将来の展望
休暇から戻ったエルネスタは、その足でお礼と報告をしに主のアレクシスを訪ねた。アレクシスは、いつものように執務室で書類と睨み合っている。ノックして部屋に入り、執務机の前に立って軽く一礼した。
「失礼します。エルです。ただ今、戻りました」
「心配事は解決したか?」
「簡単に解決とはいかないですけど、だいぶ気が楽にはなりました」
そう言って微笑むエルネスタに、アレクシスは目を細める。休みを取りたいと申し出た時の悲壮感はなくなったようだ。そして、出掛ける前に言っていた、今回の件の報告を待つ。
「それで?」
「はぁい。あの、ボク、今まで、男の子同然に育てられたせいか、将来の事を考えるにも、男の子みたいな感じで仕事を中心に考えてました」
「成る程」
「でも、ここ最近の事で、ボクも今までと同じじゃ駄目じゃないかって思って、色々変わろうとしている矢先に、ちょっとショックな事が立て続けにあって……」
「それで落ち込んでいたという訳か」
「はぁい」
「ショックな事というのは、何だ?」
「……言えません」
「そうか」
アレクシスは頷くと、話が長くなりそうに思い、エルネスタにソファへ掛けるよう言うと、バルドルを呼んだ。バルドルはティーワゴンを押して、部屋に入って来た。二人のお茶を淹れると、エルネスタにウィンクして部屋を後にした。エルネスタもこっそり手を振ったが、アレクシスに見咎められて、肩を竦めた。アレクシスはエルネスタの向かい側のソファへ席を移し、改めて口を開いた。
「言えないとは、私には言えないという事か? それなら、マーサに報告しても構わんが」
「いえ、個人的な事なので、勘弁して下さい」
「では、以後の仕事に支障無いのだな?」
「あの、それについてご相談したい事があります」
「何だ?」
「ボクは転職を考えています。次の秘書が決まり次第、お暇させて下さい」
「……」
エルネスタの申し出に、アレクシスは一瞬、言葉を失った。
元は街に出向していた時に、臨時の間に合わせのつもりで小間使いに雇い入れたエルネスタを、何かと取り立てて来たのはアレクシス自身の意向だった。偶然に傍へ来たエルネスタが、自分の無味乾燥な日常を鮮やかに彩る。その様を、間近に見ていたい。ただそれだけだった。
職分を超え、段階を追って、徐々に自分の傍に近付けて来た。それに応え、王都にまで着いて来てくれたエルネスタが、自らここを去ると言う。アレクシスは初めて自覚した。エルネスタに執着している自分を。仕事絡みでなければ繋がれない間柄ではあるが、名目などは二の次で、とにかく傍に居て欲しかった。
当初は少年だと思っていた。エルネスタの天真爛漫さが、冷たく固い自分の心を解きほぐしてくれた。アレクシスの無茶振りにも、戸惑いながら応えてくれた。今では、見習い秘書役まで熟してくれている。
ずっと、傍に居て欲しかった。でも、それは叶わない。失いかけて、初めて気持ちに気付くなど、遅過ぎる。
黙り込んでしまったアレクシスを訝しみ、エルネスタが声を掛ける。
「アレクシス様、どうしましたか?」
「いや、何でもない。エルはここの仕事に不満があったのか? それで辞めると言うのだな?」
「ここに不満はありません。ただ、ボクの能力が秘書の仕事には向いていないのに気が付いて、限界を感じたんです」
「秘書が嫌なら、侍女ではどうだ? どの職分ならここに残る?」
必死に言い募るアレクシスに気圧されて、エルネスタはたじろいだ。普段から、感情を露わにすることなどないアレクシスの変わり様に、何とも言えない気分を味わいながら、エルネスタは言葉を紡ぐ。
「あの、ボク、街に戻って子守りをしようかと」
「子守りだって!? そんな、王宮勤めを蹴って子守りなど……」
「ボクの大切な人達に、子供が産まれます。ボクが辛かった時、気持ちに寄り添ってくれた人達の為に、恩返ししたいんです」
「ここは、エルには辛い所だったのか?」
「いいえ。とても感謝しています。アレクシス様にも、出来る事なら恩返ししたいです」
「……その子守りとやらが終わったら、またここに戻ってくれるか?」
「ボクが居なくても、この邸は大丈夫です」
「私が大丈夫じゃない」
「アレクシス様?」
手で顔を覆い俯くアレクシスを、エルネスタはどうすることも出来ずに見ていた。




