71. 12年と2ヶ月目 私ともう一人の私。【ネメ視点】
「おかあさん、トーイラ、おやすみ」
「おやすみー」
「おやすみネメ、ゆっくり休んでね」
私、ネメはどうにも体調が悪かったので、おかあさんと妹のトーイラへ先に就寝する事を伝えて、一人ベッドに入った。その日の夜、その体調の悪さが引き金となったのか私は変な夢を見た。
*****
「あれ、ここは……?」
私は異様な世界に一人立っていた。辺り一面中、青い背景を伴いながら、変化し続ける数字と文字が上にも下にも果てしなく続いている、そんな世界。
それは自分の視界にある透明な板で、私だけにしか見えていない【でばっぐもーど】に書かれている文字や数字のような……まるでこの世界の深淵を覗いている気分になるものだった。
そんな世界をあてもなく歩いていると、向こうに黒いローブを纏った人影がうずくまっているのが見える。私は駆け寄って声をかけてみた。
「どしたの? だいじょぶ?」
私の声でその人影は振り向いてこちらを見た。私は直感でその人物が誰なのかすぐ理解してしまった。私と同じ顔つきのその人物、それは……。
「……私?」
こちらを生気の無い瞳で見ているもう一人の私。その体からは邪悪なオーラが内側からにじみ出ていて、おそらくモンスター化しているのだと感じた。けれど、根幹は同じ私なのだから、これといって負の感情は私の中には生まれなかった。
私は、もう一人の私に……、なんだか『もう一人の私』呼びだと長いし黒いローブを纏ってるから『黒ネメ』でいいや。黒ネメに再び声をかけて様子を見ることにした。
「こんにちは、……まっくろクロスケットの私」
自分で言いながら全く意味はわからない。この語感優先でわけのわからない事を言うのはおかあさんと暮らすようになってからいつの間にか私の癖になっている。
「あは……、最初声かけられたときびっくりしちゃったけど、あなた本当に私なのね。言葉遣いが全然違うけど、それが本来の私だったのかな。『どうした』を『どした』と言ったり、『まっくろクロスケット』だの意味のわからない事を言ったり……」
黒ネメは今の私と違って、どこか痩せこけていて、身長も大分小さい。そしてその表情はどこか疲れきっていて、すべてを諦めたような、そんな気配すら感じさせるものだった。
「どして、そんな疲れた顔してるの?」
「…………まぁ、本当にもう疲れちゃっているってのはあるのよね……」
どういう事だろう。私が不思議がっていると、黒ネメは言葉を続けた。
「この世界はね、言うなれば一つの環なのよ。世界が平和になると、『りせっと』とか『つよくてにゅぅげぇむ』とかいう言葉とともに何千、何万回と繰り返して……。確か『げぇむの世界』と言うのだったかしら。
私はその数だけ、トーイラと引き離されて、闇の巫女となって、何回も何回も15歳で殺され続けて、トーイラもその度に後を追うように自害してきた。それがね……もう疲れちゃったのよ」
殺され続けてきた、という言葉でもしかしてと思いながら黒ネメの足下をよく見ると……、影が無い。ということは、黒ネメはもうこの世のものでは無くて、生まれ変わる過程でこの世界が何度も繰り返されてきたのだと気づいたというわけだろうか。
でも一つ不思議なのは、15歳でいつも死んでいるというなら今の私は……?
「でも、私もうすぐ18……」
「うん……そうなの。あなたはその環から外れて、この繰り返されてきた『げぇむの世界』でただ一人、トーイラと引き離されることも、15歳で殺される事も無いまま無事に生き続けられている、私であって私でない存在なの。
あなたのおかあさん……えっと、『ミノリさん』だっけ? あれがどうしてあんなにイレギュラーな行動をしたかわからないけど、それのおかげかな」
なるほど……黒ネメはおかあさんに巡り会えなかった私だったのか。確かに黒ネメの言うように、おかあさんは最初に会った時から不思議な行動をしていた。
普通、人間がモンスターに襲われてる場面に出会したら、モンスターならモンスターの方に加担する。なのに、おかあさんはモンスターなのに私たちを助けてくれた。思い当たる節を記憶から呼び起こしていると、黒ネメはさらに気になる言葉を続けざまに語った。
「もしかしたら『ミノリさん』は、ここが『げぇむの世界』だと認識している……というより元々この世界を『外』から知っていたのかもね」
言われてみればおかあさんの行動にはそうとしか思えないことがいくつかあった。まず、初めて私たちと会ったときだ。私とトーイラの名前を聞いて固まった。まるで、今後私たちの身に起こる事を知っていたかのように。
あと16歳を迎えておかあさんが私たちに殺してと言った日に、15歳になった日に光と闇の使いを撃退した事を知って『この1年空回りしてた』とか『安心したけど拍子抜けした』とか言っていた。
……黒ネメの話を真に受けるなら、私たちの事を知っていて、そして私たちがどうなるかを知っていたからこそあんな反応をしたのかもしれない。
それに星座やクリスマスやおかあさんが読み聞かせてくれたお話だってそうだ。闇魔法を使う上で星の位置を正確に把握するのに非常に便利な星座は、どの闇魔法の本にもその言葉すら出てこなかった。そのおかげで私は誰よりも闇魔法を使いこなせていると自負しているけど……。
クリスマスももうすっかり我が家ではおなじみになっているけれど、いろんな本を読んだ限りそんな行事はどこにも出てこないし、読み聞かせてくれたヘンゼルとグレーテルやそれ以外のお話だってどの物語の本にも出てこなかった。
きっとそれらが黒ネメの言う『外』の世界のもので、おかあさんが持ち込んだ知識だったのだろう。そう考えると合点がいった。
「さて、もう時間かな。私は、また生まれ直さないと。……私の分も、幸せになってね。あと、トーイラとも仲良くね。私はそれすらも手に入れられなかったから……」
そう言うと、黒ネメの体が徐々に薄くなっていく。
「待って。あなたも私なら、あなたにだって幸せになる権利ある」
どうしてだろう。私は気がつくと黒ネメに手を伸ばしていた。黒ネメは一瞬驚いた顔をして、一瞬手を伸ばしかけたけどすぐにそれを引っ込め、顔を伏せてしまった。
「ごめんね……私はあなたの手を掴むことはできない……。あなたの手は、もうたくさんの愛情でいっぱいのはずでしょ?
そこに私が入る余地は無いし、そんな事したら、今あなたが抱えているものまでこぼれ落ちてしまうわ」
……確かに。町にいた頃には一切与えられなかった愛情を、おかあさんと暮らすようになってからおかあさんからいっぱいもらってきた。そしてトーイラと一緒だったからこそ、町でもなんとか頑張って生きてきたし、困ったことも協力し合って乗り越えてきた。それは姉妹としての愛情だとはっきり言える。
あとついでにシャル。シャルは初めて会った時にいきなり攻撃されたこともあって、小さい頃は大嫌いだったけど、今ではお揃いの指輪までする恋人と言っても差し支えない関係で、すっかり守ってあげたい存在になっていた。……というか実は既にある関係まで持ってしまっている。それはおかあさんにもトーイラにも内緒だけど。
ちなみに、近いうちに今度こそ私たちの家の一角か、新しく離れを作ってそこにシャルを住まわせてあげて、今後の買い出しは私と一緒に行こうかと考えていたりする。そうした方が守りやすいから。
それは兎も角、私は愛を与えられるばかりじゃ無くて、いつの間にか自分からも愛を与えるようになっていたんだと黒ネメに言われて初めて自覚した。
「そっか……でも、あなたの事を今度こそ救ってくれる誰かがきっと現れるから……!」
その言葉はただの気休めだったろうし、生まれ変わった黒ネメがその言葉を覚えているとも思えなかった。でも私は言わずにはいられなかった。
だって、黒ネメは私で、私が私自身の幸せを願うのはおかしくないはずだから。
「うん……ありがとう。さよなら。次こそは幸せになるね」
最後に小さく微笑んだ黒ネメは、光の粒子となって消えていった。
*****
……目が覚めると、私は泣いていた。
この世界の理が、あまりにも私とトーイラに対して冷酷だった事、そして今の私たちだけがその環から外れることができた一方で、環から外れられない別の自分たちがいる事を知ったから。
そして黒ネメの言葉が本当であるならば、きっと黒ネメは再び私として生まれ直すだろう。でも、次こそは幸せになってほしいな……。町を追い出されたあの日、おかあさんが私たちに手を差し伸べてくれたみたいに、黒ネメたちにもあたたかいぬくもりを……。
*****
「おかあさんおはよう」
「おはようネメ、どう? 体調良くなった?」
「おかげさまでピンピン」
私は黒ネメから聞いたことを思い切っておかあさんに聞くことにした。これでおかあさんが何か変な反応をすれば、あれは夢じゃ無くて事実だとはっきりとわかるからだ。ちなみにおかあさんは今飲み物を口に含んだところ。
「ねえ、おかあさんはここが『げぇむの世界』だと理解していて、私が闇の巫女になって15歳で死ぬことを知っていた上で私たちを育ててくれた?」
その言葉を聞いた瞬間、おかあさんは口に含んでいた飲み物を盛大に吹き散らかした。
「な、ぬぁ、にゃ、なに言ってるのかよくわからないなぁネメ!?」
見るからに挙動不審な様子でなんとかごまかそうとしているけど、もうわかりやすいほどにあの夢での話は事実だと確信できてしまった。
と、いうことは、おかあさんは本当に私たちを救うためにこの世界に来た、ということなのかな。
……やっぱりおかあさんは私にとって……いや、私たちにとって本当に女神様だった。




