198. 17年と3ヶ月目②-6 穂里である証明。
孫であるノゾミと共に転生前の世界へやってきて、実家の前へとやってきたミノリ。その門の前でミノリが呼び鈴を押すか押さないかで葛藤していている姿を見て声をかけてきたのはミノリの実妹であった秋穂であった。
「え、なんで私の名前を……何処かで会ったことあります……?」
初対面だと思っていたのにもかかわらず自分の名前を知っていたことで動揺する秋穂をよそにミノリは目が潤みそうになっていた。
(秋穂……私が最後に見たのは中学のジャージ姿で、顔立ちは変わらないけどすっかり大人になって……でも、どうしよう、自分が穂里だと名乗る心の準備が……)
先程までは家に入るかはいらないかで悩んでいたミノリであったが、ミノリなりの順序立てがあり、呼び鈴を押す事で自分が穂里である事を告白する決意をしようと思いかけていた所へ向こうから声をかけられてしまい、その計画が崩れてしまったことで頭が微妙に回らなくなってしまっている。
その時だった。
「おばーちゃん、落ち着いて。だいじょうぶだよ、ノゾが一緒にいるよ」
「あ……。ありがと、ノゾミ」
ミノリと手を繋いでいたノゾミが小声でミノリにそう呟くと、繋いでいた手をほんの少しだけ力を入れて握りだす。
それは自分の心を信じて、というノゾミからの応援のようで……ミノリはその気持ちに応えるべく、決意を固めたかのようにその手を強く握り返した。
(秋穂は信じてくれないかもしれないけど……せっかくここまで来たんだから……!)
ミノリは自分が秋穂の姉であり、17年前に17歳で死んだ『隠塚穂里』であると目の前にいるかつての実妹、秋穂に伝える決心を固め、口を開いた。
「えっと、姿は全然違うし、信じてくれるかわからないけれど……私、ミノリだよ。わかるかな、秋穂。ずっと前に死んだあなたの姉」
「え、穂里お姉ちゃん?! ……いやいやいや、ちょっと待って……」
ミノリが、自身が穂里である事を告げると、動揺したような表情を見せた秋穂。しかしその表情は徐々に不快なものをと変わっていく。
「……確かに私の記憶にあるお姉ちゃんの声と同じような気もするし、緊張感ある場面だっていうのに何故だかのほほんとしたようなしゃべり方する所とか確かにお姉ちゃんはそんな感じだったよ。だけど見た目が全然……褐色だし耳が長い……のはコスプレだからまぁ置いておくとして……第一もう十数年も前に死んじゃっているっていうのに。
あの、すみませんがそれ冗談で言っていますか? 冗談で言ってるとしたらものすごくたちが悪いです」
秋穂が苛立ったような表情になり、冷たい丁寧口調になってしまったが、それもまた仕方ない。
突然現れた不審者から死んだ姉だと主張されるのは身内として腹立たしいのは当然のことなのだから。
「まぁ、そうだよね……秋穂がいうように姿が全然違うもの。これじゃまず信じてもらえないってのは自分でもわかっていたよ。だけど、私は本当に穂里なんだ」
しかしミノリは諦めない。自分が穂里である事を証明するために言葉を続ける。
「……だから私が家族しか、特に秋穂と私しか知らない思い出話を、話せば信じてくれるかな?」
「……勝手に言えば?」
ぶっきらぼうに言葉を返す秋穂だったが、完全な拒絶ではなく、少しでも耳を傾けてくれる姿勢を見せてくれたあたり、本当に僅かだが目の前にいる臍出し褐色耳長コスプレ少女が姉であった穂里である可能性をまだ完全に否定していないのかもしれない。
ミノリはもしかしたらまだ秋穂が信じてくれるかもしれないという、そのわずかな可能性に賭け、秋穂との思い出話を話し始めた。
「秋穂って小学校低学年の時、近所に生えていたヨウシュヤマゴボウの実を綺麗だからって摘んで大量に抱えて歩いていたら盛大にずっこけて全身紫になった事あったよね。
その上毒がある上に苦くてまずいって事も知らずに見た目がおいしそうって一口食べてあまりのまずさにその場で吐き出して今度はその勢いで仰け反ってそのまま用水路に落ちておかあさんに怒られて……」
「待って待って!! よりによってなんでその話なの!? こういったとき普通感動的なエピソード話すのが普通でしょ私その心構えだったのに!! その話今でも思い出すと恥ずかしくて悶えるからやめてよ!!」
まさか自分の恥ずかしいエピソードがミノリの口から出てくるとは思っても見なかった秋穂は顔を真っ赤にして声を荒げて抗議しだしたが、ミノリは意に介さない。
それは怒られてもいいから、自分が絶対に穂里であると信じてもらいたいが為であった。
「そう言われても、これだって私にとっては大切な思い出だもの。だからまだ話すよ、秋穂との思い出話」
「まだ言う気なの!? 恥ずかしい話はほんっとうにやめてほしいんだけど!!」
「私は自分が穂里だと秋穂に信じてもらうためにここまで来たんだもの。だから秋穂には悪いけどやめない。次も秋穂の恥ずかしい話」
徹底抗戦の構えであるミノリは秋帆との思い出話を続けて話し始めた。
「次はまだ秋穂が幼稚園だった頃の話。町内の夏祭りに行った時に、どうしてもチョコバナナが食べたくなったけど変なおもちゃを買いすぎたせいでお小遣いを使い果たしてしまってギャン泣きした秋穂に、仕方ないなぁって私が代わりにチョコバナナを買ってあげた事あったよね。
だけど秋穂ってばチョコバナナを受け取ったら嬉しさのあまりにその場で跳ね回りすぎて、石に蹴躓いて一口も食べてないのに盛大に転んでチョコバナナ落としちゃったりもしたよね。そしてその後泣きながら砂まみれのチョコバナナ食べてたね……というか秋穂転びすぎ」
「だからわかったからやめてって言ってるでしょ!!! 私その話今の今までずっと忘れていたのにそれ話し出された途端に砂まみれのチョコバナナの味思い出しちゃったじゃん!!
そういうお姉ちゃんこそ近くの沢に私と一緒に遊びに行ったらぬかるみに長靴が思い切りはまって抜けなくなったせいで大泣きしながら年下の私に助けを求めた事あるじゃん!! 中学生にもなって!!」
「ふぐっ!!」
恥ずかしいエピソードを続けざまに言われたせいだからだろうか、ミノリが穂里である事を証明するために話を聞かせていたというのにまるで逆襲とでも言わんばかりに秋穂の口からもミノリの恥ずかしいエピソードが飛び出した。
「で、でもそれは秋穂がモリアブラコウモリなんていうこの辺りに生息しているのかいないのかすらわからないコウモリを探したい見たいって私にせがんだからでしょ!」
「だって動物図鑑にこのあたりはちゃんと生息域だって書いてあったもん!! ……あー、でもそんなエピソード知ってるあたり、やっぱりあなたはお姉ちゃんなのかもしれないと思えてきたわ……」
明らかに低レベルな言い争いであるが、これは長年ともに過ごしてきた姉妹だからこそであり、そのおかげで秋穂は目の前にいる褐色耳長臍出し少女がミノリではと思い始めていた。
「ほ、本当? どう秋穂、これで私が……穂里だと信じてくれた?」
「……えぇと……確かに今話してくれた事と私が言った事に返してくれた言葉で、もしかしたらお姉ちゃんかもしれないって思えてきたよ。……だけど、ごめん……まだやっぱり信じきれない……」
しかし、まだ決定打とはいかないようで、本当に信じていいのか葛藤するような表情をしている秋穂。しかし先程のような刺々しく冷たい反応ではないことから、少しずつ自分に心を開き始めている事をミノリは実感しだす。
「まぁ、思い出話なんてどこからか漏れているかもしれないからね。それじゃぁ……私の特技、披露するからそれを聞いてくれたら信じてくれるよね。
私の読み聞かせが好きだった秋穂に地元の昔話も聞かせようとしていっぱい練習していた……私の特技で……私が死んでなかったら、将来なりたかったもの」
「!!」
自分が穂里であるとあと少しで信じてもらえると確信したミノリは、最後のダメ押しといわんばかりに、とっておいたある特技を秋穂に披露する事にした。
それは隠塚家の面々、特に幼かった頃のネメやトーイラにとっては当たり前になっている『こちらの世界に伝わるお話の読み聞かせ』に関係するものなのだが……今からミノリが披露するのはあちらの世界では通じないだろうという判断から、ミノリが転生後、一度も披露したことがなく、今ここにいる者の中では秋穂にしか通じない特技だった。
「それじゃ聞いててね。実際にこれ披露するのはこの世界にいたとき以来だからだから20年ぶりくらいになるけど……『民話の語り部』になりたかった私の特技。
……昔あったずもなぁ。松崎の登戸に茂ン助ん家があったずがぁ、あっ時、そこん家の7つぐれぇになる女子の童っこいたずもな、そン童、冬の寒い日に外さ遊び行ったまま、いっっっこと帰って来ねかったず」
「!? ……寒戸の婆……じゃなくて、それ、モンスケ婆!?」
ミノリは常人よりも遥かに読み聞かせが得意で、幼かったネメやトーイラ、そしてリラにも多く聞かせていたが、何故ミノリがあそこまで多くの物語を知り、さらに読み聞かせの題材としては知名度が幾分劣る遠野物語を話すことができたのか。
その理由、それはミノリの将来の夢が語り部になることで、元々は転生前の穂里がまだ幼かった妹の秋穂にあれこれお話を聞かせてあげようと民話を調べているうちに、民話や昔話に興味を持つようになったことから胸中に抱くようになった夢だったからである。
だからこそミノリは、転生直後の弊害で思い出せなかった中でも語り部になろうとたくさん練習した寒戸の婆はしっかり覚えていて、ネメやトーイラに読み聞かせ用にアレンジして聞かせる事ができたのだ。
「お、おばーちゃんが……へんなことばしゃべってる……」
ミノリが特技を披露した事で、秋穂が驚き、目を丸くしている一方で、ノゾミもまた目を丸くしていた。
確かにミノリがこちらの世界の訛りと方言で話した事は当然ながら聞いた事がなかったので、呪文やそういった類のものと思ったのかもしれない。
「……お姉ちゃん……。絶対に、穂里お姉ちゃんだ……」
そしてその特技のおかげで、秋穂はミノリが自分の姉で17年前に死んでしまった穂里だと確信できたようだ。
「よかった……秋穂が信じてくれて。これでも信じてくれなかったらもうお手上げだったよ私……」
秋穂が信じてくれたことに安堵のため息を漏らすミノリ。
「信じるよ。だってさっき話してくれたの、寒戸の婆の元の『モンスケ婆』だったもの……」
ミノリが先程語り部として披露していたのは、ミノリ達の家では読み聞かせのお話で定着している『遠野物語』の『寒戸の婆』冒頭部分だったのだが、正確に言うと『寒戸の婆』ではなく、遠野物語の編者である柳田國夫に物語の蒐集家であった佐々木喜善が伝え、自身でまとめた東奥異聞に掲載されている『モンスケ婆』であった。
柳田國夫の『遠野物語の寒戸の婆』と佐々木喜善の『東奥異聞のモンスケ婆』、この2つは佐々木喜善が柳田に伝えた話であるため、基本的に同じ話なのだがいくつか差異があり、特にわかりやすいのは冒頭に出てくる地名である。
モンスケ婆では『松崎の登戸』という実在する場所だったのに対し、遠野物語では『松崎の寒戸』という遠野には存在しない地名となっており、ミノリの転生前の世界へやってくる数日前、クロムカの元へ遊びに行ったノゾミが『サムトってどこ?』とミノリに聞いた際に『実際には寒戸ではなく本当は別の名前だった』と話していたが、ミノリがそのように伝えたのは以上の理由からである。
「普通、『遠野物語』での語り部をするなら『松崎の寒戸』になっている『寒戸の婆』にするはずなのに……お姉ちゃん、わざわざ『松崎の登戸』って言ったんだもん。その話をお姉ちゃんが語り部として披露する時に、決まって『東奥異聞』の『モンスケ婆』に出てくる『登戸』に言い換えて語る事を知っているの、私とお母さんだけだもの。
だけど、これで……確信できたよ。……お姉ちゃん!!」
「わっ!」
しかしそのおかげで目の前の褐色臍出しエルフ耳少女が十数年前に死んだはずの姉だと確信する事ができた秋穂は、ミノリヘ駆け寄ると……。
「う…うぅ……おねぇちゃん…おねえちゃん……!! 会いたかった! 会いたかったよ、お姉ちゃん……」
ミノリを抱きしめながら、滂沱の涙を流していた。




