。
シキ・タケルは愛用の弓に弦を張る。これを鳴らすだけでも下級の魔物は追い払えるが、高空を飛び怪音とともに降下して来る化け物には音は届かないだろう。
幸い、と言って良いかどうか、今の一撃で弓兵たちは混乱している。整然とした戦いの中でなければ多少の狼藉は許されるだろう。
「これ、借ります」
言葉は通じていないが、ひと言断る。矢筒をひとつ拝借する。
矢の質はあまり良くない。量をそろえる事を優先した粗悪品だ。品質以前に矢の長さも足りない。この辺りで使われる弓は東方の物よりやや小さいようだ。
だが、まぁまったく何もないよりはマシだ。
タケルは弓に矢をつがえる。
矢筒をパクられた兵士がそれをとがめようとしたが、少年のたたずまいを見て文句を引っ込めた。年若いと言っても彼も東方の武人だ。一般の町人に毛が生えたレベルの傭兵などとは練度が違う。
上空を旋回していた怪鳥が再度の攻撃体勢に入る。
気味の悪い音が響いてくる。
また町中を狙っている。
少年は十分に引きつけた。引きつけている間に矢に魔力を充填する。
降下して来る怪鳥の進路上に矢を放つ。魔力の込められた矢は流星を逆さにしたような勢いで空を駆け上がって行った。
ゾッドーバは火炎弾を放つ直前だった。
駆け上がってくる矢に慌てたのか、その進路が乱れた。火炎弾は明後日の方向へと飛んでいった。
「外した!」
少年武士は舌打ちする。
怪鳥を叩き落とすなら無警戒で襲って来た今がチャンスだった。
空に向かって打ち上げる矢など、通常は大した威力はない。だから怪鳥はほぼ無警戒のまま一方的に攻撃して来た。しかし、奴は対空戦を行える武人の存在を知った。
怪鳥が空を舞う。
もはや一定の速度、一定の進路での移動はしない。羽ばたき、羽ばたき、速度を進路を高度を変える。
狙いがつけられない!
火炎弾が乱射される。
町の中だろうと外だろうと適当に撃ち降ろされる。民家の屋根が吹き飛び、何にどう引火したのか頭に火がついて転げ回る者まで出た。
タケルは有利な狙撃場所を確保しようと駆け回る。
せめて敵が接近して来る正面を確保しなければ命中の可能性すらほとんどない。
徒労だった。
空を飛び回る怪鳥と地をかける少年。どちらがどれだけ速いかなど、論じるのも馬鹿馬鹿しい。走り回って疲れ果て、町の被害だけが増えていく。
三本腕の巨人たちの攻撃も再開されたようだった。壁を守る兵士たちが浮き足立っている。
少年は覚悟を決めた。
足を止めて弓に矢をつがえる。怪鳥に届く最低限だけ魔力をチャージ。敵の目につくように打ち上げる。
効果は覿面だった。
ゾッドーバの動きが変わる。一旦上昇し、明確にタケルを目標に急降下をはじめる。
少年は自分を囮にしたのだ。これならば敵はまっすぐ近づいて来る。
勝つか負けるか勝負は一瞬。
「ナム・ヤワタ・ツサーボ」
必中の祈りと共に矢を放つ。
魔力がこもった矢が飛んだ。
ゾッドーバが羽ばたき揺れ動く。
外れた!
空を飛び、回避行動までとる相手に矢を当てるのはやはり至難の業だった。
応射の火球が来る。
人が避けられるようなスピードではない。身体強化でも使っていれば別だが、弓射に集中していたタケルにそれは無理だった。
幸い直撃はしなかった。
火球が至近距離で爆発する。少年は絶叫しながら吹き飛ばされた。ゴロゴロと転がり、どこかの壁にぶつかって止まる。
命はある。まだ戦える。
少年は手から離さなかった弓を持ち上げる。その軽さにビックリする。
折れていた。シキ・タケルが国元から持って来た弓は真っ二つに折れていた。
「まだだ。この命がある限り!」
血が流れている。
火傷もしている。
しかし、それでも彼は笑う膝に力を込めて立ち上がる。
怪音をたてて飛行する巨鳥がいる限り、諦めるという選択肢は彼には無かった。
クルセルクの現状を見て、僕はありもしない心臓がギュッと締め付けられる想いだった。
「見たかフォリン。あれが武人というものだ。ひとたび戦うと決めたら敗北の事など考えない」
レンライル神が何か言っているが、それは雑音としてスルー。
あちらの戦いに僕が何か出来るか考える。
僕自身がクルセルクに戻るのは無しだ。こっちで何かしらの決着をつけてからで無ければ、何のためにここまで来たのかわからない。それに僕本人の戦闘能力が低いのは多重の神に言われるまでもない。結局、僕にできるのは加護という名の援護を与える事だけだ。
ここから遠隔で加護を?
それは難しい。
どうしようかと僅かに悩んで、ミヅチと一緒にダル・ダーレ・ダレンから救い出した魂がもう何人かいたことを思い出す。
「起きて来て、寝坊助さんたち」
僕は自分の中から人間の魂を三つ分離する。
ミヅチより力は弱い。アイツは勝手に出てきたけれどこちらの三人は人としての自我もほとんど残っていないようだ。
魔法の使い手ですらないただの子供の魂ならこのくらいが普通なのかも知れない。
「ここはレンライル神の御許だよ。君たちはどうしたい? 僕と一緒に戦うか? レンライル神の所へ行くか?」
「無理を言うでない、フォリンよ。神の懐に抱かれし人の子が他の神の元へなど行けるはずがない。その者たちはそのままお前が召しかかえるがよい」
ま、そうだよね。
自分から話すことも出来なくなっている相手に今後の身の振り方なんか尋ねても、何の意味もない。
僕は三つの魂に神力を注ぎこむ。眷属に変えるために助けた訳ではないけど「働かざるもの食うべからず」だ。僕のしもべとして役に立ってもらおう。
あの祟り神の所に居るよりはマシな扱いになるはずだ。……多分。
ミヅチと違ってこの子たちは自分が人間だった事も忘れているみたいだ。
なんとなくの印象から彼らに名前をつける。
「フォリン・ユーノクスの名において君たちに名付けをする。これは仮の名だ。もっと相応しいと思うものを見つけたら後で変更することを認める。……ツバメ!」
小さいが輝きの強い魂が明滅する。
「トビ!」
大きな淡い光がゆらゆらと揺れる。
「カブト!」
カッチリとした硬い輝きがうなづくように上下に動いた。
「クルセルク領に急いで戻って。そして怪鳥の撃墜と町の防衛を支援するように。いいね?」
三つの魂は揃ってうなづくと一斉に飛び出して行く。鳥の名をつけた二人はその名の通りの形をとり、残る一人も角のある昆虫の姿で飛行していた。怪鳥と空中戦を行うなら、あの名前あの姿は適任だろう。
「フォリンよ、その程度の眷属を遣わしてそれで勝てると思うのか? あの邪神の軍団に?」
「無理でしょう。でも、あの地の人間たちはよく戦っている。僕、単独の力があの祟り神に及ばないのであれば、僕は彼らの後押しをするだけでいい。そもそも、人間たちの面倒を神がすべて見なければならないのなら、そこはそれこそ不採算領地にしかならないでしょうし」
「言いおるわい」
レンライル神は僕にゆっくりと近づいて来る。
僕が帯剣している事など気にもしていないようだ。
「しかしだな、今のままのお前ではどうあっても力が不足している。それを承知しているからわざわざここまで来たのだろう?」
「まさか、あなたが敵に回っているとは思いませんでしたから」
「そう焦るでない。私は敵とは限らぬぞ。かの悪神が我が領土を無事に切り取れるのならば認めようと言っただけだ。我の領地、あるいは我の眷属神の領地であり続けるのならばその方が良い」
「随分と虫のよいお話しですね」
「お前にとってもその方がいいと思うが? かの悪神ばかりではなく私まで敵に回すのは得策ではあるまい」
反論できない。
感情的には納得できないが。
「武神でも軍神でもないただの女神が私の助力を得ようとするなら、取るべき方策はひとつだと思うがどうか?」
僕の肩に多重の神の手がそっと触れる。
そこから神力が流れ込んで来て、僕は小さく悲鳴をあげた。




