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129. 14年と10ヶ月目 だいすき、トーイラおねーちゃん。

 シャルの妊娠が判明してから一月ひとつきが経った隠塚おんづか一家。


 身重であるシャルの身体を第一にしようという家族全員の見解が一致した事から、今までシャルがネメと共におこなっていた買い出しは全てネメが単独で、それもなるべく近場で済ませるようになり、シャルは自宅で安静にしている事が多くなった。


 そしてやはりシャルのような女性型モンスターが妊娠するという前例自体が少ないせいなのか、シャルは日に日に大きくなっていく自分のお腹に対して、喜びだけでなく不安も大きくなっているようで、このまま自分が死んでしまうのではないかと突然泣き出してしまったり、おびえてしまったりするなど情緒不安定になりかけていたのだが、伴侶であるネメがつきっきりでシャルの介添えに尽力した事もあって比較的落ち着いた日々を送っている。


 そして日常において変化したのはこれだけに留まらず、ミノリも僅かながらその恩恵を受けていて、それが何かというと……。


(そして妊娠した事がわかってから……夜が静かだからぐっすり眠れる)


 ミノリに孫を見せるという目標を打ち立てていたからか夜な夜なミノリの聞こえのいいエルフ耳がかすかに拾っていたネメとシャルの寝室から聞こえてきた嬌声や物音が、妊娠したと判明した日を境に聞こえなくなった事により、ミノリは安定した睡眠を得る事ができているのだ。


 ……ちなみに妊娠判明後、2人はその日を境に何もしなくなったというわけではなく、ハグしながらキスというような、シャルの肉体に負担をかけないような事は今も毎夜継続しているのだが……そもそもかすかに聞こえる嬌声や物音は最初は気になっても最終的にはぐっすり寝られるミノリからすれば音が聞こえないのは何もしてないのと同義で、トーイラやリラが起きてしまうぐらいの大きな音さえ出さなければ好きにして構わないというのがミノリのスタンスなのである。


 それは兎も角として現在の隠塚一家はネメが買い出し、トーイラが狩りを引き受け、ミノリが家事全般でリラはミノリのお手伝いというように、役割分担がきっちり行われたおかげで特に生活のリズムは安定しており、あとは無事に孫が生まれてくるのを待つだけとなった。



 ******



「それじゃトーイラ、私、雪かきしてくるね」

「はーいママ、気をつけてねー」


 季節は冬。昨夜は雪が多く降り積もったので、ミノリはこの後買い出しに行く予定だったネメの為に雪かきをするため、あらかじめネメに作ってもらっていたスノーダンプを手にすると家の外へ出ていった。


 普段のトーイラなら、手が空いていると率先してミノリを手伝うところなのだが、今日は理由があってミノリを手伝う事ができず、ただ家を出るミノリを見送った。


 そして、トーイラが手伝えない理由は何かというと、先程起きてきたばかりで寝ぼけまなこで朝食をもうすぐ食べ終えようとしている幼い妹のリラ。


「ごちそうさまでした」


 食べ終えた食器を自主的に洗い、皿も拭き終えたリラはトーイラに顔を向けると……。


「トーイラおねーちゃん、朝ごはん食べ終わったからトーイラおねーちゃんの血、飲んでもいい?」

「うん、構わないよリラ。おいでー」


 今日はリラがトーイラから吸血する日。トーイラが貧血などを起こしてしまう可能性を考慮した結果、吸血する日は全ての家事を休みにして身体をなるべく動かさないようにというミノリとの間で取り決めがされており、これこそがトーイラがミノリの雪かきを手伝えなかった理由だ。


 トーイラに手招きをされたリラは、ソファの上であぐらを掻くトーイラの元へとてとてとゆっくりした足取りでやってくると、トーイラの足の間にすっぽり収まるように座り、座ったのを見計らってトーイラはリラに腕を差し出した。


「はいどうぞ、リラ」

「ありがと、トーイラおねーちゃん。いただきます」


 かぷりと小さな口でトーイラの腕に噛みつくとゆっくりとトーイラの血を吸い出すリラ。


 初めてトーイラから吸血した時は、リラにとってトーイラの血があまりにも美味だった為にリラは我を忘れてトーイラの血を勢いよく吸い続けてしまい、結果貧血にさせてしまったが、流石にもうそのような吸い方はせず、今はトーイラの血を吟味するように飲んでいる。


 そしてトーイラもリラから吸血されるのはもうすっかり慣れ、リラに毎日吸われてもいいように血が多く作られる食品を選んで食するようになっていた。

 ただ、リラは基本的に我慢できる子であり、毎日吸いたいとわがままを言ったりする事はない。


 その為、そこまでこだわる必要が無いはずなのだが、食事のバランスに気を付けるようになったトーイラの身体は非常に健康的になった事で、トーイラの血はよりリラにとって美味となったらしく結果的にお互いが得をしたような形となった。



「けぷ、ごちそうさまでしたトーイラおねーちゃん。……トーイラおねーちゃんの血、やっぱりおいしい……」

「あっ……うん、私の血がおいしかったのなら良かったよー」


 トーイラの血に満足したのか飲み終えると、うっとりとした顔をトーイラに振り向きざまに見せるリラ。その表情は10歳児とは思えないようなあでやかな表情で、少しだけその表情にドキッとしてしまい、トーイラは少しだけ反応が遅れてしまった。


「……っといけない。腕に跡が残っちゃってる……ごめんねトーイラおねーちゃん、すぐ直すね」


 リラがしまったという表情でそうつぶやき、まだトーイラの腕に残っていた吸血跡を舐めはじめると、先程まで腕についていた吸血跡が徐々に消えていき、やがてトーイラの腕は傷一つ無い綺麗な肌へと戻っていった。


 吸血鬼ヴァンパイアの唾液には吸血によって生じた穴をふさぐ効果があるようでミノリもトーイラも腕に跡が残ってしまったという事が一度も無く、そのおかげでミノリもトーイラも一切の抵抗なくリラに血を吸わせられるのだ。


 そして、リラの楽しみは吸血行為だけでなく、吸血後にトーイラから後ろから抱きしめられた体勢でおしゃべりするのも好きなようで、今日もまたトーイラに抱きしめられながら仲良くおしゃべりに興じていた。


「やっぱりこうしてトーイラおねーちゃんと一緒に座っているとね、背中にトーイラおねーちゃんの体温が伝わってきて、あたしぽかぽかした気持ちになってくるの」

「そっかー。それならもう少しこのままでいる?」

「うん、このままこうしていたい……」


 その後、少しだけ黙ったリラだったが、やがて何か決意したようにポツリとつぶやいた。


「トーイラおねーちゃん……あたしトーイラおねーちゃんだいすき……」

「うん、私も大好きだよ、リラ」


 リラが顔を赤くしながら伝えたのに対し、さらりと受け流すように答えたトーイラ。


 それは、同じ『好き』でもお互いに異なる『好き』で、リラが恋愛として『好き』だったのに対し、トーイラが言ったのは家族としての『好き』だった。


 リラの好意にはとっくに気づいていたトーイラだが、トーイラは昔からミノリのみが恋慕の対象であり、リラは家族、そして妹としては大好きだが現在、恋愛の対象として見なしていない。

 その為に、わざとはずしたような言い方をしたのだが……そのトーイラの行動はリラにも気づかれてしまったようで、少しだけリラの心を傷つけてしまった。


「ひどい、トーイラおねーちゃん……。あたしの気持ちに気づいてる上でそう言ってる……」

「……リラ? ……って待ってリラ、わわっ」


 突然うなだれてしまったリラを心配するトーイラだったが、リラは突然トーイラの方を振り向くと、そのままずいっとトーイラに顔を近づけた。


 リラの顔が突如眼前に迫った事に驚いたトーイラはバランスを崩してソファへ倒れ込んでしまうと、リラはそのままトーイラの上に馬乗りになってしまった。


「えっと……リラ?」

「……」


 リラはトーイラの上に跨がったままお互いにしばらく黙ったままだったが、やがてトーイラの腕をつかみ、トーイラのてのひらをリラの胸に押し当てた。


「……トーイラおねーちゃん、あたしの胸、ドキドキしてるの、わかる……?

 あたしは、トーイラおねーちゃんからすればまだまだ子供だけど、誰かに恋して好きになる気持ちはおねーちゃんたちと同じようにあるよ。

 ……だからお願い、あたしの気持ちに応える必要はないけど……お願い、気づいた上ではぐらかそうとしないで……そうされるのね、とてもつらいの……」

「リラ……」


 涙目でそう話すリラを見たトーイラは、自分のどっちつかずの態度でリラの心を傷つけてしまっていた事に気づき、その場で幼い妹に謝った。


「……ごめんねリラ。ちょっと私、リラに対して不誠実だったかも……うん、リラの気持ちは気づいていたよ」


 身体を起こすと、リラを優しく抱きしめながら今の自分の気持ちについてゆっくりと話し始めるトーイラ。


「えっとねリラ……多分リラも気がついてると思うけれど……私はママの事が大好き。それも、恋愛対象として」

「うん、知ってる……だけど、なんでかーさまを?」


 リラからすれば母親に恋をするという感覚が不思議なのだろう。しかしトーイラには幼い頃からずっといだいていたちゃんとした理由がある。


「ママだからこそだよ。ママは別の世界からこの世界にひとりぼっちでやってきて、モンスターだからいつ人間に討伐されるかわからないという不安でいっぱいだったはずなのにそれでも種族の壁を越えてまだ小さかった私とネメに手を差し伸べてずっと一人で私たちを育ててくれたの。

 しかも後から聞いたんだけど、もしママが先に死んでしまったとしても私とネメだけで生きていける方法を色々考えていてくれたみたいで、すぐに勉強や狩りの仕方を教えてくれたのはきっとその為。

 そんな私たちのために十何年も献身的にしてくれた血の繋がっていない人が近くにいたら……たとえ建前上は母娘おやこという関係で同性であっても恋心をいだくのは仕方ない事なの。……まぁ、一度フラれちゃったんだけどね……」


「……」


 トーイラの話を聞きながら、リラもまた思う事があるのだろう、何も言わずにトーイラの話に耳を傾けている。


「だから今はリラの気持ちに応えてあげる事はできない……でもきっと私はママに振り向いてもらえる事は無いかもって内心は思っているの。……ただ自分が諦めたくないだけ」


 少し自嘲気味にそのように話すトーイラ。しかしリラは茶化すような真似はせずに真剣な顔でトーイラの話を受け止めていた。


「それで、リラには悪いけど少しだけ待っていてほしいなって……。もしもあと5年、リラが大きくなった時に、私がママと結ばれる事なく独り身のままで、その時になってもリラが私の事を好きだったら、もう一度告白して。

 その時は私、リラの気持ちに応えるから。今はママの事しか考えられないけれど、やっぱりリラの事も大好きだもの私。……ごめんねわがままな姉で」


 トーイラの話を黙って聞いていたリラは、ゆっくりとその言葉を一語一語噛みしめるような表情をしながら、やがてその口を開いた。


「ということはあと5年待てばトーイラおねーちゃんはあたしと恋人?」

「いやいや待って、5年経った時でもリラが私に恋をしていたらだよ?! その間にリラにも私じゃない別の好きな人ができるかもしれないし、第一ママが私の気持ちに応えてくれる可能性だってゼロじゃないんだよ!?」


明らかに自分に都合の良い解釈をするリラに対して大慌てのトーイラ。


「かーさまの気持ちはまだわからないけれど、トーイラおねーちゃんが好きだって気持ちは大丈夫だよ? ……多分あたしね、この先もずっとトーイラおねーちゃんの事大好きなままで、トーイラおねーちゃんが振り向いてくれる日が来るなら……ずっと待てるもん」


 リラは確かに小さいが、実際の年は10歳で思春期まっただ中だ。そして遥か昔、シャルが話していた『女性型モンスターは助けてくれた人に一途な恋慕をいだく』という発言。それは勿論リラも例外では無く……。


「……まぁいっか、リラが待つというのならそれで……。だけど私、この5年間は絶対にママ一筋だからね」

「うん、トーイラおねーちゃん♪」


 5年待てばトーイラの恋人になれる、という言質を取ったリラは顔を嬉しそうにほころばせながら改めてトーイラに抱きついた。

 ……しかし、そんな純粋そうに見えるリラの笑顔の影で、リラが胸中で考えている事はちょっと妖しいものだった。


(あたし知ってるよ。トーイラおねーちゃんって押しは強いけど、押されるのが実は弱いって事。だからあたしね……これからもトーイラおねーちゃんの事、好き好きって言い続けるよ。そしたら5年よりも早くあたしに振り向いてくれたりして……えへへ、だいすき、トーイラおねーちゃん……♥)


 トーイラに抱きつく満面の笑顔のリラの姿は、仲の良さの現れとも受け取れ、一見ほほえましい光景のように見えるが……まるで獲物を捕まえた蜘蛛のようにどこか妖しい雰囲気が滲み出ていた。


 吸血鬼ヴァンパイアであるはずのリラに、以前からあった小悪魔的な側面だけでなく、どことなくサキュバスか何かそういったたぐいの気配が感じられるのは気のせいだろうか……。


(5年でママを振り向かせられなければリラと恋人……リラの事も大好きなのは変わらないからそれも悪くはない……のかな)


 しかしトーイラは、かわいい妹の抱擁(ほうよう)としか考えておらず、そんなリラの心情には気がつく事は無かったのであった。

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