番外編2-19. 遅すぎた自覚。
また分量を見誤りました。
次回が番外編2の最終話になります。
今日もいつものように少女相手にけいこをつけるスーフェ。少女は日ごとに強くなってきてはいたのだが、昨日まではまだまだスーフェには敵わず布の剣をかすらせるのがやっとだった。しかしどういうわけだか今日は違い、少女の剣さばきも体の動きもまるで別人のようになっていて、明らかにスーフェの方が劣勢だった。
「待って、ちょっと待って! なんだかいきなり強く……」
「そうだよお姉さん! 私、昨日までの私じゃないんだよ……今だ!!」
「きゃんっ!」
少女が手にしている布製の剣はスーフェの杖をスーフェごと弾き飛ばし、その勢いで尻餅をついたスーフェの玉を少女は布製の剣で叩く。まぁ、叩いたといっても、当然ながら布製なのでダメージは皆無なのだが。
少女にけいこをつけ始めてから、2年。ついにスーフェ相手に競り勝つことのできた少女はスーフェを起こそうと手を伸ばすとスーフェはその手を取って立ち上がった。
スーフェは初めて負けたというのに意外にもその晴れ晴れとしている。その理由は今自分に土をつけた少女の嬉しそうな顔があったからだ。
「お姉さん、私、初めてお姉さんに勝てたよ」
「あはは……私の負けね、参ったわ。おめてとう、本当に強くなったのね。というか今日になっていきなり強くなったわよね……」
スーフェは不思議そうにそうつぶやく。確かに昨日まで少女もそれなりに強かったが、まだ自分に負かす程では無かったはずだ。だというのに今日になって異様に強くなったからこそ不思議に思ったのだが……その理由を少女はスーフェに教えた。
「うん、実は……前に『天使みたいな羽の生えた女性が来た』って話をお姉さんにしたと思うんだけど、そっちの方の準備ができたみたいで、今朝私のところへ『光の巫女』を名乗る女の子が来たからなんだ。
その子の話によると、私には『導かれた者として英雄になり、世界を救うことができる素質』があるみたいで、その子が持っていた杖を私にかざして何かの詠唱を始めた途端、私の力が急に溢れたみたいになって……」
「光の巫女……? あ、本当だわ、確かに昨日まであなたの魔力は土属性だったはずなのに今は光属性に……ということはもしかして、あなた……」
スーフェは『光の巫女』と『英雄』という言葉が少女から出た途端、その表情に困惑の色が色濃く出てしまった。光の巫女や英雄が世に出てくるのは人間にとっての『世界の危機』が訪れた時だ。
ここ2年もの間、殆ど森から出たことのなかったスーフェには最近の世界情勢は疎い方ではあったが、それでも『世界の危機』に繋がる事柄に一つだけ心当たりがあって、それはリラという少女を自分に連れてこさせようとした、北の大地にある城を根城にしている魔物の男がそれだ。
リラの特異体質は使い方によっては世界を崩壊させる力があるし、それをわざわざ探させて連行しようとしたこと、そして目の前の少女が以前に口にした『天使みたいな羽の女性』……それは恐らく光の使いの事で、世界が危機に瀕すると光の巫女になる素質の者や英雄になる者を探し出す役目を担っていたはずだ。
いくら自分が人間と敵対する立場のモンスターといえど、今ではもう目の前の少女と過ごすこと以外の興味が薄れていたスーフェにとって『人間にとっての世界の危機』みたいなワールドクラスの話なんてもう自分とは無縁の事で、ただこの少女と師弟の関係として、ささやかだけど幸せな日々をずっと続けられればいいと思うだけであった……先程までは。
しかし、今日まで一緒に過ごしてきたこの少女が英雄になる存在であるとなると話は別だった。といっても、スーフェにとって少女が絶対に倒さなければならない敵になるという意味では無い。なにせスーフェはどこにも属していない野良モンスターで、『モンスターとしての本能』が湧き出すと人間を襲う以外は自由気ままな存在なのだ。
むしろこの場合、問題になるのは少女の方だった。英雄になる素質があると光の使いから告げられ、さらに光の巫女から『光の祝福』を与えられる事となった者は、世界の危機を救いに行く使命が課せられるのだ。
そして、それが示すことはつまり……。
「……お姉さんはなんとなくわかっちゃったみたいだけど……私は明日からお姉さんのところに来ることができないんだ……この世界を救いに行かなくちゃいけないみたいで……」
「……やっぱりそうなのね」
明日からはもうこの少女が自分の元へ訪ねてこないという、スーフェが一番聞きたくなかったことを言いにくそうに告げる少女に対して、『この楽しかった関係もこれでもう終わり』ということを悟ったかのようにポツリとスーフェはつぶやく。
「でも、でも!! 世界の危機を救ったら、私、絶対にお姉さんの元へ帰ってくるよ! だってまだお願いしたかったこと、お姉さんに叶えてもらってないもの!」
「あ、そういえばそうだったわよね……ちなみに何をお願いしたかったの?」
少女が自分の元から去ってしまうことのショックが大きいあまりうっかり忘れかけていたが、確かにスーフェは少女が自分に勝つことができたらお願い事を一つ聞くと約束していた。
それではこの少女がこの2年もの間、ずっと自分に何をお願いしたかったのかスーフェは尋ねると、少女は茹だったかのように突然顔を赤くさせ、そしてこの2年間ずっと秘めていた想いをスーフェに漸く告げた。
「……私が、私がこの世界の危機を救ってここに戻る事ができたら……私と恋人として付き合ってください!!」
「!? 私と!?」
「うん……私、お姉さんの事、大好きだったの……自覚は無かったけど多分初めて出会った日からずっと……」
「……」
少女がお願いしたかったこと、それはスーフェと恋人になりたいというスーフェにとって予想外のお願いであった。
師弟関係として確かに親しい間柄ではあったが、まさか少女の方からそれをお願いされると思ってもみなかったスーフェは驚いた顔を少女に見せた後、優しく微笑んで……その言葉に応えた。
「……ええ、あなたが無事にここへ帰ってくる事ができたら、私、あなたの恋人になるわね」
「ほんと!? 本当にいいの、お姉さん!」
「もちろんよ……だから頑張って世界の危機を救ってきてね、小さな英雄さん。救うのに失敗したとしても私はここで待っているわ。……だから、がんばってきてね」
「うん! 私、がんばるよ!」
嬉しそうに宣言する少女にスーフェは彼女が世界の危機を救えるように祈ったが、その心の中では『もうこの子は自分の元へ来ることはないだろう』というつらい気持ちを押し隠そうとしていた。
恋人になりたいと自分に告白し、その思いが叶って浮かれる少女はそもそも幼く、まだ恋に恋をしているだけの段階で、たまたまその対象にしたのが自分であっただけに違いない。そしてこれから世界を救う旅に出れば当然世界の広さを知る事になる。
その旅の中で数多くの人と出会う事になって、中には運命を感じる相手にさえ出逢うかもしれない。そうなればこんな森の中に潜む怪しい女モンスターよりもそちらを選ぶだろうし、当然こんな場所に来る必要もなくなる。
スーフェには何故かそんな確信めいた思いがあったからこそ、果たされる事の無い軽い口約束としてこの少女の願いを受け入れたのだ。
「それじゃ私、本当はもっとお姉さんと一緒にいたいけど……明日には発たなくちゃ行けないからそろそろ帰らなきゃ……」
そんな事をスーフェが考えているとは露にも思わずに、一人告白に成功した事で浮かれ気味だった少女は、もうこの場にいられる時間が少ないことに気づき、名残惜しそうにそうつぶやく。
「仕方ないわよ。だってあなたは英雄になる為に旅立つんだもの、準備はいっぱい必要よね……あれ、そういえば今更だけど私、あなたの名前聞いてなかったかも……。ごめんね、何年も私の元へ来てくれたっていうのに」
「そういえばそうだったねお姉さん、私もお姉さんって呼ぶのに慣れきっていて……というかお姉さんの名前知らないままだった……えっと、私はユー。ユー・シャリオンって言います」
「ユー……ね。いい名前ね、ユー。そして私の名前はスーフェよ」
もう別れの時が刻一刻と迫っているこのタイミングで、スーフェと少女はお互いにそれぞれの名前を知らなかったことに漸く気づき、少女こと『ユー・シャリオン』が名乗ると、それに続けてスーフェも自分の名前を口にする。
「スーフェ……スーフェお姉さん。スーフェお姉さんもいい名前……」
「ふふ……どういたしまして」
そして今更になってお互いの名前を知った2人は、それぞれお互いの名前を反芻するかのように何度も口にして微笑み合っていたが……ここでどうやらユーは時間切れになったらしい。
「あ……流石にもう帰らないとダメかも……それじゃお姉さん……私、行くね」
「ええ、わかったわ……さよなら、ユー」
「でも、でもその前にね……恋人になる約束として……誓いのキスをさせてください」
名残惜しそうにスーフェに背中を向けて村に向けて歩き出しそうとしたユーだったのだが、
突然何かを決意したかのように立ち止まって振り返ると、スーフェにキスをしたいと顔を真っ赤にしながら申し出た。
「え……? うん、いいわよ。それぐらいならしても……んむぅっ!?」
恋人になりたいのだからキスをしたい気持ちぐらいあるのも当然よね、と思ったスーフェは頬にキスをするのだろうと軽い考えで承諾したのだが……なんとユーがキスをしたのは頬ではなく……スーフェの唇で……つまり、口づけをしてきたのだ
「ぁむ……んぅ、ちょ、ユー、待っ…………ん……」
これに驚いたスーフェが混乱したように身動ぎして、ユーに落ち着くよう呼びかけようしながら抵抗したのだが……唇越しに伝わってくる温かく、柔らかい不思議な感触と、スーフェの体内に送り込まれてくるユーの吐息によって、意識がうまく働かなくなってしまったのか、それ以上抵抗しようとはせず、そのままユーからの口づけを受け入れて、後はされるがままになっていた。
(……口づけって……こんなに気持ちが高まってしまうものなの……? すごい、すごい不思議な感じ……すごく、ドキドキしてる……)
そもそも口づけ自体未経験であったスーフェは、ユーに口づけをされた途端、まるで自分の体の中の何かに目覚めるかのような感覚に陥りながらそのまま口づけを受け入れていたが、やがて口づけに満足したらしいユーは、スーフェの唇から自身の唇を離し、そして潤んだ瞳でスーフェを見つめた。
「……お姉さん、ありがとう……」
「……え? あ、はい……」
口づけを受け入れてくれた事に対してなのか、小さくお礼を述べるユーに対し、初めての感覚をもっと味わっていたかったかのように一瞬名残惜しそうな表情を見せたスーフェは、それから暫くの間、お互いに顔を真っ赤にして見つめ合っていたのだが、やがて落ち着きを取り戻したスーフェがユーに対して始めたのは……説教であった。
「……全くもう、頬にキスとかならわかるけど、いきなり口づけをしようとするのは流石にダメよ。相手が『帰ってきたら恋人になる』って約束をしたばかりの私だったから良かったものを……」
「ごめんなさいお姉さん……でも、口約束だけじゃ信じてもらえないと思ったし、ほっぺじゃ弱いかと思ったから……」
説教を始めるスーフェは、怒っているような口ぶりで、さらに顔も真っ赤にさせていたが、それは怒気によるものではなく、明らかに口づけをした事による気分の高揚が原因であり、キスをしている間もし終わった後も嫌がったような様子は全く無かった事から、説得力は皆無であった。
しかし、スーフェに説教を受けたのは紛れもない事実だったので、ユーは申し訳なさそうにうなだれてしまっている。
「まぁもういいわ……ちゃんと謝ってくれたし……私も嬉しかったから……。ほ、ほら、いつまでもそんなにしょんぼりしちゃダメよユー。もう帰る時間なんでしょ? 早く行きなさいな」
「あ、うん……それじゃあね、お姉さん……」
照れ隠しするかのようにスーフェがユーに早く帰るよう促すと、ユーは寂しげに踵を返し、とぼとぼと村に向かって歩いて行く。
「……」
世界を救う役目を担うはずの英雄にしては、あまりにも情けないユーのしょげた背中姿がスーフェの視界から徐々に小さく見えなくなっていく。
(ダメよユー……そんな気持ちのまま旅立っては世界を救えるものも救えなくなってしまうわ……よし!)
そんなしょげた気持ちのままでは世界を救うこともできなくなるし、ユー自身の命も危なくなるのではと急に不安に思ってしまったスーフェはいてもたってもいられず、なんとか勇気づけようとユーの背中に向かって大きく叫んだ。
「ユー!! 私、あなたがここに帰ってくるのをずっと、ずっと待っているから! だから、いつまでもそんな弱った気持ちになったままじゃダメ! 強い心を持って安心して旅立ちなさい! 」
「……!! うん! ありがとうスーフェお姉さん!! 私、絶対に帰ってくるから!!」
そんなスーフェの激励が効いたのか、その声に振り返ったユーの顔には寂しさの色は無く、絶対に成し遂げてここに帰って来るという強い意志が込められている。
そして、スーフェに対して必ず帰ってくると最後に誓ったユーはそのまま森の外に向かって駆け出していき……ユーはこの日を境にぱったりとスーフェの前に姿を見せなくなった。
(……そっか、本当に旅立ってしまったのね……ユーは……)
いつもユーと待ち合わせた場所に佇みながら、今日も来なかったユーに対して寂しい気持ちでいっぱいになるスーフェであったが……。
(……でも、このタイミングでユーが来なくなったのはある意味ちょうど良かったのかも。だって、そろそろ私の中の『モンスターとしての本能』が本格的に再び沸き立つ頃だったかもしれないもの。あの荒療治から2年ぐらい経っているわけだし……)
北の大地にてネメによる『スーフェ死亡寸前級腹パン攻撃』によって死ぬギリギリまで追い詰められたスーフェは、そのおかげからかモンスターとしての本能をかなり押さえ込む事ができていたのだが、既にその日から2年近くが経過している。
ミノリやシャルと違って、人間からの魔力供給を受ける事ができていないスーフェは、本能抑えこむ力に段々と綻びが出始めてくるのも時間の問題だったのだ。
(こないだユーに負かされた事で抑えられたみたいだし、昨日の口づけでも、ユーの魔力がたまたま私の体内に入り込んだみたいだけど……それもいつまで保つのかもわからないのよね……。それ以前にユーが世界を救う前に私が討伐される可能性だってあるし……)
ユーが来なくなった寂しさを、このようにあれこれ言い訳づけて自分の本心をひたすらごまかそうとすることによって、なんとか平静を保って乗り切ろうとするスーフェ。
しかし、ユーの来ない日々が三日、一週間、一ヶ月、三ヶ月、一年と続いていくと、スーフェは心にぽっかりと開いた穴がますます大きくなったような気分になって、それが原因なのか無気力状態になったように体を動かすのも億劫になり、さらにそれが原因で根城にしている洞窟からも出なくなるなど悪循環の日々を送るようになってしまっていた。
「なんで私、ここまで何もしたくなくなっているのかしら……ユーと出会う前だって、あの吸血鬼の女の子を探す前だって色々知的好奇心を満たす為の研究とか色々していたはずなのに……」
洞窟の中で簡易的に作った寝袋みたいなものの上で、動かないまま天井を見続けながらそんな事を考えるスーフェ。
「……あ……」
何故ここまで自分が無気力になってしまっているのかふとその理由考えようとした途端、スーフェはここで漸く自分の本当の気持ちに気づいてしまった。
ユーが自分に対して恋心を抱いていたように、自分も知らず知らずのうちにユーに対して友情以上の好意を持ち、それがいつしかユーを愛する想いに変化してしまっていた事に。
「……そっか、私ってばいつの間にかあの子、ユーに対して……恋人になりたいという気持ちを持つようになってしまっていたのね。
誰かと恋をしたかったけど全敗して、すっかり諦めてしまった後でユーに出逢ってしまったからきっともう恋は無理だと思っちゃったせいで、あの子ともそういった関係にはなれないと思って、それでも師匠と弟子みたいな関係で一緒にいたのに……だけど、全然気づかないうちに、私ってばあの子に恋を……。
なんで、なんでそれに気がついちゃったんだろう私……なんで、なんであの子が去った後で……!!」
今更になってその事に気がついたスーフェの瞳からしずくが一滴頬を伝うと、それを皮切りにスーフェは滂沱の涙を流しだす。
どうせ叶わぬ恋なら、気づかなければどれほど良かったことか。
気づいたのなら気づいたでもっと早く自分の気持ちに気づいていれば、自分も旅に連れて行って欲しいと願えたのかもしれないのに。
逆にユーに旅に出ないで、自分もユーの事を愛しているから一人にしないでと素直な気持ちユーに伝えられたのかもしれないのに。
……しかしスーフェがいくら慟哭してももう全てが遅かった。もうここにユーはいない。
世界の危機を救うために旅立ってしまっていたのだから。
「……ユーが世界を救う英雄になってしまったら、その栄光にあやかろうとしてユーに言い寄ってくる人はいっぱい出てくるだろうし、その中にはきっとユー好みの人だっているかもしれなくて……。それどころか、ユーを気に入ったどこかの国の王族が、ユーを娶る為に逆らえないように王令を出す可能性だって……。
……どちらにしても森で迷っているところを助けて、けいこの相手をして強くさせたけど、所詮は人間の敵であるモンスターでしかない私はその土俵に上がることはできるはずもなくて……。……ユー……ユー……やだ、なんで、なんで……どうして私はいつもこんな感じで……うぅ……ユー……」
ユーの事を求めるように名前を呼びながら泣き続けるスーフェだったが……それも無駄に終わる事になるなのだろう。
ユーがこの森に戻ってくる事は……きっとないのだから。




