169. 16年と7ヶ月目 壁ドン。
「あー……猶予はあと3年と9ヶ月……。どうしよう本当に……」
居間に一人いたトーイラが、何かを思い悩みながら床に寝そべっていた。彼女が言う猶予というのはミノリに振り向いてもらうための猶予期間の事であり、それまでの間にミノリと恋人になれなかったらトーイラは、トーイラのことを一途に想い続けている三女で吸血鬼のリラと恋人になると約束をしていたのだ。
「本当に私が2人になれたらママとリラの2人と付き合えるのになー……」
ゴロゴロ転がりながらその事ばかり考える長女トーイラ。何故か2人になればミノリと付き合える前提で言っているが、そもそもミノリは基本チョロいのに親子としての線引きだけは何年も強固に守り続けている程に難攻不落の要塞である。
ちなみにトーイラと疑似三角関係状態にあるミノリとリラだが、現在別室であやとりをして遊んでいる。三角関係といっても2人は別に仲が悪いわけではなく、むしろ親子として見るならとても仲良しだ。
そんなトーイラがずっとウダウダしたままゴロゴロと部屋の中を転がり続けていると誰かが居間にやってきた音がした。その音にトーイラが反応しないでいると、その音の主はトーイラの方へと近づき、ごろごろ転がるトーイラを見かねて言葉を発した。
「トーイラ、相変わらずまたヘタレっぷりを発揮中?」
「ちょ、ネメ!? いきなり出てきて投げかけた言葉がそれってあんまりじゃない!? いや実際そうなんだけどねー……うぅ、ネメが私をおもちゃみたいにいじってくるのにも慣れてきて自分が自分で悲しい……」
情けない姿のトーイラを見かねて、ネメがそう口にしたのだ。
その言葉に対してすぐさま文句を返すトーイラなのだが……実際ヘタレなのだからこれ以上反論しづらいし、トーイラもその自覚があったのか寝転がったまま頭を抱え込んでしまった。
「それは仕方ないこと。だって私はトーイラに対する不満がわんさか。私はトーイラの頑張る姿を見たいから応援すると言ったのに、トーイラはがんばろうという姿勢すら見せない。これをヘタレと呼ばずしてなんと呼ぼうか」
確かにこの1年、トーイラがミノリと恋仲になる為に何かをしたかを振り返ってみるとハッキリ言って微妙そのものである。見ようによっては、何の動きも見せないままウダウダし続けて1年以上経っているようにも思える。
「だけど私の大好きな姉だからこそこんな勝ち目のない状況でも放っとけないわけで。そんなトーイラには秘伝の技を伝授しよう。ちなみにこの技の効果はシャルで証明済みでその夜はとても盛り上がった、あんな甘えたがりでおねだり上手なシャルを見たのは久し……」
「あはは……ほんっとうに仲いいよねネメとシャルさん……。そ、それはともかく、ネメが言うその技ってどういうのなの?」
無意識なのか意図的なのか、相変わらずのラブラブッぷりをアピールし続けるこのバカップルふうふの片割れであるネメから止めどなく溢れてくる、胸焼けしそうなイチャイチャ発言を遮るようにトーイラはその技の詳細について尋ねた。
「っと、失敬、うっかり自分の世界に入っていた。それではその技をトーイラにも伝授しよう。その名もカベドン。この突撃らゔはぁとあたっくさえできればあっという間にお母さんはトーイラの『ずっきゅんめろめろ』になり、その射止めることができるはず」
「カベドン……?」
******
「──珍しいねぇ、トーイラが私と森の中を散歩したいって言い出すなんて」
「うん、たまにはこんな事もいいんじゃないかなーって。あ、ほらあそこにまだ木の実が残ってるよママ」
トーイラがネメから秘伝を伝授してもらってから1時間後、トーイラは早速とばかりにミノリと一緒に森の中を散歩していた。
散歩と言っても、季節は秋から冬になりかけている頃合い。雪が降り出す前に森の木に生る果実やキノコなどを採取しに来たついでではあるが……。
「あ、ホントだ。ちょっと取ってくるね」
「気をつけてママ」
トーイラが指さしたのは地上から3メートルぐらいの位置に生っている果実。
そのおかげで木の実の存在に気づけたミノリはジャンプして木の実を捥ぎ取るとそのまま綺麗に地面へ着地した。
トーイラとネメの身体能力がずば抜けているため忘れがちだが、ミノリの身体能力もなかなかのものなのだ……ただし、高いところからは飛びおりれない高所恐怖症持ちだが。
「ママの跳躍ってやっぱりとても綺麗だなー……」
「そ、そう? そう思ってくれるのはちょっと嬉しい……かな?」
トーイラから素直に褒められ、嬉しそうな顔をしながらも照れくさいのか頬を掻く仕種をするミノリ。
(あー!! 照れるママほんっとうにかわいい!!! 今すぐママを抱きしめたい押し倒したい!! だけどそんな度胸無いし……嫌われたらやだし……)
などと内心思っているもののそれをなんとか顔には出さず平静を装い続けるトーイラが、ミノリにいつ壁ドンをするかを見計らいながらも、それができないまま暫く歩いていると……。
「わぁ、ここにこんなに大きな木があったんだね。森の中は結構知ったつもりでいたけど初めて見たよ」
「ほんとだねーママ。私も知らなかったよー」
なんともいいタイミングで2人の目の前に幹の太さがミノリ20人分ぐらいはあろうかという大木が目の前に現れたのだ。
「ふー……、それじゃちょっと休憩しよっか。トーイラも休もうよ」
そしてさらに良いタイミングでミノリがその太い幹に寄りかかったのだ。
(今しかない!!)
「……ママ!」
「ん、どうしたのトーイ……!」
急に真剣な顔をしたトーイラに対してミノリが小首を傾げると、トーイラはそのミノリの顔の横へ自身の手を勢いよく壁ドン……いや、木の幹だから木ドン……いや、幹ドン?まぁそんな細かいことはどっちでもいいのだが、ついにネメ直伝の秘技をミノリにしかけた! ……ものの……。
ミシッ……ミシッ……。
突然背後から何かが軋むような音が響く。その音に驚いたミノリとトーイラが慌ててその場から離れると先程までミノリが寄りかかっていた木がいやな音を立てながらミノリ達とは反対の方向へ折れてしまったのだ。
……どうやら木ドンをする際、緊張しすぎたトーイラが力を入れすぎたがために、大木ごと折り倒してしまったらしい……のだが……。
「わ、びっくりした……この木が腐っていて私の方に倒れそうになっていたのをトーイラが手で押して逆の方に倒して私を助けてくれたんだよね、ありがとうトーイラ」
ミノリは壁ドンならぬ木ドンをされた事に全く気づいておらず、ただ助けてくれたのだと思っただけで終わってしまったようだ。
「……どういたしまして……」
つい力を入れすぎて木を折ってしまっただなんてミノリには恥ずかしくて死んでも言えないトーイラ。
「それじゃ木の実やキノコもいっぱい集め終えた事だし、おうちに帰ろっか」
「うん……」
そしてこの後、ミノリが木に寄りかかることは一度も無いまま家へと戻り……こうしてトーイラの壁ドン作戦は失敗に終わったのであった。
******
「それでトーイラはまたもや失敗……と。連敗記録再び更新だけど今回は珍しく頑張ったから私から『それなりにがんばったで賞』を授与したい」
「あはは……いらない……はぁ……」
がっくりとうなだれるトーイラ。折角壁ドン……もとい木ドンができるチャンスがあったのに、力加減がわからずに木自体倒してしまったのだから。
「まぁ次、がんばればいい。……だけど私から少し忠告。諦めもいい加減肝心。
おかあさんはそもそも私たち家族の幸せ第一でしか動かない。それを振り向かせるのはかなりの高難度。……それとリラを悲しい目にあわせる真似だけはしないでほしい。リラの心に悲しみの雨を降らせたら私はたとえトーイラ相手でも怒髪天」
ネメはミノリとの関係だけで無く、妹であるリラの事も気がかりだったようだ。そしてトーイラもその事だけは重々承知していた。
「うん、それはちゃんとわかってるよ。約束もしたし……あと3年9ヶ月でママを振り向かせられなかったらその時はリラの気持ちに応えるって……もう正直、ママが振り向いてくれるかについては絶望的だけど」
「……そういえばトーイラはなんで5年と定めたの? 理由の詳細を希望」
「え? うーん……正直ただなんとなくで決めただけだったんだよね。その時のリラってまだ10歳とちょっとで、多感な頃だからもしかしたら心変わりするかもしれないからと思って、もう一度リラにもじっくり考えて欲しいと思って、キリよく5年という期間を設けたんだよ。
5年経つ頃にはリラはもうすぐ16歳になるし、それはつまりもうすぐ一人前の大人になるって意味だから改めて私と恋人になりたいか本気で考えて……ってあれ?」
その時トーイラはあの時の口約束で5年と言ったことに別の意味まで含まれてしまっている可能性があるのではないかという事にここで漸く気がついてしまった。
この世界の人間は16歳になると大人という扱いになり、結婚が可能になる。それはつまり……『年齢制限があってすぐの結婚は無理だけど、5年後にはリラも16歳になるので、その時になっても自分のことを慕い続けていたら、その気持ちに応えてすぐにリラと結婚する』と言っているようなもので……。
ちなみにここでいう16歳というのはあくまで人間の場合であり、人外である吸血鬼のリラには本来全く関係無い話だが……2人は対等の存在として考えているので自分たちと同じ条件で考えている。
「つまりおかあさんが振り向かないまま5年経った時、リラは15歳と7ヶ月ぐらい。 準備する期間を含めればすぐにリラと結婚できるという前提でそのように5年と定めたと……策士家? なんともはや」
「!? ち、ちがうよ!? それは本当にたまたま!! まだ10歳だったリラには結婚なんてまだ早いんじゃないか、もう少し考えた方がいいんじゃないかと思って、5年間は私と本当に結婚しても良いのか考える期間にしてもらいたかったんだよ!」
慌ててトーイラが弁明した。どうやら本当にそれはたまたまだったらしいが……逆にその5年という言葉にリラは期待を持たせてしまった可能性が十分考えられる。
「……なるほどそういうこと。でもあのリラの様子を見る限り、トーイラ以外には絶対なびかないと思う。シャルもだったけどモンスターや魔物の女の子は本当に一途」
「あはは……だよねー……。……元々妹として好意的に見ていたリラからまっすぐな想いをぶつけ続けられたら……やっぱり私も気持ちが揺らぐよ」
そして一途である事についてはトーイラも同意で、今まさにそのリラの一途さに気持ちまで気持ちが大きく傾いてしまっているようだ。
……これはもうリラの勝利ほぼ確定なのかもしれない。
「あ、そういえば……今までの話とは変わるんだけど……ネメ、一つ聞いていい? 最近気になったことがあって……」
「ん、なに?」
そこまでは話したトーイラだったが、ふと何か思い出したようでネメに話を振った。
「視界に見える【四角い板】って……まだ見えてる?」
「うーん……まだ見えるけど、【でばっぐもーどの板】以外はどの板もいつの間にか薄くなってきてるように見える」
「あ、やっぱり!? 私もなんだ」
2人が話す【四角い板】とはゲームのプレイヤー側のキャラだと視界にうっすらと見える板で、【ゲームウインドウ】の事だ。トーイラはそれが元から、ネメは6歳になった頃から見えていたのだが、2人がすり合わせている話を聞く限り、元から意識しないと見えないその板が、ミノリと同様にますます薄くなってきたというのだ。
「ちなみにシャルはその逆で以前まで見えなかったのに何故か最近うっすら見えてきたらしい」
「え、シャルさんに!? なんで!? どういうこと!?」
それどころか、根っからのザコモンスターであり、本来なら見えるはずのないシャルの視界に、【ゲームウインドウ】が出てくるようになったそうでトーイラは驚き、声を上げてしまった。
「正確にはわからないけど、ノゾミが生まれてから暫く経った頃なのは確実だと言ってた。以前までは私が補助系の魔法でシャルを強化していたけど【四角い板】がシャルにも見えるようになった時を境に、確かにシャルの能力自体強くなってきていたのを私も感じた。
たとえばシャルは火の属性だから浮遊魔法や生活魔法をのぞくと火に関係した魔法しか使えなかったはずだけど今では水も土も使える。
それだけじゃなく、昔はそこらのモンスターはシャルには向かってこなかったけど、今ではシャルにも襲いかかるようになったし攻撃魔法も私にじゃなくモンスターの方に向かうようになっていた」
「そうなんだ……って、ちょっと待って。平然と『攻撃魔法が私に』……ってネメが実験体になった事があるって言ってるようなものじゃないのそれ?」
「実際実験体になった。即死魔法じゃなかったし、シャルの攻撃魔法ならいくら受けても良いと思ったから。それだけ私のシャルへの愛は深い」
「……」
その言葉を聞いて、絶句するトーイラ。そして……。
「いやいやいや、それはちょっと流石に私でも変だと思うよ!?」
「……おかしい、阿吽の呼吸でつながり合うツーカーの仲である我が愛しき姉までもがそのように私を変だと糾弾する。これは誠に遺憾」
トーイラから変だと言われてもそれの何がおかしいのか全く理解できず何故か不満げな顔を見せるネメ。
「当たり前でしょ!? 正直どういうプレイなのかって疑うほどだよ!? ……そ、それはともかくとして、もしかしてリラにも【四角い板】がうっすら見えていたりするのかな……」
「可能性はある。ある時を境に、不思議な光る剣を自在に出せるようになったって聞いたからもしかしたらその時には……?」
「やっぱりそう思うよねー。……うん、あの光る剣、驚くほどの高性能で、攻撃力がズバ抜けて凄くて……。
それに確かにリラはほんの少しずつだけど動きが良くなってきてるのを私も感じる……」
本来成長しないはずのリラやシャルの能力が向上し新たな技や魔法も習得し始めている。
それは一体どういう事なのだろうか……。
……どうやらトーイラとネメの中に新たな疑問として芽生えてしまったようだ。




