144. 11年目のある日④ 宿の夜。
観光に来たカツマリカウモにてモンスターと思しき女性を見かけたものの、特に何もせずにそのまま宿へと戻ったミノリ達。
「おかえりなさいませお客様……」
「あ、わざわざありがとうございま……あれ、どうしました?」
笑顔でミノリ達を出迎えてくれた宿兼喫茶店の女性従業員さんに対してお礼を述べながら彼女の顔を確認したミノリはその笑顔の中に少しだけ疲労困憊したような表情が見え隠れしている。
その事に気がついたミノリは若干不思議そうに彼女を見ていたのだが、その理由は彼女の口から出てきた言葉ですぐに判明した。
「えっと……それではお部屋に案内したい……ところなのですが……すみません。皆さんに一つ相談がありまして……」
「へ、相談? なんでしょうか?」
「はい……先程お約束していたようにシングルベッド3つの部屋を案内するはずだったんですが、皆さんがお出かけしている間に別の町の有力者がやってきてシングルベッドの部屋3つの部屋に泊まらせろとわめき散らしてしまいまして……。
庶民の私ではそれに逆らって拒否したり追い出したりなんてことができず、本来なら皆さんに泊まっていただくはずだった部屋にその有力者が泊まってしまうことになってしまいまして、いい迷惑です本当に……。
それで、皆さんには大変申し訳ないのですけど……代わりにダブルベッド2つの部屋で構わないでしょうか? 迷惑をかけたお詫びにお安くしますし、本来なら追加サービスとなっている夕食と朝食もサービスしますので……」
「あー……そういう事……それなら仕方ないよね。構わないですよ。トーイラもネメもそれでいいよね?」
ミノリは従業員さんからの提案をあっさり承諾した。そもそもミノリがシングルにこだわっていたのは娘たちが熱望していた3人で1つのダブルベッドというのは明らかに狭いからというだけだ。
それに家では元々ベッドをくっつけて母娘3人肩を並べて寝ている為、ダブルベッド2つを繋げるのは一向に構わない。
「私もそれで構わないよー。むしろありがとう従業員さん!」
「大義」
そして二つ返事で頷く娘たち。ダブルベッド1つでは無いにせよ、結果的にミノリと肩を並べて寝ることが出来る棚ぼたラッキーを得る事に成功した娘たちは、まるで『いい仕事をしてくれた』と言わんばかりの笑顔を従業員さんに向けると、ミノリと共に泊まる部屋がある階段を一段一段あがっていくのであった。
……ちなみにだがミノリ達が泊まるはずだった部屋へ強引に泊まったこの有力者、ハタメ・イーワックによってキテタイハの町を追われた前町長とその一派なのだが、夜も明けきらぬ早々のうちに彼らははどこかへ発ってしまった為、ミノリ達が遭遇する事は無かったのであった。
******
さて、ミノリたちが泊まったこの宿。ごく普通の宿であるというのはネメの壁すり抜け調査で判明済みなのだが、いわゆる素泊まりの宿ではなく先程の話に出てきたように、追加料金を支払えば夕飯と朝食も提供してもらえる宿だ。
今回は偶然ミノリ達へのお詫びを兼ねてそれらがサービスとなって提供されることになったわけだが、湯浴み後に出された夕食のメニューを見た途端、ミノリは非常に歓喜した。
その理由は海が近くにあるこの土地ならではの……。
「お刺身!? やった! あっちだと海が遠いから食べられなかったんだよー……あぁおいしい……」
お刺身である。転生してからは食べられることは無いだろうと内心思っていたそれが出てきた事に対して心の中で小躍りしてしまいそうな程にテンションうなぎ登り状態となったミノリは早速とばかりに食べ始めたのであるが、そんなミノリとは対照的に娘たちは普通の反応である。
むしろ、ミノリがそこまで喜んだ反応をする姿が逆に新鮮でそっちの方に驚いている節まである。
「ママがすっごい喜んでる……お米の時ぐらい喜んでる」
「あたかも心の渇望を潤すかのようなおかあさんの歓喜ぶり……」
11年もの間、一緒に過ごしてきた娘たちでもあまり見たことのないミノリの喜びように対して驚いた表情を見せる娘たちをよそに次々と刺身を口に運ぶミノリ。
しかしミノリがそんな風な反応になってしまうのも仕方ない。確かに生魚ぐらいならそれこそミノリ達の家のから歩いていける距離にある湖にもオオアジウオという魚型モンスターが棲んでいて食べようと思えば食べられるのだが、その味は名前の通りあまりにも大味で、寄生虫云々だとか川魚は生で食べても安全なのかという議論以前に食糧とする事自体に若干不向きだったのだ。
その為この世界に転生してから一度も刺身を食べていなかったミノリにとって、今日の刺身登場は心の中で高らかにファンファーレが鳴り響いてしまうほどに歓喜の極みなのであった。
そんな期待以上の満足度となった夕食を食べ終えたミノリが立ち上がって向かったのは窓の方。そのまま窓を開けたミノリは眼下に広がるカツマリカウモの夜景を眺めはじめた。
カツマリカウモは村の入り口が高台にあって、坂を下ると中心部に行き着く構造になっているため、村の入り口近くにあるこの宿は、先程登った展望台ほどでは無いにせよ実は見晴らしが非常に良い隠れた穴場なのだ。
転生前の世界のように無数の摩天楼や街灯があるわけではないので当然のことながら夜景としては前世と比較すると多少は見劣りしてしまう。しかしそれでも生活魔法によって村の中は明るく灯され、家々の窓灯りや露店の灯りなどが煌々とした風景が広がるこの窓からの眺めも、これはこれで味わいのあるものであった。
「うん、これはこれでいい眺め……」
「うん、とても綺麗」
「よきかな」
一緒に夜景を眺めている娘たちにミノリがそう伝えると、2人もミノリに同調した。先程の展望台では髪を風になびかせ、全身を夕日に照らされた魅力度アップ状態のミノリが側にいたせいで意識が風景ではなくミノリの方へと集中していたが、今は夜景の方に夢中だ。
2人の顔を交互に見たミノリは一言、
「こうして旅行ができたなんて本当に夢みたいだよ。ありがとうね、2人とも」
小声で2人にお礼を述べた。
「私もそう思ってるよママ。私、今日のこと絶対忘れない」
「トーイラに同じく。おかあさんとトーイラに感謝」
それに対して娘たちも同じ気持ちだったようでミノリに寄り添いながらこの夜景をともに眺めた。暫くの間そのままの体勢で夜景を眺めていた3人だったが、やがて夜風が少しずつ冷たくなっていくのに気がついたミノリは体を冷やしてはいけないとゆっくり窓を閉めた。
「……さてと、そろそろ寝よっか、2人とも」
「うん♪」
「承諾」
そんなこんなで初旅行での初めての夜。
ダブルベッドを2つくっつけた事により、4人分が寝られるスペースとなったベッドを3人で利用するので、当然の事ながら理論上一人一人のスペースも広く使えるはずなのだが……。
「……2人とも、どうしてそんなにくっついているのかな……? ベッドは充分にスペースあるよね?」
何故かトーイラもネメもミノリに密着するような位置に枕を並べている。それこそ当初2人がごねていたダブルベッド1つ分の幅に収まるぐらいの幅だ。
そのせいで左右両端に明らかに無駄なスペースが出来てしまっているのだが娘たちは気にも留めていない様子である。
「気にしないで~ママ。私たちママと一緒に寝たいだけだから」
「おかあさんと私たちは共同企業体」
「じぇ、JV……? 意味がよくわからないけれど、あー……うん、まぁいいか」
トーイラの言葉は兎も角、ネメの発言に至っては何を言ってるのかミノリにはさっぱりだったが、とりあえず肩を並べて寝たいという意思だけはミノリにも充分伝わったし、長年共に過ごした娘たちのたっての希望とあっては、その気持ちに応えてあげたい親心でいっぱいなのである。
やがて、初めて旅行ができたという嬉しさと旅の疲れもあってミノリたちがベッドに入って数分と経たずに静かに部屋の中に寝息が聞こえ始めてきたのだが……。
(うーん……?)
娘たちが寝息を立てる中ミノリは寝ようにも寝られず一人困惑していた。それというのも先程から寝息を立てているネメとトーイラが無意識に起こしている行動が気になって仕方ないのだ。
(えーとネメさんは本当に寝てるんですよね? さっきから私に抱きつきながら私のシャツの中に手を入れておへそあたりをさわさわしている気がするんですけど無意識下での行動ですか本当に?
……そしてトーイラさんは顔がすごく近くないですか? 近いどころかほっぺ同士がくっつき合う程の距離ですよね?)
ちなみにだがパジャマを着る習慣のない俗称『シタギデネル族』のオンヅカ家の面々なので、当然ながらパジャマなんて持ってきておらず、仮に宿側が貸与したとしても着るという選択肢がそもそも存在しないミノリたちがこうして密着しているという事はつまり、それぞれの肌がくっつきあう面積も非常に高いわけなのだが……その事に関して全く気にも留めていないミノリもそれはそれでどうなのだろう。
しかしそんな風に困惑するミノリでもやはりこの長旅で知らずに溜まっていた疲労による睡魔には流石に勝てなかったようでやがて娘たちと同じように深い眠りへと落ちていき……数時間が経った。
「……」
先に眠ったネメとミノリの寝息が聞こえる室内。その中でただ一人、体を起こしてミノリに視線を向ける金髪の少女。
喉が渇いてしまったのだろうか、体自体は疲れて睡眠を求めているのに反して目が覚めてしまったトーイラがミノリの顔を見下ろしていたのだ。
やがてトーイラはミノリを起こさないように優しくミノリの唇を愛おしそうに指でなぞりだした。
(はぁ……ママの唇……寝ているのにしっとりとしていて綺麗な形。こんなのをまじまじと見ちゃうと……ダメダメ! ママの唇を奪うのはママと結ばれてから……! 寝よう!)
心の中でそう独り言ちたトーイラは再びミノリの腕に自身の腕を絡ませるように抱きつきながら、今度こそしっかり眠ろうと目を閉じた。
熟睡中のミノリは当然のことながら無防備かつ無抵抗だ。目の前にある唇を奪うくらいトーイラには簡単に出来てしまうはずなのにそれができない。
だからこそ彼女はヘタレなのである。
そんな風にしてミノリ達の初旅行一日目は幕を閉じたのであった。




