212. 17年と4ヶ月目③ 花嫁と吸血鬼。
「よ、よーし……あとは結婚式の会場に向かうだけ……」
降車ボタンを押したかったのに押せなかったことでノゾミが大泣きするというトラブルはあったものの、なんとか無事バスから降りることができたミノリたち。
ちなみに先ほどあんなにギャン泣きしていたはずのノゾミは今ではすっかり泣き止んでいるのだが、ノゾミが泣き止む直前にネメがノゾミに向けて『あとでお母さんに近距離でお母さんのおへそを拝んでもいいように説得するから』などという珍妙な言葉をはいていたようにミノリには聞こえたがきっと聞き間違いだろうと考え、そして本当に聞き間違いじゃなくても聞き間違いだと思いたいミノリは結婚式が行われるホテルに向かうべくみんなに声をかけた。
「それじゃみんな、結婚式の会場までは私の後をはぐれないようについてきてねー。それと少し不安な気持ちはあるかもしれないけれど、それをあまり表には出さないようにして堂々と歩いてね。……不審がられたらそれだけで私たち結構まずい気がするから……」
ミノリの生家周辺部は観光地が殆ど無いようなものだが、町自体には観光地がそれなりにあるからか外国人観光客も意外と見かける。
その為、ミノリたちが町中を歩いているからというだけで瞬時に不審がられるわけではないのだが異世界からやってきている以上、ミノリたちはパスポートもビザも持っているはずもなくうっかり職務質問などされてしまえば一発アウトである。
そうなると当然結婚式に出席もできなくなるわけで……だからこそ怪しい行動はできるだけ慎まなければならない。その考えの基ミノリは注意を促してみたわけだが……当然といえば当然で全員ミノリの言葉に従順であった。
「ママ、それは当然そうするよー。私たちも変なことしてママに恥ずかしい思いさせたくないし」
「こちらの世界について完全なる門外漢故にお母さんに従うのが最善策」
トーイラとネメが口にするようにミノリ以外にとってここは勝手がわからない世界のよくわからない場所であり、いくらこの2週間でこちらの世界の知識に平仮名や片仮名、英数字など最低限の言葉は勉強したとは言えど漢字は全く読めないし教え切れていない常識などもある。その点を踏まえるとミノリの指示に従い、ミノリと同じように行動するのが最良の選択肢なのだ。
そしてミノリを先頭にしてカルガモの行進のように横断歩道を渡り、ほかの通行人の邪魔にならないように一列で歩道を歩いていくと、トーイラがある建物に向けて指さした。
「あ、ママ。結婚式の会場ってあそこの建物で合ってるよね?」
「えーっと、うん、そうだよ。すごいねトーイラ。よくわかったね」
「えへへ、だってママに教わった字で書いてあったんだもの。だから私でも読めたんだよ」
トーイラに言われて改めてミノリが式場となるホテルを見てみると、確かにホテルの名前が記されたカタカナのみの看板が取り付けられていた。そのおかげでトーイラは気づくことができたのだろう。
「あ、言われてみれば確かに。それじゃみんな、会場はあそこだからはぐれないようについてきてね」
学習した成果を早速発揮することができたことでミノリに褒められて嬉しそうに顔を綻ばすトーイラを見て、大人になっても私の前だとやっぱり子供らしく振る舞う事を微笑ましく思いながらミノリは再び先導するように歩き始めた。
******
会場であるホテルに入り、エレベータを使って結婚式が行われる階でミノリたちが降りると、ちょうど目の前で結婚式の受付が行われていた。
結婚式の受付はどうやら新郎新婦の友人で行っていたようだが、今受付を行っている人たちにミノリは全く見覚えがない。
おそらくミノリが死んだ後に秋穂にできた友達か新郎側の友人なのであろう。
「それじゃ私、みんなの代わりに受付してくるからそこでちょっと待っててね」
見覚えのない人が受付をしていたことにほんの少し安堵したミノリは自分一人で受付をまとめて済ませてしまった方がいいだろうとミノリは家族に待つよう伝えると、まっすぐに受付へ向かった。
「こんにちは、秋穂の結婚式に出席する……」
「えっと、ミノリ・オンデューカさんとそのご家族ですね? あなたがミノリさんでよろしいでしょうか?」
ミノリが名乗るよりも前に先に受付の人に名前を言われてしまった。
ちらっとミノリが名簿を見た限りでは明らかに外国人のような名前だったのは自分たちだけ。そしてほんの少し前にエレベータから降りてきた異国情緒あふれる見た目の集団の中にいた褐色の女性。それだけで自分がミノリとその家族だとわかったに違いない。
それを瞬時に悟ったミノリはそのまま受付を済ませることにした。
「はい、私がミノリです。そしてあっちにいるのが残りの家族全員です」
「わかりました。ミノリさんとその家族全員出席……っと。……あ、そうだった! えっと、アッキー……じゃなくて秋穂からミノリさんに伝言があって、到着次第リラちゃんとノゾミちゃんと一緒に控え室まで来てほしいということだったので一緒に来てもらえますか?」
「へ? ノゾミも? えっと、とりあえずわかりました。ちょっと2人を連れてきますので」
リラについては事前に秋穂とも話をしていたので理解はしていたが、ノゾミもとは思ってもみなかったミノリは少し首をかしげながらフロアの隅っこで待機する隠塚家の面々の元に向かった。
「お姉様、受付終わったんですか?」
「うん、受付自体は終わったんだけど、リラとノゾミには結婚式でやってもらいたいことがあるからまた少し離れるね。すぐ戻ってくるから」
「そうですか……」
「ん、どうかしたの?」
戻ってきたミノリがまたすぐ離れると聞いてシャルは少し困った顔を見せる。
「えっと……なんでだかわからないんですけど、このあたりにいる男性たちから注目を浴びている気がするんですよね、私……それで、その事に気づいたネメお嬢様が殺気を放つようになってしまって……」
「あー……そういうことか……」
シャルの話を聞いてからミノリが周りを見てみると……恐らく新郎側の出席者と思われる集団が確かに遠巻きにこちらの方へ視線を向けていた。まぁ、見目のいい集団が一角に集まっているのだから注目されてしまうのも無理はないわけで……ミノリは視線を向ける人たちの考えに少し同調してしまう。
(気持ちはわかるよ。だって、みんな綺麗なんだもん。その上シャルの場合は……)
そしてミノリはこの集団の中でおそらく一番注目されているであろうシャルに視線を向けた。シャルは露出の少ない衣装を着ているのだがプロポーションが非常にいいことが服越しからもわかる上、隠れていることが逆に妙な妖艶さを醸し出してしまっている。これで注目されない方が難しい。
(人妻で経産婦なんて普通思わないから、そりゃ注目されるよねぇ。そして声掛けされないのは多分ネメのおかげなんだろうけど……こんな殺気を放ったままだとそのうち殺気だけで人を殺しかねない気がするから少し抑えてもらわないと……)
そしてミノリは先程から異様な雰囲気を放っている事が一目でわかるネメに気持ちを落ち着けるよう声をかけた。
「ネメ、苛立つ気持ちはわかるけど、あんまり殺気立たないでね。結婚式という畏まった場でまだ始まってもいない段階からナンパしてくるような人は殆どいないだろうし、あっちの世界と違ってこんな場での誘拐とかってまず無いから……」
「むぅ……お母さんがそう言うなら少し殺気弱める。でも万が一私たちの半径5mに近づいてきてシャルに声かけしようとしてくる輩が現れたら……殺る」
「やめてねそれは絶対に! なんとか対話で処理してね!?」
ミノリの言葉でネメは先程から強烈に放っていた殺気をとりあえず抑えたようなのだが……今のネメの発言を聞く限り、万に一つ、誰かがナンパ目的でシャルに近づいてしまったら、結婚式が台無しになるどころか町全体が滅ぶような事態が起きかねない、そんな予感をミノリはひしひしと感じてしまった。
(せ、せめて私が戻ってくるまでの間何事も起きないように……!)
ミノリは心の中で必死にそう願いながら、リラとノゾミを秋穂の元へ連れて行くべくことにした。
「そ、それじゃリラ、ノゾミ、ちょっと私と一緒に来てくれるかな」
「わかった、かーさま」
「はーい!!」
「いってらっしゃーいママ」
「……トーイラ」
「んー、なーに?」
その直前、ミノリはすぐ側にいたトーイラに、ネメには聞こえないぐらいの小声で頼み事をした。
「多分大丈夫だと思うけど……ネメが怒りに我を忘れて何かしでかしそうになったら……悪いけど全力で止めてね。結婚式で大惨事なんて事態、避けたいから……できるだけすぐ戻ってくるから」
「あはは、ママってば心配性なんだからー。とりあえずわかったよー。……まぁ私もネメの気持ちすっごくわかるけどね。もしもママがナンパ目的で声を掛けられるような事態が起きたら自分でも何するかわからないもん」
「……そ、そう……」
(……どうしよう、トーイラもトーイラでなんだか不安……急いで戻らないと)
トーイラにお願いはしたもののその反応からトーイラはトーイラで導火線が外れただけの爆弾みたいな状態のようで長時間離れるのは厳しいとなんとなく察したミノリはリラとノゾミを連れて行ったら急いで戻る事を決意してから、秋穂が待っている控え室へと向かった。
*****
「アッキー、ミノリさん連れてきたよー」
「ありがとう、中に入っていいよ」
受付の女性にミノリたちが連れてこられたのは花嫁の控え室前。彼女がノックをして控え室の扉を開けると、そこには純白のウェディングドレスを着終えて式が始まるのを待つ秋穂が立っていた。
「わぁ……秋穂すっごい綺麗……」
「おね……ミノリさん! よかったぁ来てくれたんだね! そしてノゾミちゃんもこんにちは。リラちゃんは初めましてだね!」
「こんにちはアキホおばちゃん!」
「こ、こんにちは……」
ウェディングドレスを着た秋穂に思わず感嘆のため息を漏らすミノリと同時に、秋穂もまたミノリの到着に嬉しそうな声を上げてから、ノゾミとリラにも挨拶をした。
秋穂の挨拶に対してノゾミは元気よく返事を返した一方、リラはミノリの後ろに隠れながらちょっと小さな声での返事。おそらく初対面なので緊張しているのだろう。
そして最初はミノリの事を『おねえちゃん』と呼ぼうとしたらしい秋穂であったが、ミノリが秋穂の姉であった『穂里』の転生者であることを知っているのは秋穂だけで、今この場にはミノリたち以外にもここまで案内してくれた受付の女性もいたことから秋穂は『お姉ちゃん』と呼ぼうとしたのを我慢して『ミノリさん』と呼んだようである。
ただ、ノゾミがそんな秋穂の気遣いに気づかなかったのか「アキホおばさん」と言ったので、ミノリたちをここまで連れてきてくれた受付の女性は軽く首を傾げていたのだが聞き間違いだと思ったようで、特にそれについて触れる事は無く控え室から出て行った。
「それじゃミノリさんを連れてきたことだし私は受付に戻るね」
「うん、ありがとねー」
女性が控え室から出て行ったのを確認してから、秋穂はミノリに向かって話し出す。
「それにしてもお母さんたちが居ない時にお姉ちゃんが来てくれてよかったよ。いたらお姉ちゃんと同じ名前の人が来たと不思議がったに違いないもん」
「あ、今ここにお母さんとお父さんいないんだね」
「うん、今は結婚式に来てくれた親戚たちに挨拶しに行ってるの。だけどあと5分ぐらいで戻ってくるよ」
また、『ミノリ』という名前についてそれで穂里のことを思い浮かべる人物、特に両親が控え室にいる可能性も十分にあったのだが、秋穂の話に聞く限り、タイミングよく不在だったようだ。
しかし、あまり時間は無いことも秋穂の話から察せられた為、鉢合わせはなるべく避けたいミノリは手短に用を済ませることにした。
「それで、約束した通りリラを連れてきたんけど……ノゾミもなの? 何も聞いてなかったけど……」
リラについては事前に約束をしていたのでミノリもわかっていたがノゾミについては知らされていない。その事についてミノリが尋ねると、やはり急なお願いだったようだ。
「うん、本当は別の子にお願いする予定だったんだけどその子は今日熱を出しちゃって来られなくなっちゃったから、急になって悪いけどノゾミちゃんにお願いするしかなかったの。その子ぐらいに小さい子ってあとはノゾミちゃんしかいないし……」
「ノゾミぐらいの大きさの子がする事でリラがする事じゃない事といえば……あぁ、あれかなぁ」
秋穂の話を聞いたミノリは、秋穂がノゾミに何をさせたいのかなんとなく察することができた。
「おばーちゃん、ノゾ、結婚式で何かするの?」
「そうだよノゾミ。あなたも結婚式で大事な役目をする事になったから、秋穂に何をするのかしっかり聞いてやりたいって思ったらお願いね。嫌だったら嫌でも構わないけどノゾミにとって一生の思い出になると思うから……それでいいんだよね、秋穂?」
「うん、大丈夫だよお姉ちゃん。ノゾミちゃんに無理強いはするつもr」
「ノゾ、やるー!!!」
何をするかまだ聞かされてもいないのにも関わらず声高らかに「やる」と宣言するノゾミ。まぁここまでやる気十分なら大丈夫だろうと、ミノリは2人を秋穂に任せてトーイラたちが待つロビーへ戻ることにした。
「それじゃほかの家族たちが待っているから私は戻るね。……秋穂、結婚式、がんばってね」
「うん……ありがとお姉ちゃん」
そしてミノリが控え室から出ていった事で人見知りのあるリラは少し不安な気持ちになってしまったのだが……。
(……かーさまたちがいなくて不安だけど……あたし、ノゾミちゃんよりもお姉さんなんだし、あたしもやるって決めたからこことにいるんだから……がんばらないと……!)
しかし、その不安を払拭してしっかり自分の役目を果たそうとリラは自分を鼓舞してから秋穂に尋ねる。
「えっと、アキホ……さん、結婚式で着る衣裳に着替えていいですか? 特に羽は誰かに見られちゃうとまずいから早めにカバーをつけないといけないので……」
「あ、それじゃ私が羽カバーつけてあげようか?」
「そう……ですね。アキホさん、お願いします。えっと……あたしの羽を見ても驚かないでくださいね?」
そう言いながらリラがリュックを背中から下ろすと、リュックによって外から見えないように隠されていたリラのこうもり羽が姿を現した。そんなリラのこうもり羽をジッと見つめる秋穂。
(どうしよう……アキホさんがあたしの羽を見て固まってる……やっぱりあたし、来ちゃダメだったのかな……?)
何も言わずにじっと見つめてくるアキホの考えがわからず、言い知れぬ不安が徐々に大きくなっていたリラに対して、秋穂が漸く口にした言葉はというと……。
「リラちゃんって本当に羽が生えているんだねー、かわいいー」
「え、か、かわいい……この羽が? 怖くないんですか? 吸血鬼だってすぐにわかる羽が映えているんなんて怖がられるんじゃ……」
まさか自分の羽がかわいいと言われると思いもせず、思わずリラは秋穂に聞き返してしまったが、秋穂は本心からそう言っているのが一目でわかるようにニコニコしている。
「怖くないよー。多分世界が違う事での感覚の違いなのかなぁ。こっちの世界だとリラちゃんみたいに羽を持っている人ってそもそもいなくて、せいぜい創作物の中とかコスプレぐらいなの。だから恐怖心みたいなものは特に無いからリラちゃんを見てもかわいいって思っちゃうのかも。まぁそれは私だけかもしれないけどね」
「……そうなんだ。あたしね、かーさまのおかげで今は安心して暮らせるようになったけど、それでも吸血鬼として生まれてきた事をコンプレックスに思っていたから、かーさまの妹のアキホさんにそう言ってもらえたの……嬉しい」
秋穂が自分のこうもり羽に対して好印象を持ってくれたおかげでリラの不安が一瞬で吹き飛んだ。特にリラは同族からも忌み嫌われた光属性の吸血鬼であったから、その喜びは一入なのである。
なお、秋穂はミノリからリラが光属性で日光浴が大好きで流水も平気で吸血はするけどトマトジュースが苦手、そして血を吸ったとしても吸われた相手が眷属になるわけでもないし鏡にだって映るという吸血鬼らしからぬ特徴だらけである事を事前に聞かされているせいもあって、リラの事を『たまに血を吸う羽の生えた女の子』という認識しかなく、吸血鬼だとは微塵も思っていないというお互いに誤解している点はあるのだが……。
「はい、羽カバーつけたよ」
「あ、ありがとうございます、それじゃ着替えてきますね。……眼帯はつけたままでいいですか?」
「うん、大丈夫だよ」
お互いにその誤解に気づく事は無く、羽カバーをつけてもらったリラが白いワンピースに急いで着替え終えるのを確認してから秋穂はリラとノゾミにお願いしたいことの説明を始めた。
「リラちゃん着替え終わった? それじゃリラちゃんとノゾミちゃんにお願いしたい事を説明するね。えっと、まずリラちゃんにお願いしたいことは……」
リラとノゾミは真剣な表情で秋穂の説明を聞く。特に事前にミノリから話を聞いていたリラは真剣そのものであった。
この日の為にトーイラ達に内緒で白いワンピースと羽カバーを用意してきたことと、秋穂が自分を保護してここまで育ててくれた義母であるミノリの妹であるという事もあるのだが、それ以上に秋穂は吸血鬼の証のような羽に対して、嫌悪感を抱くどころからかわいいと褒めてくれた。
そのおかげで、当初は頼まれたからという義務感と、トーイラが結婚式でのリラの姿を見て振り向いてくれるかもというミノリの甘言に乗ったという打算的な考えもほんの少しあったのだが、今は絶対に成功させてみせるという強い思いを抱くことができたのだ。
(あたし……絶対に成功させてみるからね、アキホさん)
そしてリラとノゾミが準備を終えて秋穂から何をすべきなのかしっかり話を聞き終えたその時であった。
「秋穂、戻ってきたわよ……ってあら? あなたは確か……お墓であったことのある子よね? 秋穂の知り合いの子だったの?」
「あ! ひいおば……じゃなくて前にお墓で会ったことあるおばーちゃん!!」
ミノリの前世での母親であり、ノゾミにとっては曾祖母にあたる隠塚タカネが親戚への挨拶回りを済ませてきたらしく、車椅子に乗った初老の男性と共に姿を現したのであった。




