194. 17年と3ヶ月目②-2 涙の理由。
──話は少し前に遡る。
「ノゾミー、遊びに行くのはいいけど迷惑掛けちゃダメだからねー」
「わかったよおばーちゃん、いってきまーす!!」
ミノリの言葉を最後まで聞いてくれたかはわからないが、孫のノゾミが威勢良く玄関から出て行く姿をミノリは見送った。
ノゾミはここ最近、クロムカとザルソバの子どもがいつ生まれるのか楽しみで仕方ないらしくよく2人の家へ遊びに行く。しかしそんなに頻繁に遊びに行っても迷惑なのではないのだろうかと思うミノリに反して、クロムカもザルソバはノゾミが遊びに来てくれるのを歓迎しているそうだ。
「でも昨日は流石に驚いたなぁ……一応手土産の果物は渡したしから大丈夫だったとは思うけど……」
その為、ミノリはノゾミがしたいように自由に遊びに行かせていたのだが、昨日はまさか昼食まで2人に食べさせてもらうと知った時は流石に慌て、お詫びとお礼を兼ねて急いで果物を渡したミノリである。
そんな事を思い返していたミノリだったが、気持ちを切り替えるように腕を組んで今日の予定を考え始めた。
「さてと、今日は何しようかな。洗濯は朝早くにトーイラが済ませてくれたし、食料の保管はあるから狩りにも買い出しにも行かなくていいし、今日のお昼担当はシャルだから今日は一日フリーだから……あ、そうだ」
家事を順番に担当するオンヅカ家でたまにある家事を一切しなくてもいい日。それがたまたま今日であったミノリは何かを思い出したかのように自分専用の書斎へと向かった。
そして引き出しにしまってあった一冊の本を取り出すと、そのまま机に座り、ページを開き出す。
「実はまだ隈無く読んでなかったんだよね、このゲーム雑誌」
ミノリが読み出したのは、どうやらミノリが前世住んでいた世界に迷い込んだ際に、偶然入手したらしいゲーム雑誌。その誌上には偶然にもミノリが転生したこのゲームの世界の続編の情報が記載されていたのだ。
そして自分が今までしてきた行動が一因となって、続編の主人公が生まれなくなる可能性やメインキャラが存在しなくなる可能性が発覚し、ミノリは内心で慌てていたのだが、色々な偶然が重なったおかげで、本来の流れでは無いにせよ、大きく逸脱しない程度に続編へとうまく流れを繋げる事ができた。
その事でミノリはすっかり安堵してしまった為に、ついうっかりそれからこのゲーム雑誌をろくに見返していなかったのだ。
「もしかしたら私がまだ気づいてなかっただけで他にも見落としがあるかもしれないし、もう一度見返してみようかな」
そう考えたミノリは冒頭のページから一ページずつ、しっかりと目を通すことにしたのだ。
しかし……。
「……まぁ、当たり前なんだけど殆どのページは私達に関係はなさそう」
ミノリはそのように独り言ちるがゲーム雑誌なのだから当然のことで、ミノリが転生したこのゲームの続編に関する特集ページ以外は全く関係の無い作品である。
そのため1ページ1ページしっかり目を通そうと思っていても、自分たちと関係ないページはついつい飛ばしがちに読んでしまい、結局ミノリはこのゲームの続編の特集記事を見直し始めたのだが、流石にまだ続編が発表されただけの段階だった為、ミノリが欲しいような情報は特に載っていないと判断したミノリは、念のため特集記事を最後まで見終わると、再び見返すようなせずに次のページから始まる別のゲームの記事へと移った。
しかし、そのページはもう完全にミノリ達と無縁の内容だった為、じっくり読もうとはもうミノリも考えてはおらず、ただざっと目を通してパラパラと頁をめくるだけである。
「……それにしてもこのゲーム雑誌、一体ノゾミは誰からもらったのかな?
確かお墓でもらったって言ってたから、きっと私みたいに若くして死んじゃったゲーム好きな子の墓前に備えようとしたんだと思うけど……ってあれ、何か挟まってる?」
ミノリがそうつぶやきながら雑誌をパラパラとめくり続け、やがて雑誌の終わり辺りのページにまで辿り着いたその時、ミノリはこのゲーム雑誌とは関係が無いと思われる紙が挟まっている事に気がついた。
「何だろうこれ……って、そうか。この雑誌はノゾミがもらった物だから、これをノゾミにくれた人が何かを挟んだままうっかりノゾミに渡していたって何らおかしな事じゃないんだよね。
……それにしても私ってば特集ページの方ばかり気にしていたから最後の方まで見ていなくて全然気づかなかったなぁ。それで一体何が挟まってい……えっと、これは手紙? 差出人も何も書いてないからこれは……墓前に添えるために入れたものだったのかな……」
ゲーム雑誌に挟まっていた紙を取り出したミノリが改めてその紙を見てみると、それは封が切られていない洋形型の封筒であった。そして封筒の表にも裏にも名前は書いていなかった事からそのように推測したミノリなのであったが、ここまで封筒にまったく情報が無いとなってくると妙にその封筒の中身が気になってしまうわけで……。
「そういえばこの雑誌をノゾミに渡してくれたおかげで、続編に繋げられない危機を乗り越えられたわけだからある意味私にとっても恩人なわけで……お礼ぐらいは言いたいんだよね。
まぁ当然知らない人なんだろうし、実際に言う事は無理だけど……どうしよう、絶対によくない事だって自分でもわかってるのに誰がこの雑誌をくれたのか確認したくなってきた。そうするとこの手紙の封を切るしか……」
全く知らない人の手紙の勝手に見るのはどうだろうという思いもあるミノリだったが、その手紙をこの異世界に持ってきてしまった以上、この手紙の主に返すことはもう叶わない。
「……誰が書いたのか差出人を確認するだけだから……本文は絶対に読まないようにするから……」
言い訳めいた事を独り言ちるミノリは、それでもやはり封を切るのが後ろめたいようで誰もいないというのにしきりに辺りをキョロキョロと見回し、一息ついてから封を切って手紙の中身を除いてみると……中には便箋とハガキがそれぞれ一枚ずつ入っていた。
「手紙の中にハガキ……?」
ハガキなら別に単独でもいいはずなのに、わざわざ封筒に入っている事を不思議に思いながらミノリが封筒からハガキを取り出し、裏面を見ないように心がけながら表面にある差出人の名前に目を通したその瞬間であった。
「……え……?」
ミノリはその名前に釘付けになってしまったように目を丸くさせた。何故なら……。
「……隠塚タカネ……お母さん……?」
その差出人はミノリの前世での母親である『隠塚タカネ』だったからであり、ミノリは予想外の差出人に混乱したかのように狼狽えだしてしまった。
「え、待って待って……なんでお母さんの名前がここに書いてあるの……え、それじゃ、この手紙、お母さんは一体誰に出そうと……あ……あっ……あ」
ミノリはタカネの名前が書いてあった差出人の方に真っ先に注目してしまった為、誰宛だったのかを見落としているのに気づき、宛名の方に今度は視線を向けたのだが……ミノリはその宛名を見た途端、自分の心臓が大きく脈打ったように感じ、さらに急に眼が悪くなったかのように視界までもがぼやけだしてしまった。
「……私宛だ……これ……」
宛名に書かれていたのは『天国の穂里へ』という、よくよく見れば見覚えのある筆跡で、もう二度と見られるはずのなかったそれを見たからミノリは涙で視界がぼやけてしまったのだ。
「……」
ミノリは涙が浮かんだ瞳を拭い、何も言わないまま前世の自分である『隠塚穂里』宛ての便箋の方にも目を通し始めると、そこにはミノリが死んだ後の、遺された家族達のこの数年の間での近況が記されてあった。
「ここ数年なのは……きっと今までに何度もお母さんが私宛に手紙を書いていたからなんだよね……」
そうポツリとつぶやいたのを最後に、黙々と便箋の文章を読み続けるミノリであったが……最後に記されていた言葉を見てミノリは無意識につぶやいた。
「結婚……そっか……秋穂が……」
便箋の最後に記されていたのは、前世の自分が死んだ時にミノリの4歳年下で当時はまだ中学生だった妹の隠塚秋穂が半年後の6月に結婚式をあげるという内容であった。
「そっか……あんなにちっちゃかった秋穂が……結婚……。あれ、ということはもしかしてさっきのハガキってもしかして……あ、やっぱりそうだ。これ、結婚式の出欠の返信用ハガキだったんだ……だから封筒の中に……」
先程宛名や差出人が書かれた表面を見たきりだったハガキの裏面の方をミノリが見てみると、やはりそのハガキは結婚式の案内状だったようで、そこには秋穂の今の年齢が『29歳』としっかり書かれていた。
ミノリがこの世界に転生してから17年と3か月。どうやらミノリの転生前の世界とこちらの世界は同じ時間軸ではあるようなのだが……それなのにミノリは、自分だけが置いていかれたような気持ちになってしまった。
(中学生になった時までの秋穂しか知らなかったのに、もう29歳なんだ……私が知らないうちに、あの子もどんどん大きくなって………きっとお母さんやお父さんも私の想い出よりも年を取って……)
死んでしまった事で穂里だけ時が止まってしまった世界で、穂里の家族達は今もその時を進めているという事実に改めて気づいてしまったミノリは手紙を持ったまま宙を仰ぐ。
「あ、そっか……そういうことだったんだ……。ノゾミがドロンして消える術を使った時に偶然迷い込んだ先が私のお墓で、そこへ墓参りにたまたま私のお母さんがいて、お母さんはうっかり手紙ごとノゾミに雑誌を渡しちゃったんだよね。……それで……」
何故タカネがこのゲーム雑誌を持ってお墓に来たのか、そして何故わざわざ返信用のはがきを入れた封筒を雑誌に挟んでいたのか、その理由にミノリは気がついてしまう。
「絶対に帰ってくるはずのない返信用のハガキまで入れた封筒を雑誌に挟んでお墓へもってきたのは……『幽霊でもいいから、私に秋穂の結婚式へ来て欲しかったから』って事なんだよね………うっ……」
その事を理解したミノリがそこまで口にした途端、ミノリの瞳から大粒の雫が一滴、また一滴と流れ出したかと思う間もなく涙が溢れだし、止まらなくなってしまった。
「おか……さんっ……おかあさ……んっ……ごめん、ごめんなっ……さい……う……ううっ……死んじゃってごめん……ごめんなさい……それに、結婚式、行けなくてごめんな……さい。っ私、死んじゃっても元の世界で幽霊だったら、行けたかもしれない……でも、無理、無理なんだよ……魂も体ももうこっちの世界にあるから……行けない、絶対に行けないんだよ……う、う………手紙に気づくのも遅れて……結婚式だって、もう、終わっちゃってるよね……ごめん、ごめん、ごめんっなさい……お母さん、秋穂……」
それでもなんとか涙をこらえようとするミノリだったが……もう気持ちを抑えることができず、堰を切ったかのように子どものように泣きだしてしまう。
それでも声を出さずに泣いていられたのは、娘達に心配は掛けたくないという想いがあったからで……それが無かったらきっとミノリは大声を上げて泣いていたに違いない。
(だめ……涙、とまんないよ……はや、く、泣きやまないと……みんなに、心配、かけちゃう……のに……)
ミノリはなんとか泣くのを止めようとするが、そんなミノリの気持ちなどお構いなしに涙は止めどなくミノリの瞳から溢れ続ける。
……その時だった。
「……おばーちゃん……?」
小さな一つの影が、書斎に入ってきた。
「ねぇ、おばーちゃん、なにがあったの……? なんで、泣いてるの……?」
その声を耳にしたミノリが泣いたまま声がした方に顔を向けると、そこには孫のノゾミの姿があった。
「あ、ノゾ……ミ……」
哀しい気持ちに耐え切れなくなったが為に、誰かに縋りたかったのかもしれない。
椅子から立ち上がったミノリはノゾミを抱きしめようと近づいたのだが、心の中で荒れ狂う激しい感情の嵐と涙ではっきり見えない視界によってミノリは体をうまく動かすことができず、ノゾミを抱きしめる前に体がよろけた事でそのまま座り込んでしまった。
「う……うぅ……」
「おばーちゃん……」
すると、そんなミノリの気持ちに気づいたのか、泣き続けるミノリにノゾミがゆっくり近寄り、ミノリに優しく抱きついて背中をさすり始めた。
「……大丈夫だよ、おばーちゃん。みんないるよ。なんで泣いてるのかわかんないけど、安心して。ノゾも、ネメママにシャルママも、トーイラおねーちゃんにリラおねーちゃんも、それにクーちゃんとザルちゃん、みんなおばーちゃんの事だいすきでみんなおばーちゃんと一緒にいるよ。……だから、泣かないで」
「……」
まだ2歳だというのに気遣いができるおばーちゃん子のノゾミ。そんな孫の優しさに触れたミノリはまだ涙を流しているが、先程までの悲痛な表情は幾分和らいでいた。
「ありがと……ありがと、ノゾミ……」
そして……駆けつけてきたのはノゾミだけでは無かった。ドアの方から少しずつ聞こえてくる足音。それはこの書斎に向かってくる4人分の足音で……。
「マ、ママ……?」
「おかあさん……?」
「かーさま、なんでそんなに泣いてるの……?」
「お姉様……」
心配そうにミノリの姿を見つめるミノリの愛娘たちと妹分。
(あ……結局みんなに心配かけちゃったね……うん、正直にみんなに話そう……)
──何故泣いてしまったのか、ミノリはその理由をみんなに打ち明ける事にした。




