40. 4年と11ヶ月目 皆既日食。
「……? あれ、どうしたんだろう」
ミノリが家の外で野菜を収獲していると空が突然暗くなり始めた。今はまだお昼を過ぎたばかりで、別に天気が悪いわけでもないのに何故だろうとミノリが思わず空を見上げた。すると……。
「わ、日食だ。この世界にもあるんだ」
転生前の世界と同様に、太陽を直視すると目が大変な事になるので、じっくりとは見る事ができなかったが、確かに太陽が大きく欠けているのが見えた。おそらく皆既日食になるのだろう。
そして周囲がどんどん暗くなってきた時、事件が起きた。
「うおぉぅぉゎおぅぉおん」
どこからか間抜けな声がしてきたのだ。驚いて思わずミノリが声の発生源を探すとそれは……ネメだった。
「ちょ、どうしたのネメ!?」
あまりにも突拍子のない声に思わずミノリはネメに駆け寄った。
「おかあさん、どうしよう。闇魔法の力が体の奥から噴き出してくるのを感じる。ふへへへ」
そう言うネメの目の焦点は合っておらず、渦を巻くかのようにぐるぐると目を回しているような状態だ。これはまずいと判断したミノリは、トーイラを呼んだ。
「ちょっ、トーイラー! ネメが大変な事になっているから手伝ってー!!」
ミノリの声に窓から身を乗り出したトーイラもネメのおかしな様子に気づくと慌てて外に出てきてミノリたちの元へと駆け寄った。
「わ、大変! ネメ闇魔力酔いしてる!」
「闇魔力酔い?」
聞き慣れない言葉がトーイラの口から飛び出した為、ミノリは思わず聞き返した。
「うん、太陽が今みたいに真っ黒になっちゃうと、闇魔法を使う人はよくこんな風に酔っぱらったみたいになっちゃうの。まだあの町にいた頃にもネメはこんな風になった事があって、しかもネメはほかの誰よりもすごく暴走しちゃうの」
トーイラの話によると闇魔法の使い手は、日中は闇魔法の力が弱く、逆に夜は闇魔法の力が強くなる為、それによって闇魔力のバランスを保っているという特徴があるそうなのだが、こんな風に皆既日食があるとその均衡が崩れてしまい、今のネメのように正気を失ったりする事があるそうなのだ。
そしてネメが誰よりも暴走するのは闇の巫女としての資質がある分、闇の魔力が膨大だからなのだろうとミノリは推測したが、それよりもまずはこの状況を何とかしなければならない。
「ど、どうすればいいの、トーイラ!?」
「太陽が元に戻れば、ネメも正気を取り戻すけど……。それまでは暴走するから抑えてないと……ってネメ!どこ行くの!?」
ミノリがトーイラの話に気を取られている間に、ネメがその場からいなくなっていた。慌ててミノリが辺りを見回すとネメがふらふらと森の外に向かって歩き始めているのが見えた。
「ちょ、待ってネメ! どこ行くの!?」
「今の私はなんでもできる気がする。この溢れだす闇魔法の力をもって手始めにあのくそみたいな町を滅そう。今がその時。ふへへへ」
そうミノリに答えたネメの顔は口だけは笑っているが、目が笑っていない。さらに焦点も相変わらず合っておらず完全に混乱した状態だ。
「ダメだって! キテタイハの町が嫌いのはわかるけど落ち着いてネメ!!」
まさかここでゲームと同じ流れになりそうになるとは思ってもいなかったミノリ。
慌ててネメを抑えようと腰に手を回したが、暴走している影響だろうか異常に力が強く、ズルズルとミノリは引っ張られてしまった。
「わああ! トーイラも手伝って!! このままじゃネメが何しでかすかわからないよ!!」
「あの町なら私も滅ぼしていいと思うけど……ママがそう言うなら……」
ネメと同様にキテタイハの町が嫌いなトーイラも、ミノリの懇願で渋々ながらもネメを止めるためにしがみついた。正直ミノリもキテタイハの町がどうなろうと知ったこっちゃないのだが、手を下すのがネメとなると話は別だった。
ネメがゲーム本来の流れとは異なれどゲームと同様にキテタイハの町を滅ぼしてしまった場合、それによって闇の巫女として目覚めてしまう可能性だって考えられる。それはつまり、ネメの破滅を意味する。
その為、ミノリはなんとしてでもこれを止める必要があったのだ。
しかし、ネメの闇魔力酔いのせいで色々と制御が無くなっている状態のネメは、ミノリとトーイラがしがみついて止めようとしているのにも関わらず、どんどんと歩を進めていき、ついにはミノリたちを引きずりながら森の外まで出てしまった。
「あの愚かな町に裁きを」
そして何やらキテタイハの町の方角に向けて詠唱を始めた。
「やめてネメー! それやっちゃうととんでもないことになっちゃうからー!!」
ミノリが必死になって懇願すると、願いが通じたのかネメの詠唱が途切れた。
「……おかあさん困ってる……やめなきゃ……。でも裁きは下したい……でも……」
ミノリの声が届いたのか僅かながら正気を取り戻し、正気と混乱の間で葛藤しはじめるネメ。この調子でいけばネメを落ち着けられるとミノリが確信したその時、トーイラが決定打を放った。
「そうだよネメ。ママ困ってるし、そんな事するともうママと暮らせなくなっちゃうよー」
「それはやだ」
トーイラのその言葉によって、先程まであんなに暴走していたネメが、嘘のように落ち着きを取り戻したのだ。
そしてそのまま皆既日食も終わったらしく、空が徐々に明るさを取り戻し始めた。ネメも完全に正気を取り戻したようで、何事も無かったかのように辺りを見回し、腰にしがみついているミノリとトーイラにきょとんとした顔で声をかけた。
「……おかあさん、トーイラ。どしたの?」
良かった。いつものネメに戻った。それが分かるとミノリもトーイラも肩の荷が下りて安心したのか、へなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。
「……なんで森の外? 瞬間移動?」
そして、ネメは先程までの事を全く覚えていないらしく、いつの間にかここにいたような反応。……闇魔力酔い、恐るべし……。
ひとまず今回の危機はなんとか乗り切ることができたのだが、日食は自然現象なので今後も起きる。その度に今回のような事態になってしまう事を考えると、どう対処すればいいのか思い悩んでしまうミノリなのであった。
……その後、森の外まで来たことだし折角だからこのまま狩りに行こうかとミノリが提案すると、ネメもトーイラも賛成して歩き始めたその時、ネメは視界に違和感を覚えて立ち止まった。
「あれ? ……透明な板が増えた。……数字と見たことない文字しか書いてなくてよくわかんないけど……なんだろこれ」
「ネメ、どうしたの?」
「ママと先に行っちゃうよー?」
ネメは気になってしまったのだが、先に歩いていた2人が急に立ち止まったネメを心配して声をかけた為、考えるのを後回しにすることにして2人の元へ駆け出すのであった。
「あ、2人とも待って」
……今日の出来事が起因したのだろうか。ネメの視界に見える透明な板【ゲームウインドウ】に、新たな板が増えた事を、まだネメ以外の誰も知らない。
*****
その夜……。ミノリたちがいる森よりも、そしてキテタイハの町よりもさらに遠くの場所。黒い影が何かを感じたのか辺りを見回している。
「ム……コノ反応ハ……。アッチノ方角カ……」
ネメとトーイラがミノリに保護されたその日の夜にネメを探していた闇の使いが、先程の暴走状態によって溢れ出てしまった『闇の巫女としての資質がある膨大な闇の力』に気づくと、再び動き出したようだ。
……どうやら、ミノリたちにとって見つかりたくない相手に気づかれてしまったようだ。




