179. 16年と9ヶ月目② ミノリとトーイラ、お風呂タイム。
何かを決心したトーイラに、一緒にお風呂に入ろうと誘われたミノリ。
先に服を脱ぎ終わったのでお風呂場に入ると、トーイラも大急いで服を脱いだのか少し息が上がっている。
「大丈夫トーイラ? なんだか息上がってるけど……」
「だ、大丈夫だから気にしないで! え、えっとそれじゃ、私がまずママの髪洗ってあげるね!」
「私からでいいの? ありがとうトーイラ、それじゃお願いしようかな」
普段ミノリがノゾミとお風呂に入る場合は、先にノゾミの髪と体を洗い、ノゾミが湯船に入るのを確認してから自分の髪を洗う事にしていたのだが、今日はトーイラが先にミノリの髪を洗いたいと申し出てくれたので、ミノリはその申し出を受けて風呂椅子に座った。
ミノリの髪は椅子に座ると先端の方がやはり床についてしまう程に長いのだが、銀と紫を混ぜたような綺麗な色をした髪で、さらに髪を洗うためにお湯で濡れていたことでしっとりと艶が増していて、そのせいでトーイラの瞳にはミノリの髪がとても美しく見えている。
(やっぱりママの髪って綺麗……)
ミノリの髪を洗いながら見とれているトーイラに対し、ミノリはというと……。
(やっぱり誰かが洗うの手伝ってくれると本当に大助かりだなぁ。一人で洗う時の半分以下の時間じゃないかな。ほんと、バッサリと切っちゃいたいなぁ……)
……結構現実的なことしか考えていなかったミノリであったが、実際に早さが段違いで、半分どころか四分の一の時間で髪を洗い終えられるので、そう思ってしまうのも無理はない。
「ありがとうトーイラ、やっぱりこうして誰かに洗ってもらえると本当に助かるね、とても早く洗い終えたし……やっぱりバサッと切りたいこの髪……」
トーイラへのお礼がてら、ついミノリが自分で洗う時に掛かる時間を比較した結果、ぽろっとそれをつぶやくと……。
「それだけはダメ!! また人形増やしちゃうよ!!」
「何の脅しそれ!?」
謎の脅迫をするトーイラであった。
******
その後、トーイラが髪と体を洗っている間に、自分の体を洗い終えたミノリが先に湯船に入って体を温めていると、遅れてトーイラも湯船に入ってきた。
ミノリ達の家にある湯船は、まだ6歳だった頃のネメとトーイラがミノリと3人で入ることを想定して作ってくれたので意外と広く、大人2人が入ってもそれなりの幅が確保できる程の広さがあり、こうしてトーイラとミノリが並んで入ることができる。
「あったかくて気持ちいいねぇトーイラ……」
「そうだね、ママ……」
のんびりとした雰囲気が漂うお風呂場であるが、心密かにトーイラは日中決意していた作戦をいつ決行しようかあれこれ考えているところであった。
(がんばれ私、ヘタレじゃないって所見せてやるんだ! 作戦はママが出ようとした時に私も出ようとしてその際にうっかりつまずいたふりをしてママを押し倒して……)
「……トーイラっ」
「!!?!」
本日の計画である『トーイラのドキッ☆☆ママをお風呂場で押し倒してなし崩しキス作戦』を脳内でトーイラが諳んじていると、どういうわけだか先にミノリの方がトーイラに抱きついてきた。
「マ、ママ!? どうしたの突然!?」
「ふふふ、きっとトーイラの事だから、私に何か企んでこうしてお風呂に一緒に入ろうって言ったんでしょう? ……きっと、うっかり転んだふりをして私を押し倒そうとか」
なんとミノリには、トーイラの考えがまるっとお見通しであったようだ。
「!?!? なんでわかったの!?」
「そりゃわかるよ。だって私、あなたの母親になって16年経っているんだよ。何か作戦があるとしたらこうして行動に出て、それで何をしようか考えているかも大体わかっちゃうよ。いつだったか森の中をお散歩した時に木をドンって倒したのもそうだったんだよね、多分。だからこの抱きつきはその牽制……かな?」
どうやらトーイラはミノリに先手を打たれてしまったらしい。
「うー……気づかれないようにしたつもりだったんだけど……」
「ごめんね、……でも一線を越えるのはやっぱり止めたいかなと思って。……それで、トーイラはまだ私への恋心が残っているの?」
「……うん」
「そっかぁ……」
トーイラを抱きしめたまま、そう一言発したきり何も言わなくなるミノリ。
それからしばらくの間、お風呂場は静寂に包まれたが、場の空気は緊張したようなものでは無く、落ち着いた空気が漂っている。
「……それにしても心も体も立派に大きく育ってくれたね、トーイラ。それに、子供の頃から私に対して抱いていた想いは本当に一途で……嬉しいな」
そしてその静寂は再びミノリによって破られた。
「!? じゃあ……」
「だけどやっぱり、私はトーイラの気持ちに応えてあげる事はできないんだ」
「……」
トーイラ、二度目の玉砕である。一瞬だけ『もしかして』と期待した反面、やはり今回もダメだったので、一人浴槽で落ち込んでしまうトーイラ。
ミノリは抱き着いていた腕をトーイラから離してから言葉を続ける。
「トーイラは……私とは母娘の関係じゃない方が良かった?」
「!! そんなはずないよ! 私はママがいたからこうして……」
「でも、母娘関係じゃなくても仲良しという意味で考えると、私とトーイラ、そしてネメは仲間や友達という関係でも良かったはずだよね?
きっと私もそういう関係で今日みたいに好意をいっぱいぶつけてもらっていたらトーイラ達の気持ちに応えたかもしれないって思うよ。
私だってトーイラの事を愛してるもの。だけど私が言う『愛している』は、ネメとリラと同じ母親としての愛であって、母娘でありながら恋人っていうのはやっぱり私としては越えてはいけない一線かなって思うんだ」
やはりミノリの中では母と娘で恋人の関係になるのはダメという考えは崩さないままのようだ……と思われたが、絶対にそういうわけでもないらしいのがミノリの口から次に出てきた言葉で明らかとなった。
「といっても、私とトーイラの2人しかいない、みたいな母一人娘一人という関係だったら、まだ良いかもと思ってその信念は揺らいだかもしれない。
だけど私の最初の娘にとなってくれたのはトーイラとネメの2人だった。ネメは今ではシャルと結婚して仲良しふうふだけど、あの子も昔は私に恋慕を持っていたでしょ。
そうすると私の取り合いになるし、私も2人のうち1人を選ぶなんてできるはずがないと思う。だって、それをやってしまったらどちらかを悲しませることになるから」
「……むぅ……」
その言葉を聞いて、一瞬トーイラは、自分だけがミノリに保護され、ネメが見捨てられた世界を想像しかけたが、それは考える事すら許されないとすぐに思ったらしく、すぐにその考えを振り払おうと首を横に振った。トーイラにとって、ネメがいない世界なんて考えられなかったし、考えたくもなかったのだ。
……そうするとやはりトーイラがミノリの恋人になるのは難しいのかもしれない、とトーイラが思い始めていると、一瞬の静寂の後にミノリが少し言いにくそうにしながら再び言葉を紡いだ。
「……だけど、本当にトーイラたちには申し訳ないとも思っているんだ、私」
「え……?」
それはミノリが常々思っていたトーイラたちへの謝罪の言葉で、少し恥ずかしそうにミノリは言葉を続けた。
「きっと2人には恋愛方面でかなり我慢させていたんだろうなって。……私って自分で言うのもなんだけど、かなりチョロい自覚があって、それこそ、土下座を何回もされて恋人になってとお願いされたら、しょうがないなぁと思ってその気持ちに応えてしまうんだろうなって自分で思うぐらいに。
それに私は元々モンスターという扱いだったから、私の中のモンスターの本能が湧き出した時に、死なない程度に私を痛めつけて屈服させてから、命乞いする私を見逃せばシャルが前に教えてくれたみたいに見逃してくれたあなたたちに恋心を抱くようになる……とか。でも、トーイラたちはどっちもそれをしなかったよね」
ミノリが言うように、モンスター、それも人間型モンスターは知性がある分、生存本能が通常のモンスターよりも強く、命乞いをして見逃してくれた相手には絶対的な忠誠心と恋心を抱きやすい。
その為、とにかくミノリを堕とすだけならネメと結託して、ミノリの仲間フラグを外してモンスター状態に戻し、モンスターとしての本能でミノリが2人に襲いかかった時に屈服させるだけでミノリはあっという間に2人に墜ちただろう。
しかし、ネメもトーイラもそれをする事は決してなかった。
「うん。……ママは優しいからそれをやれば……と思った事もあったけど、私たちは結局それをできなかったの。確かに暴走している時はつい色々変な事口走ったりもはしたけど、やっぱり無理矢理やお情けでそういう関係になるんじゃなくてママには本気で振り向いてほしかったから。
力で屈服させるのも確かに私たちの方が強いから無理矢理ママを……だってできたはずだけど、それもやっぱりできなかった。やっぱりママを傷つけたくなかったからで……」
「でもさっきわざと私をどうやって押し倒そうか考えていたでしょー、このー」
「ひゃん、ママ!!?」
ミノリはそう言いながら、何を思ったのか今度は自分の胸元の位置にトーイラの顔がくるような姿勢でトーイラを抱きしめた。
突然のミノリの抱擁、それも自分の顔に小ぶりながらも柔らかいミノリの胸が当たり思わず赤面してしまうトーイラだったが……。
「よしよし……ごめんね。多分、私が母と子の立場を崩さなかったから変に気遣いさせちゃってい……どうやって押し倒すか考え始めてしまうほどにトーイラの事を追い詰めていたんだよね」
どうやらミノリもミノリで自分がその姿勢を固持し続けた事で、トーイラに負担をかけていたと思っていたらしく、ミノリなりの謝罪として抱擁しながらトーイラの頭を優しく撫で始めた。
「……ううん、ママ、謝る必要ないよ。だって今振り返るとそれが一番正解だったと思うもの。最初からママが恋愛OKというスタンスだと逆にドン引きしていたと思うもの」
「あはは、確かにそうかもね……ありがと、トーイラ」
トーイラの言葉が少し嬉しかったのか、ミノリはそう答えた後もトーイラの事を抱擁し続けていたが、やがて抱擁し終えるとミノリはトーイラと肩を並べるように湯船に浸かりだしすと、一息ついてからミノリはトーイラが思ってもみなかった言葉を口にした。
「……だけど、ネメは、もうシャルとふうふになっているわけだし、トーイラももう大人。そうすると……私も一方的に拒絶するんじゃ無くて少しは考えを柔軟にしなくちゃいけないのかも」
「え!? ということは……」
「うん、私もトーイラを一方的に拒絶するのはやめて、場合によってはトーイラの想いに応える事にするよ」
「!? ホント!?」
なんと、ミノリの口からトーイラの対象に入るという宣言だった。それを聞いて一瞬喜んだトーイラだったが、ミノリが口にした『場合によっては』がかなりの高難度の条件であるミノリから続けて出た言葉で知る。
「ただし、忘れないでほしいけど、私はそもそも母と娘の関係を固持し続けていたいという考えが前提にあるし、トーイラにはリラの気持ちに応えてほしいとも思っている。
だから、私があなたの気持ちに応えるためにはまずリラの恋心を傷つけずに、あなたへの想いを精算させる事が前提で、リラを泣かせるような事をしては絶対にダメだよ」
ほぼ無理ゲーである。あそこまで『トーイラおねーちゃん好き好き愛してるオーラ』が何年も出まくっているリラを諦めさせる、それもトーイラの恋心を傷つけないように。そんなミノリのあまりの無茶ぶりにトーイラも思わず不満を口にしだした。
「……うーん、ママってば期待させておいてその条件厳しすぎるよー」
「あはは……ごめんねトーイラ、でもこれだけは譲れなくて」
リラがトーイラに恋心を抱いている事はみんなが知っていることだが、実はミノリだけが知っている事もあって……夜中にこっそり起き出したリラが、熟睡しているトーイラのほっぺに時々キスをしていることがあるのだ。それも一度や二度じゃ無く、結構な頻度でだ。
しかしその事をミノリはトーイラに教えたりはしない。リラの純粋な恋心は茶化していいものではないのだ。
その事を一人、こっそり思い出しながらミノリは言葉を続けた。
「それに私がトーイラにリラの気持ちに応えてほしいと思うのは、やっぱり普段から血を飲ませている関係だから……かな。
トーイラが私とくっついちゃったら、リラは多分トーイラから血をもらうのを躊躇しちゃうと思うもの。あの子、踏み込んでもいいと判断したときは押しが相当強いところもあるけれど、基本的に一歩引いちゃう性格だから」
「うん……」
ミノリから土俵上に立つと言われたものの、リラとの関係を円満に精算する事が条件という前提がある以上、やはりミノリを振り向かせるのは難しいのだろうかと、トーイラが思い始めていると……。
「……って、ごめんね面倒くさい私で。でもやっぱり私は家族が一番だからそこだけはどうしても譲れないんだ」
やはりミノリもその自覚はあったようで苦笑いを浮かべながらトーイラに軽く謝罪した。
「……ううん、私は気にしてないよ。それにママがやっと土俵上に登ってくれるって言ってくれたもの。
……自分でも優柔不断すぎてイヤになっちゃうし、ママをなんとしてでも振り向かせたい気持ちと、リラの想いに応えたい気持ちがずっと続いていて本当にヘタレでダメな私だけど……私が持っているこの想いだけは絶対けじめをつけるね」
トーイラも、かなり情けない内容であったが、これが今の自分の精一杯だからと、改めてミノリにそう宣言したのであった。
「うん、どう転んでも私は娘としてトーイラを愛することだけは変わらないし、たくさん想いをぶつけられたからといってあなたを嫌いになったりするなんて事だけは絶対に無いからそこだけは安心してね。
……そういえばこないだネメから聞いたけど、大体3年半だっけ…? リラの気持ちに応えるかを決めるのは」
「ネメってばそれママに話しちゃったの!? 全くもう……うん、それまでにママに振り向いてもらえなかったらリラの気持ちに応えるって……」
どうやらミノリにもその話が耳に入ってしまっていたようだ。口が軽いネメである。
「3年半後ということはリラももうすぐ大人になる頃だね。今はまだ12歳で多感な頃だけど、その頃にはしっかりと自分の考えが固まっているはずだから、ある程度考える時間を作ってあげたのはいい事だと思うよ。だけどリラはトーイラの事が好きで好きでたまらなくて、ずっとトーイラのことを愛しているのがわかるから……多分あの子の想いが揺らぐ事は決して無いと思うよ」
「うん……」
ミノリは、ネメのように『3年半後にはリラはトーイラとあと少しで結婚できる』という事には気がついていなかったようだが、それでもやはりネメと同じようにリラのトーイラへの想いはちょっとやそっとじゃ変わらないことはわかっているようだ。
「ま、まだ時間はあるわけだし、リラの気持ちについてもゆっくり考えてあげてね。
……さぁてと、体も十分温まったことだし、私はそろそろ出るね。髪を洗うの手伝ってくれてありがとうねトーイラ。トーイラものぼせないうちにあがるんだよ」
「あ、うん……ママ、今日は一緒に入ってくれてありがとうね」
すっかり体がポカポカになったミノリは、髪を洗ってくれたお礼をトーイラに述べると、体を拭いてそのまま脱衣場へと戻っていった。
「……」
一人湯船に残ったままのトーイラ。
(……やっぱりママは手強いなぁ……あぁどうしよう。ママが振り向いてくれる前提条件が無理難題すぎて、私が小っちゃい頃にママが読み聞かせしてくれたかぐや姫の話思い出しちゃった……)
浴槽の縁にトーイラは頭を乗せると、ボーッと天井を眺めながら一人、ぼそっとつぶやいたのであった。
──ちなみにこの日、普段はトーイラとお風呂に入る事の多いリラは、トーイラが先にミノリと入った事を受けてノゾミと一緒にお風呂に入ったそうだが……
「かーさまってすごいね……ノゾミちゃんと毎日お風呂に入って。ノゾミちゃんお風呂で盛大に遊び始めたり、湯船に入ったかと思うとすぐに出たがったりとても大変だった……。あとなんでかあたしのおへそをジーって見ながら『83点』とか言い出したのがちょっと怖かった……」
……お風呂に入ってリフレッシュどころか、何故か異様なまでにぐったりとしたリラの姿があったそうな。




