1.足元注意!事件はある日突然に
「あー畜生!あのはげ部長!!」
ゆでダコのような禿げ頭を思い出し、いらだちは再燃。
空に向かって毒づく。
道行く人がぎょっとして振り返るけれど構うものか!
さすがにOLも三年目になると図太くなっていく。
部長の嫌味にも、クライエントの無理難題にも笑って流さなければやってられない。
鈍感力、これ重要!!
終電ぎりぎりで帰宅の途に着いた今日は金曜の夜。
世間様は花金に浮かれ騒いでいることだろうけれど、あたしはといえば、血眼になって残業をして終電ぎりぎり。
金曜の夜になんだってこんなにかさかさしなきゃいけないのかしら。
潤い無さすぎでしょ!
そんなあたしのささやかな自分へのご褒美。
まあ、それが缶ビールとあたり目、ビックプリンだっていうのが悲しい限りだけれど。
あたしは一条蓮。25歳。中堅広告代理店のOL。
彼氏なし歴もうすぐ3年。
大学の時から付き合ってた彼氏には働き出してすぐに振られた。
その時のフラれ文句は今思い出しても腹がたつ。
「蓮は強いから独りでも大丈夫だろう?でも彼女は守ってあげなきゃダメなんだ。ごめん。」
守ってあげなきゃって、あんたの目は腐ってんのか?って言いたくなる。
世の中に守ってやんなきゃいけない女なんてそうそういない。
あんたが守んなくても、誰かに守られて、強かに生きるすべを女は本能的にわかってんのよ。
彼曰く「守ってあげなきゃダメ」な彼女は殺しても死ななそうなくらい、強かだと思う。彼女がいると分かってる男に「わがままはいいませんから」と泣きついたのだそうだ。まあ、そんな強かさに負ける程度のものだったのだろう。あたしとの付き合いは。
結局のところ彼女と自分との違いは人にどれだけ自分の人生を委ねらるか、つまり人を信用しているかなのだろう。
あたしは人に全部を委ねて守ってもらいたいなんて思えないから。
あたしは彼と付き合っていてもどこか一線を引いて何をなくしてもいいように予防線を張っていた。
あっさり切られたときは人並みに傷ついたけど、失恋に泣きわめくほど、彼に依存してはいなかったらしい。
だってそうでしょう?
どうしてそこまで人にのめりこめるの?
なんで自分の不確かな感情にそんなにも傾倒できるの?
誰かを信じすぎて、依存しすぎて、その人との関係をなくしたときにどんなふうに自分を支えていけばいいの?
そんな風に人を、何よりも自分を信じないあたしはきっと恋愛に不向きな体質なのだと思う。
そんなだから、取り立てて夢も希望も志もないけど、仕事には必死で打ち込んできた。裏切られることもあるけど、やったことの結果も課程も説明ができるから。人の感情とは違って。理由も責任の所在も、次の課題も、恋愛よりは全然明白だし。
責任感は無駄に強いせいで不器用な生き方をしていると思う。
「もっと楽に、肩の力抜きなよ。テキトーにやんないともたないよ」といろんな人に言われるけれど四半世紀付き合ってきた性格だ。
愚直で頑固、くそまじめで不器用と評されるこの性格。
どこの昭和のおやじだって感じだけど、こればっかりは性分なのでしょうがないと諦めている。
ふっと自嘲がこみあげてきて息をはく。
金木犀のかすかな香りが鼻をかすめ、もの悲しさを誘った。
もうすぐ両親が亡くなって5年。
こんな風に感傷的になってしまうのはこんな秋の夜だからだろうか?
あたしは首を振って頬を一つたたく。
「よし!とりあえずかえって酒盛りしよ!」
気合いのいれ方もオヤジだけど、
オヤジに対抗するためにはオヤジ化するのもやむ無し!オヤジ上等よ!
あたしは些か乱暴な理論を振りかざし息巻いて、民家のブロック塀の角を一歩曲がったその時。
落ちた。
そう。
それは直径二メートルくらいの大きな黒い穴。
工事なのかなんなのかわからないがとにかくあたしは落ちた。
お世辞にもかわいらしいとは言えない悲鳴を上げて。
「うわあああああああああ!」
どこのばかが穴をふさぎ忘れたんだ!
”蓮はおっちょこちょいだから、足元をよく見て歩きなさい。”
苦笑しながらそうたしなめるお母さんの言葉がよぎる。
後の祭り。
今ほどこの言葉がピッタリな場面はないだろう。
あたしは暗い闇にのまれていった。




