109. 13年と9ヶ月目 シャルのお手並み拝見。
夕食を済ませ、お風呂にも入った後でゆったりとしていたミノリ。そのミノリの横ではミノリと一緒にお風呂に入ったリラが眠たそうに目をこすっていた。
「リラ、眠い? そろそろ寝よっか」
「うにゅ……」
リラがコクリと頷いたのを見たミノリは、椅子から立ち上がり、リラと共に睡眠を取ることにした。
リラはミノリに折り重なって寝る事はすっかりしなくなっていた代わりに夜は眠るまでの間は誰かが隣にいないとダメなようで、その役割を母親であるミノリが担っていた。
そのせいか最近ではミノリの入眠時間が随分早くなっていたのだ。
「それじゃみんな、私とリラは先に寝るね。みんなおやすみ」
居間に残っていた3人にそう伝え、ミノリがリラの背中を押しながら寝室に向かおうとしたところネメがミノリに声を掛けた。
「あ、おかあさん、明日だけど明日おかあさんにお願いしたい事がある」
「え、一体何?」
振り向いたミノリがネメの顔を見るといつになく真剣な表情で……ミノリはネメが何をお願いしたいのか固唾を呑んだ。
「明日は私とシャルが結婚してからちょうど1年。なのでシャルの今までの成果を評価してほしい」
「この1年間お姉様の元で家事手伝いとして料理や家事の勉強をしてきました。なのでどうか私の腕前を見てください!!」
「あ、そういう事か……そういえば明日は2人の結婚記念日だったね」
時が経つのはあっという間で、ネメとシャルの2人が純白のウェディングドレスに身を包んだあの日から明日で1年になる。
確かにこの1年、シャルはミノリの下で家事を頑張ってきた。あらゆる事が初めての経験でシャルには大変だったと思うがそれでもミノリのようになりたいと決意して今日までがんばってきた。
その成果を今こそミノリに見せる時と考えたのだろう。
「わかった。それじゃ明日、私は何もしないでシャルだけに全ての家事を任せてみるね」
「うん、お願い」
「よろしくお願いします! お姉様!」
ミノリは2人にそう伝えると、ミノリと手を繋いだ状態で立ったまま眠ってしまっていたリラを抱き上げると、そのまま寝室へ向かうのであった。
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「そっかぁ……もう1年かぁ……。仲良しふうふのままで良かった」
リラを寝かしつけたミノリは、横で天井を見上げながらネメとシャルの事を考えていた。
人間とモンスターという異種族同士での婚姻であったが、ふうふ仲は非常に良好だ。何せ深夜になるとミノリの聞こえの良いエルフ耳に入ってくるあの音は1年たった今もほぼ毎夜続いており、最早ミノリにとってはただの生活音の一つにまでなってしまっていたのだ。
(時々シャルの体に謎の縛られた跡があるのは気になるけど……いや、それについては触れないようにしよう)
一瞬、危ない方向に考えが及びそうになったミノリだったが、突如脳内に危険信号が灯ったような感覚になった為それ以上その件については触れないように考えを外に追いやった。賢明である。
(ネメたちと違って、娘として迎えたわけじゃないけれどそれでもシャルは隠塚家の一員の隠塚シャルとして……あ、あれ……?)
ここでようやく、ミノリはあの事に気がついてしまった。
(そういえば私、シャルに苗字を名乗ってもいいって伝えてないしそもそも苗字があるって事自体教えていない!? しまった!!)
そう、シャルにはミノリには『隠塚』という苗字があること、そしてそれを名乗ってもいい事を今の今まで伝えていなかったのだ。うっかり過ぎである。
(……明日、シャルの成果を見た時にどさくさにまぎれてシャルにも名乗っていいって伝えよう。危ない危ない……多分これを逃してたらもう完全にその機会が無かったかも……)
娘第一主義で家族想いだけどうっかり者でちゃっかり者、それがこの家の大黒柱、隠塚ミノリなのである。
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──翌朝。
「さてと……」
いつもより少し遅めの時間に目を覚ましたミノリがまだ眠っているリラとトーイラを起こさないように着替えて居間に向かうと……。
「あ、お姉様、おはようございます!」
「おは、おかあさん」
そこにいたのは既に起きていた娘ふうふ。朝食に使う食材を収穫しに畑へ行っていたようで、シャルはその腕に採れたての野菜を抱えていた。
「うん、おはよう2人とも。それじゃ今日はシャルの家事をしっかり見させてもらうからね」
「はい、がんばります!」
シャルの返事を聞いたミノリは、ネメと共にテーブルに座りシャルが朝食を作る姿を後ろから眺める事にした。
「……シャルはおかあさんから家事を学んだだけあって、なんだか動きがおかあさんみたい」
「うん、ネメの言うように私そっくりな動きしてる……」
作業速度はミノリと比較すれば遅いものの、まるでミノリの行動をトレースしたかのようにそつなく調理をこなすシャル。シャルはそもそも地頭が良い上、物覚えも良いのだ。
それ故料理が下手な人にありがちな油を引かなかったり、なんでもかんでも強火にしたり、塩を入れすぎたので砂糖を入れて味を調えようとしたりという奇行をする様子もない。
「……ただ、鼻歌まで真似ているのはどうかと思うけど……」
ミノリは無意識のうちに鼻歌を歌いながら家事をする事が多いのだが、その鼻歌すらもシャルに真似られ、ミノリはなんとも微妙に恥ずかしい気持ちでいっぱいになってしまった。
その後、シャルの朝食が完成間近になろうかという頃にトーイラとリラも起きてきた。
「2人ともおはよう……って、仲良しだね2人とも手繋いじゃって」
トーイラは先日、シャルからリラの寿命について聞かされて以来リラとスキンシップを取りたがるようになり、こうして手を繋いだりおんぶしたりという事が非常に多くなっていた。
ちなみにリラの寿命についてはシャルから聞きだした際の『内緒にしてほしい』というリラの意向を受けてミノリとネメには話していない。
「ママおはよー。早速やってるんだね」
「シャルおねーちゃんが一人でごはん作ってるの?」
眠たいあまり昨日の夜の会話が頭に入っていなかったのであろうリラからしてみれば、ミノリが一切手伝わずにシャル一人だけで朝食を作っている場面が非常に珍しいのだろう。
「そうだよリラ。今日でネメとシャルがふうふになってから丁度1年になったから今までの成果を評価してほしいって事になったんだ」
「そうなんだ。シャルおねーちゃんがんばれー」
ミノリからその話を聞いたリラは小さくシャルを応援。あまりにもかわいいいきものである。そんなリラの応援の甲斐もあってか、シャルは失敗らしい失敗をすること無く無事に朝食を作り上げることが出来たのであった。
「うん、もう調理については合格だよシャル。それで味の方なんだけど……トーイラとリラの2人にお願いなんだけど、私だと多分評価を甘くしちゃうと思うんだ。だから味については2人に判定してほしいな」
自分の甘い性格を自覚しているミノリが、トーイラとリラに判定してもらうようお願いしたところ、2人ともそれを快諾した。
「うん、わかったー。シャルさん、私は厳しいよ?」
「シャルおねーちゃんのごはんいただきます」
シャルの料理を口に運ぶ2人……。
「うん! シャルさんご飯作るの本当に上手になったね。初めて作った時でも見よう見まねでそれなりだったからこれは文句なしだよー」
「シャルおねーちゃんのごはんおいしい」
2人の審査員の判断も上々だ。
「うん、トーイラとリラがおいしいって言ってるから料理については文句なしの合格だよ。シャル、おめでとう」
「えへへ、ありがとうございますお姉様……」
ミノリから合格判定をもらい、嬉しそうな顔をするシャル。
「ママ、洗濯も判定した方がいいの? 生活魔法って確かシャルさんは使えなかったよね」
「あー洗濯はその問題があったかぁ……。どうしよう」
生活魔法は人間が編み出した魔法の一つだ。確かにモンスターであるシャルは覚えている必要もなく、そもそも成長しないタイプのモンスターであるシャルは新しい魔法を覚えること自体無理のはずなのだが……。
「ふっふっふ……私は魔法に長けた種族のウィッチですよ2人とも! 習得するのに時間はかかりましたがネメお嬢様に何度も教えてもらったおかげで、私もちゃんと生活魔法使えるようになりましたよ!!」
「えっ、そうなの!?」
どうやら生活魔法をシャルは問題なく覚えられたようだ。ゲーム上では生活魔法という名前自体そもそも出てこないので、恐らく鍋やフライパンと同様に日常で使う道具と同じような扱いなのだろう。
「生活魔法が使えるなら問題ないね。それじゃトーイラ。悪いけどシャルの洗濯を評価してくれないかな?」
「はーい!」
******
「──うん、シャルさんの洗濯は問題なし。今日洗った服はそれでOKだけれど洗う服によっては縮んじゃうものもあるからそれだけは気をつけてね」
「はい! トーイラお嬢様!」
その後、洗濯についてもトーイラから合格判定をもらったシャル。そんな料理に洗濯と立て続けに合格をもらい、ノリにノッているシャルの次の課題だが……。
「最後は裁縫……と思ったけど服のほつれぐらいは元々直せていたよね。ならこれは判定しなくていいんじゃないかな」
というミノリの鶴の一声により、シャルは料理も洗濯も裁縫も全て合格となったのであった。
そういうわけで、シャルはもう一人前に家事をこなせるようになり、ネメと一緒に巣立ちしても問題は無さそうだ。ただ、2人ともこの家を出て行こうとは思っていないようだが……。
「シャルよくやった。これで今まで私たちのお世話で苦労をかけさせたおかあさんを漸く楽にしてあげられる」
「そうですねネメお嬢様!! お姉様の代わりに私が全ての家事を担当できます!!」
「えーっと、私そんなに苦労したって気持ちは無いんだけどなー……? みんなも手伝ってくれていたし……」
確かにこれまでの間ミノリは娘たちの為に家事を担ってきたわけだが、単独で全てをやってきたわけではなく、ネメやトーイラも率先して手伝ってくれていた。その為、2人がそのように捉えた事に対して、少し困ったような顔になってしまった。
しかし、ネメもシャルもミノリを楽させてあげたいと思っての行動だったのでそこまで悪い気はしないのだったが……。
「だけど、シャルの腕は確かだし、食材となるモンスターを狩るのもトーイラたちがやるようになりつつあるし、これならもう安心して全てを任せられ……いやちょっと待って……」
「……お姉様、どうしました? 突然固まっちゃって……」
ミノリは気づいてしまった。
自分が担っていた家事や狩りを全て娘とシャルに任せてしまうと、ミノリは家庭内無職状態になってしまう事に……。
この十数年、大きなトラブルも幾つかあったものの基本的にはのんびり一辺倒の生活だったが、それでも狩りや家事などで一応のメリハリがついていたミノリ。そんなミノリから両方を取ってしまうと……何も残らない。
完全にお荷物状態……いや、崇拝対象とされつつある惨状を鑑みると……キテタイハの住民が呼ぶ『褐色耳長臍出し女神様』に一歩近づいてしまうのだ。
(待って待ってそれだけはいやだってば!!)
「えーっとね……みんな……」
娘たちにも崇められることを恐れたミノリは、顔を青ざめさせながら口を開いた。
「シャルの家事の腕前は完璧だったし、狩りについてもトーイラたちもできるわけだから全部任せてもいいんだけどね……そうするとね、私本当にすること無くなっちゃう……」
そうミノリは答えたが……。
「ママを楽させたいもん!」
「私もトーイラの意見に完全同意」
「うん、気持ちはわかるし嬉しいんだよ。だけどね……何もすること無いと多分私、干からびちゃう……だから私も今まで通り家事も狩りもしたいです……」
ここまで甲斐甲斐しく世話をしてくれたミノリへの恩返しという気持ちはありがたいのだが、何もする事が無くなり、まだ幼い三女リラに構う……いや、むしろミノリの方が構ってもらうだけの生活になってしまうのもそれはそれで辛いし、第一、女神扱いされるのも勘弁願いたい。
楽をさせたかったはずなのに涙目で引き続き家事も狩りもしたいとミノリに懇願されてしまった娘たちは、困惑しながらもミノリの願いを受け入れ、結果的に今までミノリの補佐という立場だったシャルも、料理を受け持つ立場になり、リラを除く全員で家事をするという当番制に落ち着くのであった。




