唇を塞ぐ
使用お題ふたつ
手紙が届いた。差出人の名前はない。住所も書かれてなく、ただ私の名前が書かれていた。
ぴらりぴらり指遊び。小さな花が描かれた封筒はとても薄く軽い。
ぱくりと封筒を咥えてジャケットから鍵を取り出す。じゃらりとぶらさがる数本の鍵とチャームがいつものように絡み合っている。ささやかな知恵の輪を楽しんでから玄関を開ける。
封筒を咥えているから『ただいま』も言えない。言ったところで返ってくる声はないけれど。
靴を脱いで揃えたところで砂埃にまぎれて転がる虫の死骸に気がつく。乾ききったそれはきっとひと押しでパラパラと崩れるだろう。
あとで掃くか思いながら見なかったことにして薄暗い板の廊下を歩く。
台所のテーブルに鍵束を投げだし、封筒を手に取りキッチンばさみで開封した。入っていたのは二つ折りのメッセージカード。
私の名前と
『おかえりなさい。ありがとう』
ただそれだけが記されたカード。やはり差出人の名前はわからない。
テーブルの上に放り出しなかったことにして戸棚を覗く。小さな頃は背伸びしても覗けなかった戸棚が普通に覗ける。白い布巾を引けば埃が舞いあがった。
ひとしきりむせた私は慌てて窓を開ける。
久しく人のいなかった家に風が通り抜けていく。
ここに帰ってくるのにどのくらいのまわり道をしたんだろう。
「掃除しよ」
掃除道具がある場所を思い出そうと台所を見回す。勝手口のそばに古びた箒が立て掛けられている。
掃除道具を揃えなきゃいけない。
フッと意図せず息を吐いた。
「未来をちゃんと考えてるじゃない」
ひとりかもしれない。けれど、私は生きている。これからも生きていく。
まずはできることをしよう。窓を開けて空気を入れ換えて、ひとつひとつこなしていこう。
二階のかつて過ごした部屋。
知った人にすれ違ってもわからないくらい遠くなった家。新たにはじめるには過去が根付いた場所。ひとりではないとばかりに届いた手紙。
古ぼけた勉強机。その上に花瓶にバラが一輪だけ差してあった。
お話は
「手紙が届いた。差出人の名前はない」で始まり「花瓶にバラが一輪だけ差してあった」で終わります。
#こんなお話いかがですか
https://shindanmaker.com/804548
お題は〔唇を塞ぐ〕です。
〔パロディ禁止〕かつ〔「帰り道」の描写必須〕で書いてみましょう。
https://shindanmaker.com/467090




