217. 17年と4ヶ月目⑧ ミノリさん、爆買い。
ミノリが生前住んでいた家のあった地区は人の少ない山間部にあり、お店自体元々そんなに多くはなかったのだがこの17年という時の流れでその大半が淘汰され閉店してしまっていたのをミノリはバスの中から確認済である。
場所が場所なだけに主要と呼ばれるコンビニチェーンも当然無く、バスから確認した限りではコンビニを称する非24時間営業の個人経営の謎コンビニが1軒あるだけだ。
しかしそれはあくまでミノリの実家がある地区周辺のお話。一応地方都市に該当するだけあって町中まで来ればそれなりに大きい商業施設がいくつも存在するし、主要なコンビニだって当然存在するのだ。
そして今ミノリたちがいるのは町中である。つまり……いろいろなものを買い物し放題なのだ。というわけですぐに帰る予定を変更して買い物をすると決めたミノリが、真っ先に入ったのは式場の近くにあるちょっと大きめのスーパーであった。
この際高価なものを買おうとは一切考えずに真っ先にこういう庶民的な店に入るあたり、異世界に転生しても庶民的な感覚からは抜け出せないミノリなのだ。
「おぉ……これがお母さんの世界の市場」
「いっぱい置いてあってすごい……」
きっと最初で最後の訪問となるスーパーに入ったネメとトーイラが興味深そうにキョロキョロと店内を見回している。
「本当に何でも買ってもいいの? かーさま」
「えっと、生魚や生肉、それと野菜や牛乳みたいなすぐに消費できなくて日持ちもしないもの以外だったらいいよ。買うものが決めたらこの籠に入れてね。それとみんなに注意するけどあそこにあるレジでお金を払うまでは絶対に袋を勝手に開けたり、中身を食べたり、ポケットとかに品物を隠したりしちゃだめだからね」
リラからの質問にそのように答えながら家族全員に軽く注意を促すミノリ。一応買い物に関しての基本的な知識は家族全員既に身につけているはずだが再度の念押しである。
なにせこれをやってしまって警察を呼ばれてしまった場合、おそらくもう二度と帰ることができなくなるから。それだけにミノリもしつこいぐらいに注意してしまう。
「それじゃこのフロア内を自由に……いや、みんなで行動した方いいかも。これからこの買い物のフロアを順番に回っていくから気になったものがあったらここに入れてね」
「「はーい」」
そしてミノリは家族全員を引き連れながらスーパーの中を順番に歩く。
「えへへ、カップラーメン、カレー……もう食べるのが無理だと諦めていたものがこんなに……。ラップもあると便利だよね……いっぱい買っておこう」
「おばーちゃんがすごい顔してる……」
あちらの世界では味わうことが難しいものをミノリは次々に買い物かごへ入れていく。まるでこれから数ヶ月山ごもりをするかのような買い込み量で、普段から暴走するノゾミにすら指摘されてしまうほどに今のミノリは暴走状態なのだったが、ずっと口にできなかった恋しい日本の食べ物を前にした以上、こればかりは誰にも止められないのだ。
「よしシャル、おかあさんを真似て私たちも気になったものをじゃんじゃん籠に入れるべし。いらなければいらないであとでお母さんに省いてもらおう」
「そうですねネメお嬢様!」
そして買い物の化身と化したミノリに感化されるようにオンヅカ家の面々も次々買い物籠へ気になったものを放り込んでいく。
買い物に来たのがスーパーだけあって籠に入っているのは食品が主だったが、保冷剤やラップ、保温効果のある水筒などの『あればどれだけ便利だったろう』と思われるものも幅広くかごに収められていて、すっかり『月に一度の買い出しにやってきた山奥住みの主婦とその家族』状態である。
そしてミノリたちは食料品とその関連商品を扱っている区画を回り終えて次に区画へ移った。
「お姉様、こちらのコーナーは何でしょうか?」
「えっと、ここは赤ちゃん用品のコーナーだよ。あ、そうだ。紙おむつは買っておいた方が育児には便利かも。まぁノゾミみたいな子にはあんまり役立たないかもしれないけど」
シャルからの問いに答えながら紙おむつを買ってはどうかとミノリは尋ねると、シャルも同意するように首を縦に振って紙おむつを手にした。
「そうですね。将来的には使うかもしれませんから買わせてもらいますね。使わないのであればクロムカさんにプレゼントするという手もありますしね」
ミノリの話を受けて紙おむつを買うことに決めたシャルが買い物かごに紙おむつを入れると……。
「そっかプレゼント……。それだったらあたし、あれが欲しいな。置いてあるかな……」
側にいたリラがポツリとそうつぶやいて何かを探し始めた。誰かに何かをプレゼントしたいのだろうか。
そして一通りフロアを巡ったミノリは見落としがあったかもしれないからと2巡目へと移る。
「みんな、あと一周してから最後に買う予定のものを確認して、それから会計済ませるからもう一度欲しいものがないか見てみてねー」
「「「はーい」」」
これで最後となることからみんなが注意深く他に気になるものがないかと見ていたところ、乾麺のコーナーでネメは何かを見つけたようでミノリにこれが何なのか尋ねてきた。
「おかあさん、これ多分食べ物だと思うけどこの味や如何に」
「んー、どれどれー……ってぶふっ」
ネメが持ってきたそれを見た途端、ミノリは思わず吹き出してしまった。というのもネメが持ってきたものはソバの乾麺で、パッケージには食料品の方のザルソバの絵が描かれていたからであった。
「おかあさん、どして吹いたの?」
「えーっと……なんでもないよ」
「ふむ……お母さんの謎たる笑いのツボ」
ミノリが転生したゲームの世界のおいて本来の主人公であるユー・シャリオンの名前がユーではなくザルソバ(人名)となった事が要因で、最終的にザルソバ(人名)から女神様として崇められてしまう立場になってしまった事実から目をそらし続けていたかったミノリにまざまざと見せつけられるザルソバ(食料品名)の4文字とザルソバ(食料品名)の絵。
それをどう説明すればネメが理解してくれるか全くわからないため、ミノリはごまかした。
と、そんなちょっとしたハプニングはあったもののスーパーの店内巡り自体は順調に進み、2巡目を終えてレジに向かう前に買い物かごの中身の最終確認をミノリがしていると、リラが一人だけちょっと困った顔をしているのがミノリの視界に入った。
(あれ、リラが何か困った顔をしている。……確か何品か気になったものを買い物かごに入れていたはずだったけど、お目当てのものが見つけられなかったのかな?)
ミノリは購入邸の品を確認がてらリラに聞いてみることにした。
「リラ、どうしたの困った顔して。もしかしてほかに探してるものあった?」
「あ、かーさま。……うん、実はあたし欲しいものがあったんだけどここで売ってるのを見つけられなくて……」
「そっか……ちなみになにが欲しかったの?」
「えっと……さっきの結婚式で核熙おじーさまが座っていた動く椅子」
ミノリはリラのその言葉を聞いて先ほどの結婚式での核熙の姿を思い返す。
「お父さんが乗っていたものというと……もしかして車椅子? それだったら多分ホームセンターに売ってると思うけど……なんでそれが欲しいと思ったの?」
リラは普通に歩けるので車椅子なんて必要ないはず、でもリラがほしいということは何かしら理由があるはずだ。それを踏まえてミノリはもう一度リラに尋ねるとリラはその理由を教えてくれた。
「うん、あの車椅子をスーフェお姉さんにあげたいと思ったの。こないだ服を作ってもらいに行ったとき、採寸するのがとても大変そうだったから車椅子プレゼントしてあげたいなと思って」
「なるほど……」
ミノリはリラの説明を聞いてほしい理由がわかり、納得したが家で留守番をしていたことで『スーフェ』とは面識の一切ないトーイラが今度はリラに聞いた。
「リラ、スーフェって誰?」
「えっと、あたしが結婚式でフラワーエンジェルしている時の服を作ってくれた人で……あたしをかーさまやトーイラおねーちゃんたちに引き合わせてくれるきっかけをくれた人……かな。その人が両足使えなくて大変そうだったから車椅子良さそうと思って」
「そっかぁ、あのリラのきれいな衣装を作った人なんだね」
実際はそれだけではなく、リラが幽閉される原因を作った人物であり、さらには左目を失明してしまうきっかけとなった人物でもあるというマイナスな部分もあるはずなのだが、リラはその点については触れずにトーイラにスーフェのことを説明した。きっとそこまで説明してしまうときっとトーイラはスーフェに対して殺意を向けてしまうだろうから。
リラの説明はそれを考慮した上での完璧なもので、事実トーイラはそれを疑うことなく納得した。
「……うん、わかった。リラがスーフェさんに車椅子をあげたいと思ったのなら私は構わないよ。ここには売ってないからあとで売ってるお店に行こうか」
「買っていいの? ありがと、かーさま」
自分のためでなく誰かのために買ってあげたいと考えるリラは本当に性根が優しい子だと、ミノリは心の底からそう思う。
こんな天使のような心を持つリラではあるが種族としてはれっきとした吸血鬼である。しかし誰もリラの事を吸血鬼だとは思わないであろう。
(秋穂が本当にリラが吸血鬼なのかって疑った気持ちがよくわかるよ。こんな優しい子がそうだって普通は思わないよね)
ただ、ミノリがそのように考えるのはリラの心が優しいからである一方、秋穂からするとあらゆる特徴が吸血鬼からはかけ離れているからという大きな齟齬があるのだが……。
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その後、スーパーの会計を済ませてからホームセンターに寄ったミノリたちはそこで車椅子を購入した。車椅子とはそもそも無縁だったために平均的な値段がよくわからず予算内に収まるだろうかと少し不安だったミノリであったが幸いにも価格は予算内で済んだ。
「これでよかったんだよね、リラ」
「うん、ありがと。かーさま」
嬉しそうにハンドルをつかんで車椅子を運ぶリラ。
「それじゃこれで買うものは買ったし……バスの時間だからそろそろ行こうか」
気がつくとバスが出る時間まではあと少しというほどになっていた為、ミノリたちはすぐ近くにあったバス停がミノリの実家に向かう路線であることを確認するとその場で待機し、やってきたバスにそのまま乗り込んだ。
バスに揺られるオンヅカ家の面々。初めての異世界への旅行に加え、最後の最後になって大量の荷物となった疲れからかミノリを除く全員が船をこいでいる。
そして唯一起きているミノリは窓から見える景色を見ていた。
(あとは腕時計とバスカードと物置の鍵、そして余ったお金を返して人形を引き上げればすべて終わり……)
窓越しに空を見上げると橙一色。そして風が強く吹いているのか木が大きく靡いているのも確認できる。
「……来たときも思ったけど、これで本当にこの景色も見納めなんだね」
今ミノリの視界に移るのは十数年も見ていなかった前世では当たり前に通ってきた道や眺めてきた山並み。
それらを見ることができるのはこれで最後。自分たちが今暮らす世界に戻ったらもう二度と見ることはできない。だからこそミノリは脳裏に焼き付けるように窓からの景色を眺めた。
「あ、そういえば結婚式に向かう際に食べようと思ったぶどう飴……今食べようかな」
景色を眺めていたミノリであったが、結婚式に向かう際は食べずにとっておいたおやつの存在を思い出すと、バッグからぶどう飴を取り出して包み紙を開け、ぶどう飴を一口かじると甘酸っぱい味が口の中いっぱいに広がった。
(なつかしい……おいしい……だけど、これを食べられるのももう、最後……)
さっき買い物をした際にぶどう飴は買わなかった。そのため今ミノリがかじっているぶどう飴は本当にこれが最後である。
(……あらゆるものが今日で最後になっちゃうけど……でもそれでいいんだ。だって私はもうこの町で生まれ育った隠塚穂里じゃなくて、みんなの母親の隠塚ミノリだもの。気持ちを切り替えないと……)
感傷に浸ってぶどう飴の最後の一口を食べられずにいるミノリを乗せたバスはミノリの気持ちを知ってか知らずかそのまま走り続け、やがて実家まであと停留所が2つほどになったところでミノリはようやく最後の一口となったぶどう飴を口に放り込んだが……。
「……なんでだろ、最後の一口だけちょっとしょっぱい……」
……甘酸っぱいはずのぶどう飴が何故かその時はほんの少ししょっぱく感じられた。
ちなみに結婚式場に向かうバスでは降車ボタンを押せなくてギャン泣きしたノゾミだったが、帰りは実家近くのアナウンスが聞こえてきた途端に目覚めて無事ボタンを押すことができたので大変満足した様子であったそうな。
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実家に一番近いバス停から歩いて実家に戻ってきたミノリは周りに誰もいないことを確認してから敷地に入って物置の鍵を開け、借りていた一式を全て棚に置いた。そしてあちらの世界から来た際に持って行くのを忘れたミノリ人形も忘れずに回収する。
「それじゃノゾミ、ここへ来るのはこれが最後だから人形は持って帰るからね。こっちの世界にはもう来ちゃだめだからね」
「……うん」
物置の鍵を玄関の新聞受けに投げ入れてからノゾミにしっかりともう来ないことを約束させるミノリ。きっとノゾミとしてはまた何度も来たいと思っていたのかもしれないが、こういった時ミノリの意思が堅いことを知っているから少し黙った後、静かに頷く。
「よし、これで返すものはすべて返したし……家に帰ろうかみんな」
「「「「「……」」」」」
しかしどういうわけなのか、家族の誰もミノリの言葉に返事をせず、それどころかミノリの顔を見つめながら全員が困ったような顔をしている。
「……・あれ、みんなどうしたの? なんで黙っているの?」
「それは私たちの言葉だよ、ママ……」
「おかあさん……大丈夫?」
ミノリを見ながら何故か辛そうな表情をするトーイラと、心配したような言葉をミノリに向けるネメ。
「え、なんで大丈夫だって聞いてきたの? 私は普通だよ」
「普通じゃないですよ。それだったら……お姉様はなんで、また泣いているんですか?」
「あ……」
シャルに指摘されてミノリは自分の頬を手でなぞると雨でもないのに濡れていたことから、今日何度流したかわからない涙をミノリは無意識の内に再び流していたことに、ミノリはこの時初めて気がついた。
「ご、ごめんねみんな……やっぱり、ね。もう私はみんなの母親だったり祖母だったりするのに、前世の私に引っ張られて、どうしても寂しいって思ってしまって、涙が止まらないんだよ。…本当に今日は泣いてばかりで情けないメンタルでみんなに心配かけてごめんね。でも、私は大丈夫だから、ね」
「かーさまがそう言うのなら……」
みんなに心配かけちゃだめ、だってもうここは私がいていい世界じゃないんだから。それに自分には今目の前にいる大切な家族がいる。だから寂しくない、泣く必要がない。
必死にミノリは、そう自分に言い聞かせながら涙を拭う。
「それじゃノゾミ、そろそろドロンとする術を……」
「待ってよお姉ちゃん!!」
ミノリがノゾミにドロンする術をお願いしようとしたまさにその瞬間だった。
既に新居で新郎と暮らしはじめているので、本来なら結婚式後にこちらへ戻ってくるはずのない秋穂がいつの間にかミノリ達の背後にいたのだ。第一まだ披露宴の二次会やら三次会を行っているはずの時間なのに。
ミノリは混乱したように秋穂に尋ねる。
「あ、秋穂……な、なんでここに?」
「自分の車でだよ!」
「いや、そういうことじゃなくて……なんでここにいるの?」
確かに秋穂の言葉の通り、かわいらしい軽自動車がいつの間にか止まっていた。それが秋穂の車なのだろうとミノリも思ったのだが……その時のミノリは秋穂がいきなり現れたことに気をとられていて気がついていなかった。
「よかった、なんとか間に合ったわ。もう、あなたがのんびりしてるから」
「すまない、すまないって……」
……車内にもう2人、ミノリに視線を向けながら何か言葉を交わしている人影があることに。




