悩み相談
翌日の昼頃、エルネスタのところに養母と次兄が会いに来た。テオフィルの師匠と話す約束をしたという。三人で役場から北地区へ向かう。
「リッツ、テオのお師匠様と何を話すの?」
「俺達、皆、魔法については何も知らないだろう? エルの力についてや、この先のことについて、魔法に詳しい人から話を聞きたいんだ」
次兄フリッツはそう言って、エルネスタの頭を撫でる。思わぬ授かりものの力について、その能力の扱いや利点、欠点など、専門家に聞きたい事は幾らでもある。
エルネスタは今のところ、何も思わずに、ただ綺麗なものが出せる力としか認識していない。本人がこうも危機意識の低い有様なので、周りの者が気を付けて思わぬ不利益を避けてやりたい。
フリッツの内心は、エルネスタには全く伝わっていないが、それでいいと思っている。この末っ子には、いつでも笑顔で居て欲しい。
「ふうん……ねぇ、母さんもなの? 魔法の話を聞きたいって」
「そうねぇ、少し違うかしら? とにかく、エルの将来について、心配事を減らしたいと思って」
「……よく分からないや」
養母の思いも、よく分からないものに対する不安の方が強い。可能性を拓くより、安寧を子に望むのは、母親として自然な感情だろう。子の将来の為に、有用な繫ぎを作っておきたい気持ちもあった。
二人とも、立ち位置は微妙に違っても、エルネスタを大事に思っていることに変わりない。
テオフィルの邸に着くと、いつも使う生け垣の破れ目ではなく、ちゃんと正門を通って敷地内に入った。常には閉ざされている門扉は、前以て開け放たれていた。
「こんにちは。テオ、居る?」
「やあ、エル、今日は玄関からだね」
「母さんやリッツも一緒だから」
「ああ、話は聞いているよ。師匠のところに案内するね」
テオフィルはエルネスタの後ろに居た二人を、師匠のところに案内して行った。エルネスタは待っている間、庭に出ていつもの四阿に座る。
暇な時間ができると、頭の中で、色々な考えが取り留め無くぐるぐると巡る。主の誘い、王都での暮らしに抱く憧れと不安、住み慣れた街に対する愛着、街に残る場合の新たな職探しの不安、考え出すときりが無い。知らず溢した溜め息を、すぐ傍で聞き咎める声があった。
「どうしたの、エル? 難しい顔して」
「え、ああ、テオか……ちょっと悩み事」
考え事に没頭していたせいか、エルネスタは案内を終えて四阿に来たテオフィルに気付かなかった。声を掛けられて、眉根の寄って目の据わった顔のまま振り返り、驚かれてしまった。
「悩み事って、何?」
「ちょっと、自分一人で判断つかなくて。聞いてくれる?」
エルネスタは、昨日から繰り返し思い悩んでいる事を話した。考えの纏まらない、そのままに話すので、テオフィルの理解が追い付くまでに、かなりの質疑応答と時間を要した。
「それで、エルは何に悩んでいるの?」
「王都へ行くか、残るか」
「成る程」
テオフィルは、何やら考えを巡らせているようだ。暫く宙を彷徨った視線が、ひたりとエルネスタに合わさる。テオフィルの銀色がかった蒼い瞳に、エルネスタの困惑顔が映り込み、揺らめいていた。
「エルは、王都へ行きたいんだ?」
「そりゃ、憧れはあるさ。行けるものなら、行ってみたい。でも、ずっと住みたい訳じゃない」
「じゃあ、他に王都行きのチャンスがあれば、今回は見送るってこと?」
「うーん……そうなる……かな?」
まだ迷いの中にあって、漠然とした希望はあっても、その向かう処や優先順位などは、全く考えていなかったエルネスタは、テオフィルの提示する意見に、曖昧な返ししか出来なかった。
「行くなよ」
テオフィルが唐突に、エルネスタを抱き竦める。腕の中にすっぽり閉じ込められて、エルネスタは一瞬、何が何だか分からなくなった。
「テオ?」
「王都へ行きたいなら、俺が連れて行ってやるから、今は行くなよ」
「急にどうしたの? 何で?」
「傍に居てくれ。頼む」
エルネスタは混乱した。悩みを分かち合ってくれると思っていた友達が、悩み事を更に増やす存在になるとは、思ってもみなかった。
一方、テオフィルは思ってもみなかった不安に苛まれていた。ずっと低迷していた自身の魔術修行で、殻を破るきっかけとなったエルネスタを失うかもしれないと、焦燥に駆られた。
テオフィルの行動も、その想いも、今のエルネスタには察することが出来ない。離れてしまうことへの不安が、お互いの想いの温度差を浮き彫りにした。
ちょうどその時、玄関ホールから養母や次兄の声が聞こえて、エルネスタはテオフィルを突き放して立ち上がる。
「ボ、ボク、行かなくちゃ」
「エル……」
「テオ、またね」
エルネスタは、後ろも見ずに駆け出した。テオフィルの伸ばした手は、エルネスタに届かず空を切った。




