見放しの店で
使用お題ひとつ
「やあ。いらっしゃい。必要な呪術はなんだい?」
暗い中に響く声。
「ああ、うん。誤魔化さないでいいよ。なにか怨みごとがなければこの店にはこれないからね」
闇は晴れず声だけが響く。
「だから、とぼけてないでほら、言ってごらんよ。あいつが酷い目にあえばいいって思ってるんだろう?」
急かすような声に掠れ消えそうな雑音が生じる。
「うん。対価さえ貰えば酷い目にあわせてあげられるよ。ん。もちろん対価は必要だよ。君は相手に報われるべきなにかがあるだろうけどね、こっちは手を貸す危険を受け入れるだけの義理も義務もないんだよ?」
薄暗い店内で朗らかな店主の声だけが明るい。
影のように揺らぐ存在はかすみ紛れ消えていった。
『迷って帰っちゃったね』
やれやれとばかりに腕を上げた店主が足下の声の主を拾いあげる。
「帰る程度なら呪う必要はなかったんだよ。なによりなにより。でもね、きっとまた来るよ。人は強く弱いものだからね」
仔犬が笑いながら語る店主の膝の上でふすんっと鼻をならす。
『呪えば呪いは放った者に戻るのにね』
「ああ。だからね、対価がいるという言葉に怯むなら穢れに触れる必要はないんだよ」
うりうりと仔犬の耳を店主が掻けばじたじたと暴れておなかが上になる。
「呪術師の店だな。とある女を呪い殺して欲しい」
「いらっしゃい。対価さえ貰えれば望みは叶えるよ」
バッと仔犬が膝の上で伏せの体勢をとる。それを撫でながら店主はにこりと人好きのする笑みを浮かべた。
「いくら払えばいい?」
金に糸目はつけないと言わんばかりの口調に店主は仔犬を足元におろす。
「そうですねぇ。殺めるというのは危険が大きくなるのでやはりそれなりの対価を頂かないと困りますね。相手の方が呪術の護りに詳しいというのも困りますね。大丈夫ですか?」
「自信がないのか」
苛立ちを隠さない客に店主が笑う。
「自信はありますとも。自信がないのは対価の見極めでしょうか」
店主は笑いながら客の足元から頭の上までを品定めとばかりに眺める。
「相手の持ち物ひとつと貴方が今お持ちの懐中時計をくださいますか」
客は相手の持ち物だと一枚のハンカチを出し、少し躊躇ってから懐中時計を店主に押しつけた。
「これは違うことなく相手の物ですね。承知致しました。この持ち主をしかりと殺めると誓いましょう」
後悔はありませんねと笑う店主に客は当たり前だと吐き捨てて店から消え失せた。
『なぁ』
「……んー?」
『そのハンカチはあの客の物じゃないか?』
「うん。そうだねぇ。でも、ほら、依頼だからね」
すくりと立ち上がった店主は手の中で懐中時計を弄ぶ。
「先に依頼に来たのは君だものね。君の彼への想いを対価に貰うよ。さぁ。惨たらしい死を贈ろう。彼は自ら苦痛を望んだのだから」
ふわりと店主の声に応じて影が揺らめく。
『自ら死にたかったのか?』
仔犬の言葉に店主が笑う。
「もちろん、彼は生き残りたかったのさ。だから騙された。彼女か、他の女かは知らないけどね。男の狡猾さと女の狡猾さはまた違うからね」
ふんすっと仔犬が鼻を鳴らす。
「ああ。かわいいなぁ。いつまでもわからないでいておくれ。人はケモノと違って穢れたケダモノだ。どうか、変わらずにわからないでいておくれ」
抱きしめられ、撫でられて仔犬はなにも言えないままその鼻を店主の脇につっこんだ。
呪術師です。人懐っこい雰囲気ですが、たまに黒いです。真っ黒です。居候の妖の面倒を見ています。
象徴する植物は【アネモネ】です。
#和風幻想譚
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