193. 17年と3ヶ月目②-1 娘たちと孫の困惑。
「ザルソバさま、それじゃワタシ、洗濯物を洗ってくるですの」
翌日、昨日と同じように寝ぼけたザルソバベッドへ引きずり込まれたりしたクロムカは、朝食を食べて片付けまで終えると、昨日と同じように洗濯物を抱えて川まで向かった。
タイミングがずれたのか昨日と異なりトーイラが川にいなかった為、クロムカが一人で洗濯に勤しんでいると、今日もまたノゾミが遊びにやってきた。
いや、遊びにやってきたというのは語弊があるのかもしれない。というのも……。
「ごしゅ……ノゾミさま、なにしてるですの?」
「えっとね、ニンジャの修行だよクーちゃん。川に浮かんだまま動かないのも修行かなとと思ってこうしてるの」
ノゾミが上流から流れてきたからである。
「だ、だめですのノゾミさま。最近暖かくなってきたとはいえまだ川の水は冷たいですの。それに川はちっちゃいノゾミさまが一人で来るのは危ないからすぐに上がるですの」
しかしそのおかげですぐに気づくことのできたクロムカはノゾミを川から引き上げると、洗濯後に腕などを拭くために持ってきていたタオルでノゾミの体を拭いてあげた。
「えへへー、ありがとうクーちゃん」
「どういたしましてですの。でもこれからは一人で川で修行はダメですの、絶対大人の人とにするんですの」
「はーい、ごめんなさいクーちゃん」
お隣さんの娘であるノゾミに対しても優しくするところは優しく、叱るべきところはちゃんと叱ることのできる辺り、きっとクロムカはいい母親になれるだろう。
そしてノゾミは川で洗濯を再開するクロムカとおしゃべりを始める。
「そういえばクーちゃんって、回復魔法が得意なんだよね?」
「そうですのノゾミさま、ワタシ、一応回復術士ですから」
「いいなー。ノゾ、回復魔法はさっぱりだからうらやましいな。ちなみにクーちゃんはなんで回復術士になろうって思ったの? ノゾ、知りたいなー」
「そういえばワタシ、孤児になった事については話してたですけどそれについてはまだ話してなかったですね、わかったですの、お話ししますの」
クロムカは自身が回復術士になった経緯をノゾミに話し始めた。
「えっと、前に話したように孤児になったワタシはそのまま孤児院に入ることになったですけど、色々あって誰も信じられなくなっていたワタシは孤児院にいた他の子となじめずに過ごしていたですの。……今思うとあの子達にはとっても悪いことしたなって思ったりするんですの……。
それはともかく、そんなワタシを気に掛けた孤児院のシスターさんが他の子達と仲良くなるきっかけを作ろうと町の外へピクニックへ連れ出してくれたのですけど……タイミング悪くモンスターが襲ってきたんですの。そしてそのモンスターが、ワタシの両親の仇の一部だったんですの」
クロムカが仇の『一部』とわざわざそう言ったのはクロムカにとっての仇はこのモンスターだけでなく、親戚や親戚が雇った荒くれ者なども含まれているからである。
「その姿を見た途端、頭に血が上ったワタシはすぐさまそのモンスターを殺そうとしたですけど……非力だったワタシじゃ全然歯が立たなくて死にかけてしまったんですの。
それで『あぁもうダメかな、仇を倒せずに死んじゃうんだ』って思いかけた直後に、町の方からワタシ達を助けに冒険者さんが駆けつけてきてくれて仇のモンスターを倒してくれたんですの。そしてその冒険者の中にいた回復術士の方がで大怪我をして死にかけていたワタシに回復魔法を掛けてくれて、ワタシは助かったんですの」
「……そうだったんだね、クーちゃん」
「まぁ仇はワタシは討つことはできなかったですけどこればかりは仕方ないですの。だけどそのおかげでワタシは回復術士に憧れをいだくようになったんですの。幸いにもワタシには回復術士になれる素質があったみたいで、助けてくれた回復術士の方がワタシを弟子にしてくれたんですの」
「そっかー。クーちゃんそれで今まで回復術士としてがんばってきたんだね、偉い偉い」
「ふにゅ……」
ノゾミに頭をなでられ、嬉しそうに目を細めるクロムカ。既にペットと飼い主の関係ではにあのだが、相変わらずノゾミの方が立場は上らしい。
……そんな風にして2人が座りながら仲睦まじくしゃべっているその時だった。
「……あ!!」
「……どうしたんですの、ノゾミさま?」
ノゾミが突然何かを感じ取ったかのように立ち上がったかと思うと、困惑しながら辺りを見回し始めた。
「ご、ごめんねクーちゃん! ノゾ、急いで戻らなくちゃ!! 大変!!」
「え、一体何が…ってノゾミさまーー!?」
ノゾミはクロムカが言葉を言い切る前にその場から駆けだして行ってしまった。
「あ、もう見えないですの……一体何があったんですの……?」
クロムカは走り去っていったノゾミの方を見ながらその場に立ち尽くすことしかできなかったのであった。
******
ノゾミがクロムカのもとから走り去る数分前、オンヅカ家の居間ではミノリの娘達3人とシャルがお昼までの間、時間を潰そうとするかのように雑談を交わしていた。
ちなみにミノリはそのとき書斎にこもっていた為この場にはおらず、4人だけである。
「ねぇネメ……私今までずっと思っていたことがあるんだけど……聞いていい? 応えにくかったら答えなくても全然構わないから」
「どしたトーイラ、藪からボアに。私とトーイラとの間には壁など存在しないから自由に疑問を聞くべし」
双子の妹であるネメに対して、長らくの間トーイラは疑問に思っていたことがあったようで、その疑問を直接ネメにぶつけた。
「ネメって昔ママのことをずっと『おね……』ってお姉さんと言い間違えてからお母さんって言ってたけど……あれって途中からわざと言ってなかった? だっておかしいもの何年も言い間違えるのって」
「ぎく」
トーイラその疑問を口にした瞬間、珍しくネメは動揺したらしく、体をビクッと反応させた。どうやらわざとだったのは図星だったようでネメは滝のように汗を流している。
「……私、ぎくって自分で口にする人初めて見たかも。それにすっごい汗。暑い時以外で汗流す人も初めて見たよ私」
そのあからさまな反応は思わずトーイラがそんな事を指摘してしまうほど。
「……とても恥ずかしいけど確かにそう。それは子供だった頃の私が抱いていた浅ましい考えによる行動の結果によるもの」
その指摘を受けたネメは少し気まずそうな顔をしながらその理由を口にしはじめた。
「あの頃のおかあさんは私にとって本当の姉みたいな存在だったからおねえさんって呼びたかった。
トーイラと小さい頃にどちらが姉か妹かで一度だけ大喧嘩した事があるけど昔の私は自分の方が姉だと思っていたから、おかあさんみたいな姉が欲しかった。だからずっと言い間違えていたらいつかおねえさんって呼ぶのを許してくれて、本当に私の姉になってくれるんじゃないかと思って、だから言い続けてた」
どうやらあの言い間違いはミノリの事を姉と呼んで慕いたいという気持ちが引き起こした行動だったらしい。しかしミノリが抱いていた『2人の母親でいたい』という意思の方がネメの想いよりも遙かに強かった。
「だけど一回間違えて『おね……』を付けずに『おかあさん』って呼んだら、おかあさんが本当に嬉しそうに顔を綻ばせて……その顔を見たらもういいかって思うようになって、それからおかあさんと呼ぶことに決めた……けど……」
「……『けど』? え? これで終わりじゃないの?」
「肯定。もういっそ全部ぶちまける。えっと…………」
普通に考えれば『おかあさんと呼ぶことに決めた』で終わってもいいはずなのに、ネメは『けど』と言葉を続けたことにトーイラは首を傾げる。
そんなトーイラの反応を横目に、そう言った後で珍しく顔を真っ赤にして黙り込んでしまったネメ。しかし全部打ち明けると言った以上、言わないわけにはいかないと自分でもわかっていたのかやがて意を決したのかその真実をついにネメは口にした。
「今度は『おね……』を最初につける癖が抜けなくなってそれが完全に無くなるまで2年掛かった」
「ぶふっ」
まるでミイラ取りがミイラになってしまったかのように裏目に出てしまったネメの作戦の結末を聞いた途端、トーイラは思わず吹き出してしまった。
「笑止笑止」
トーイラに笑われてしまったことで余計に恥ずかしくなってしまったのか、もう笑うのはやめて欲しいと言わんばかりにペチペチとトーイラの肩や背中を軽く叩くネメ。
「あはは、ごめん、ごめんってばネメ。でもおかしいんだもの。でもそっかー。それだったらあの頃ずっと『おね……』って言い続けていたのか理由がわかったよ。
それにしても恥ずかしくて言いにくかった事だろうに……打ち明けてくれてありがとうね、ネメ」
「……許す、もう私は小さい頃の私じゃなくて、今では嫁と娘がいる大人だから。……でもおかあさんにはその事を言わないで欲しい。ただでさえトーイラたちに話すのですら恥辱だったというのに、当事者であるおかあさんにまで聞かれたら私は悶死必須」
「うん、わかったよネメ。……多分私がネメの立場だったら同じように言ってると思うし」
「ありがとトーイラ。双子だからこそ理解が早くて良き」
ネメのお願いに対してトーイラが首を縦に振った一方、フォローとは言い切れない事を言い出したのは……ネメの愛しき嫁であるシャルだった。
「それにしても、ちっちゃい頃から割と達観していたような雰囲気があったネメお嬢様でしたけど、そんな子どもらしい可愛い一面もあったんですね。なんでしょう、無性に今、ニマニマした顔になりたくなっています私」
「シャルがからかってる感じがして私としては甚だ憤慨」
「別にからかってないですよネメお嬢様ぁ。私、とってもかわいいと思っていますよ」
「むー……」
シャルの言葉を聞いて、ほんの少し不機嫌そうにほっぺを膨らませたネメだったが、眉間にしわを寄せたわけでも顔を顰めたわけでもなく、シャルを抱きしめながらそのように反応した為、お互いに信頼しきっているからこその発言だったようだ。
そして、そんな姉たちの会話をただ一人黙って聞いているだけのリラであったが、やがて首をこてんと傾げたかと思うとその口を開いた。
「……もしかして今って、聞きたくても聞けなかった事を聞いたりしてもいい流れ? そしたら私、シャルおねーちゃんに聞きたいことあるの」
「へ、私にですか?」
「うん」
ネメに続けと言わんばかりに、リラもずっとシャルに聞きたいと思っていたことを口にし出す。
「えっとね、あたしがまだ北の城に幽閉されていた時の事で、あたしは何度も何度も脱走して失敗して捕まってを繰り返していたんだけど……その時の牢屋の見張り番っていつも同じ人だったの。
隠れていたあたしが捕まってから北の城へ連行したモンスターの一人だったんだけど……多分脱走しようとするあたしをわざと見逃してくれたんだなって今になって思うようになったんだ。……その人、あたしが難度も脱走を繰り返す内にいつの間にか居なくなっちゃったけど……。
……それでシャルおねーちゃんに聞きたいのは、シャルおねーちゃんと同じような魔女の格好をした人で、緑髪の女の人、知ってる?」
「あぁ……はい」
リラがシャルに聞きたかったらしい事を話し終えた途端、少しだけ寂しげな顔になるシャルだったが、やがてポツリポツリと言葉を紡ぎ出す。
「多分それはスーフェ……私が知ってる子で間違いないと思います。まだお姉様やネメお嬢様達と出会う前の野良モンスターだった頃の私の友達で、当時の私より強かった魔女ですよ。長い間見かけないと思ったら……そっか……そういうことなんですね……」
シャルの表情に寂しさが込められてしまったのは、リラの口から出た『いつの間にかいなくなった』という言葉があったからだ。それを聞いただけでシャルはスーフェが既に処刑されてしまい、もうこの世界には存在しない可能性が非常に高い事を察してしまったのだ。
「……シャルが私以外の女を頭に思い浮かべているのを検知。その女との関係を正直に私に申すべし」
「え!? ちょ、待ってくださいネメお嬢様!? ただ思い出しただけですしスーフェとは何の関係もないただの友達でしたよ!?」
シャルがスーフェのことを思い返そうとした途端、その回想に割って入ってきたのは伴侶であるネメ。
まるでシャルの思考回路が読めるかのようにそれを遮ってきたわけだが、ただの友達だと言い張るシャルに対し、ネメはさらに言葉を続ける。
「なるほどその女はスーフェという名。とりあえず私以外の女の気配を漂わせたシャルには罰として今日の夜は甘い声で叫んでもらう」
「そ、そんな!……ってそれいつもじゃないですかネメお嬢様!!」
先程の仕返しと言わんばかりにシャルに対してそう口にするネメ。
少し会話の中に他の女性の気配がしただけでそう反応するあたり、ネメの独占欲が少し強くなったのかもしれない。
「ま、まぁ……私、ネメお嬢様になら何をされてもいいですけど……ネメお嬢様一筋なのは変わらないですし……」
そして何故か顔を赤らめてネメがしようとしてる何かを受け入れる気満々のシャル。
……相変わらず仲の良いふうふで何より。
──その時だった。
「おばーちゃーん!! どこ、おばーちゃん!! あ、ネメママにシャルママにトーイラおねーちゃんにリラおねーちゃん! おばーちゃんどこにいるのか知らない?」
三十分ほど前にクロムカとザルソバの家へ遊びに行ったはずのノゾミが血相を変えて飛び込んできたのだ。
生まれてこのかた2年とちょっと。ノゾミの両親であるネメとシャルですら今までに見たことが無い慌てようだった為、困惑した面持ちになりながらもネメはノゾミに何があったのか尋ねた。
「おかあさんなら書斎だけど……どしたのノゾミ、そんな慌てて」
「あ、あのねあのね! ノゾ感じたの!! おばーちゃんがすごく泣いてるって!! それも悲しそうに!! ノゾ書斎行っておばーちゃん見てくる!!」
「「「「え?!」」」」
ミノリがほろりと静かに涙を流す姿や、嬉し泣き、それに微妙にショックな出来事があって涙目になる姿は見たことは何度もあったが、ノゾミが話すような大泣きする姿となると今まで一度も見たことが無かった娘達とシャルは驚いたように目を大きく見開き、
「なにがあったんだろう…ママのところへ行こう!!」
「御意」
「うん」
「わ、私も行きます!」
娘たちはノゾミを追いかけるように駆けだしてミノリのもとへ向かい、書斎に辿り着いた4人が見たものは……。
「マ、ママ……?」
「おかあさん……?」
「かーさま、なんでそんなに泣いてるの……?」
「お姉様……」
……ノゾミに背中をさすられながら、床の上に座って便せんらしき白い紙と小さめの少し硬そうな紙を片手に持ち、もう片方の手で止まらない大粒の涙を拭い続けるミノリの姿であった。




