130. 14年と11ヶ月目① 生まれ来る孫のために。
「お姉様、おはようございます」
「あれ、シャル。今日は起きてきて大丈夫なの?」
妊娠判明後、大体ミノリたちの朝食後に起きる事が多くなったシャルの為にミノリが朝食を運ぼうとお盆に朝食を乗せていると、ちょうどシャルが居間へと顔を出した。
「はい、今日は体調が安定していますので大丈夫です。それに全く動かないのもダメだと思いまして」
「まぁそれもそうだね。それにしても……本当に大きくなったねぇシャルのお腹」
ミノリがふとシャルのお腹に視線を移すと、シャルのお腹はかなり大きくなっていた。妊娠期間は4ヶ月だと説明した事から推測するに間もなく生まれそうだ。
「はい、私もここまで大きくなると思いませんでした。……そしてすみません、時々錯乱したように大泣きしたりしてしまって」
「んー……。だってシャル自身、自分が妊娠できる日が来るなんて思ってもなかったんでしょ? 不安に思うのは仕方ないよ。
それにさ……そのお腹の動き方を見たら絶対不安に思うよ。私、今でもそれを急に見せられたら驚くもの」
ミノリが苦笑いを浮かべながら見ているのはシャルのお腹にいる子の胎動。
一般的な胎動なら外から見ると動いてるとわかる事がある程度のもので微笑ましいはずなのだが、シャルのお腹にいる子は活発という域を超えているのか、動き方がなんだかもう尋常ではなく『早くここから出せ』と言わんばかりに、まるで相撲の稽古の一つである『鉄砲』を毎秒16連射という高速で行っているかのような非常に荒ぶった動きをしていた。
今にもシャルのお腹を突き破ろうとしているような激しい動きを見たら不安な気持ちが大きくなってしまうのは無理もない。見ている側ですらそのように不安に思ってしまうような動きなのだから、ましてや妊娠した当人からすればその不安は尋常では無かったはずだ。
「まぁ、お腹の子は私を傷つけない範囲でわかってやってるみたいなので流石にもう慣れました。それに元気なのはいい事ですから」
そう言いながらシャルが優しくお腹をさすると、お腹の子もそれを感じ取ったらしく、シャルのさすりに応じるように動きを抑えた。
「こんな風に私の気持ちもちゃんと汲み取ってくれているみたいなんです。その度に、私自身、もうすぐこの子の母親になるんだなって実感しますね」
(……本当にシャル、変わったなぁ。ネメと結婚する前の頃とは大違い。これが母親になるって事なのかな……)
ミノリに顔を向けながらそう語るシャルは、出会った頃に見せた不遜な態度やミノリに対して暴走していた頃のような素振りは完全に影を潜めており、母親らしい慈愛に包まれた優しい笑顔で、ミノリもつられるようにシャルへ微笑みかけるのであった。
******
(……あれ、そういえば今更だけどネメってちゃんと準備してるのかな?)
──その後、それぞれ私用を終えたのか家族全員が居間に集まる中、シャルの食器を洗い終えたミノリはある疑問がふと湧いたため、居間でシャルのお腹の子に胎教でもしているかの如く何かを語っていたネメに問いかけた。
ちなみに『おかあさんは偉大』だの『唯一神で女神』だの『臍』だの奇妙奇天烈な語句が断片的にミノリのエルフ耳には入っていたのだが、ミノリは聞こえない事にしたので何もわからない。
「ねぇネメ、もうすぐ赤ちゃん生まれそうなわけだけど、赤ちゃんの為に必要な道具って準備してる? 流石にそろそろ揃えた方がいいと思うけど……」
ネメが一人で買い出しに行くようになってから、ミノリはその都度ネメから買ってきた食品や道具などを受け取っていたのだが、その中に依然として赤ちゃん用品が無い事を懸念していたのだ。
「……完全失念」
ネメが『あっ!』という顔をして呟いた所からミノリが判断するに完全に忘れていたようだ。
「まぁまだ大丈夫だよ、今日明日で生まれるわけじゃないから……だけど早いのに越した事は無いから今日準備しに行こっか、ネメ」
「快諾」
「ちなみに一応尋ねるけど……赤ちゃんに必要な道具が何かってわかる?」
「ううん、知識は皆無」
「そっかー、……ちなみにトーイラたちは?」
ミノリは前世で弟妹がいたので必要なものも大体わかっていたのだが、ネメにその知識が無いと言う事はきっと……とミノリは思いつつも、念のためほかの3人にも尋ねる事にした。
「ううん、全然だよー」
「あたしもわかんない」
「私もです……」
そして出てきたのはやはり全員わからないという回答。
ミノリと家族になるまでの境遇を踏まえれば全員知らないのも無理は無い事なのだが、シャルだけは声の調子が暗い。どうやら間もなく母親になるというのにそういった知識が無い事に凹んでしまったようだ。
「あ、大丈夫だよシャル、これから覚えていけばいいんだから。だから落ち込む必要ないよ。とりあえず最低限必要なのは哺乳瓶やおむつとか……かな。服は一応あるし、必要であれば私が作るからいいかな」
服は必要ないとミノリが判断したのは、ミノリがこの家に最初から住みだした頃からこの家に置かれていた誰も着る事のできない程に小さな服。
今までもネメやトーイラ、さらにはリラの為にまで用意されていたような服が何故かこの家にあった事を考えると、さらに小さな服は今度生まれてくる赤ちゃんの為だとミノリは考えたからだ。
いつ必要になるかはわからなかった為、転生してから今日までの間、定期的に虫干しや洗濯などはしていたが……ミノリが住み始めた当初からこの家に保管してあった事もあり、既に15年経過しているだろうその服は流石に時代遅れかもしれない。
「まぁ、赤ちゃんがお気に召さないようなら私が作ればいいか。それじゃネメ、一緒に行こっか」
「御意」
「あ、待ってくださいお姉様」
それでも既製の服は買わずに自作で大丈夫だろうと判断したミノリがネメを連れてキテタイハまで買い揃えに行こうとすると、シャルの呼び止める声が聞こえた。
「ん、どうしたのシャル?」
「えっと、赤ちゃんの為の買い出し、私も行きたいです」
どうやらシャルも買い揃えに行くのに同行したいらしい。
「え、大丈夫? あまり無理しない方がいいんじゃ……」
妊婦であるシャルの身体にあまり負担を掛けたくなかったミノリは大丈夫なのかと尋ねたが、シャルはシャルなりに事情があるようで、ミノリにこっそりとその理由を耳打ちした。
「……ネメお嬢様はその……センスが独特なので……とんでもないものを買ってきそうな気がして」
「あー……」
シャルの言葉に妙に納得してしまったミノリ。ミノリも別にセンスがいい方では無いのだがネメは群を抜いて……その……あれだったから、シャルが同伴を希望したいのもなんとなく頷けてしまう。
「ママ、待ってー。私も行きたいなー」
「あ、トーイラおねーちゃんが行くなら、そ、それじゃあたしも……」
どうやらミノリたちに同行したいのはシャルだけではなかったようで、トーイラも手を挙げてミノリにアピールを始めた。そして初めてキテタイハの町を訪れた際の異様な光景がトラウマになってしまったリラも、一人この家に置いてけぼりになるのはイヤだったようで意を決したようにトーイラと同じように手を挙げた。
「うーん、それじゃみんなで行こっか。ネメはシャルを、トーイラはリラの事を守るようにお願いね。私は全体を守るように行動するから」
「御意」
「はーい!」
「あ、あとシャル、今日は変装する必要ないよ……なんかもうあそこの町じゃ一家全員顔割れてる上シャルも私と同じ神の一人扱いだから……」
「何ですかそれ怖い……」
キテタイハの町長である老婆ことハタメ・イーワックにバレないように変装してキテタイハの町へ入るという恒例の【キテタイハチャレンジ】が連敗を重ね通算0勝48敗となっていたミノリは、いくら変装しても無駄だとついに悟ってしまい、今日は変装せずに、今着ているデフォルトの服のままで行くとシャルに伝えた。
神扱いされていると伝えられたシャルの顔に若干の恐怖の色が見えたような気がしたが、諦観の境地に足を踏み入れているミノリはそれには特に反応せず、そのまま家族総出で家を出ると、全員がシャルの歩幅に合わせるようにゆっくりとした足取りでキテタイハの町へ向かうべく、森の出口へと歩き出したのであった。
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──そしてその日の夕刻。
キテタイハとミノリたちが住む森の間にある街道をぐったりとした様子の隠塚家一行が歩いていた。
「いや……まさかあんな歓待を受ける事になるとは……」
ミノリたち隠塚一家が町へ入ると、町長のハタメ・イーワックに即座に掴まり、根掘り葉掘り聞かれたあげく、シャルが身籠もっているとわかった途端、町を挙げての宴が始まってしまったのだ。
それでもなんとか最終的には目的の赤ちゃん用品は買う事はできたのだが、その最中、かわいそうなくらいに顔を真っ青にして先程からブルブル震えながらトーイラの背におんぶされてしまった少女がいた。
「リラ……大丈夫?」
「あの歌こわいこわい……あの町こわいこわい……」
ミノリたちが買い物をする間、老婆の合図と共に、祭事があると歌われる『地を這うような低音で抑揚の一切無いお経のような祝いの歌』を町人たちが延々と歌い続け、それによってリラは初めてこの町へ来た時のトラウマが呼び起こされてしまったらしく、リラはトーイラの背中で先程からずっと怯えて動けなくなってしまったのだ。
……ただ赤ちゃん用品を買いに行っただけなのに、その代償はあまりにも大きかったのであった。精神的に。
「と、とりあえずみんな帰ろうか。ほら、あとはもう生まれてくるのを待つだけになったからね」
各の心に大きな傷跡を残してしまったが、それでもなんとかミノリが発破をかけるように先導しながら我が家がある持ちの方へ足を向けたその瞬間……。
「あ、ミノリさーん!!」
数ヶ月前に聞いた事のあるその声を聞いた途端、ミノリは背筋が凍るような感覚に襲われてしまった。




