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10.月の船

城に帰るとコリーンにしこたま叱られ、マリーナに泣かれた。

無茶をするなと。

何かあったらどうするつもりだと。

自分の考えなしの行動がいかに周りの人に迷惑をかけていたのかを知り、あたしは恥ずかしくなった。


「ごめんなさい。働きたかった。でも、もうしない。」


あたしはみんなにきちんと気持ちが伝わることを祈って頭を下げた。


この世界で働くってことをあたしは甘く考えていた。

あたしはあの子みたいにぼろぼろになって働く気持ちも覚悟もない。

この恵まれた生活にただ甘えているだけで、でもその中で何か自分にできることを探してやらなきゃいけないと思った。

自分に何ができるのかわからない。

でも、やらなきゃいけない。

日本に帰るその日まで。



次の日から、あたしはコリーンにこの国のことを教えてくれと頼んだ。

なんでもいい。

教育のこと。産業のこと。福祉のこと。

周りの国のこと。

ただこの世界のことを知りたかった。

何ができるかなんてわからない。

でも自分がここにいることを無駄にはしたくなかった。


コリーンはそんなあたしを見て少しずつ政治や産業なんかを教えてくれるようになった。


その中で専制君主制を敷く国が多いこの世界において、この国は議会を置き、王の独裁を防ぐシステムを敷いていることを知った。

その制度を作り上げたのはカイルザーク王のお父さんで先代の王なのだという。

民主主義っていうのはある程度国の基盤が整っていることでしか成立しない。国際的な協定もまだまだ整備されていないこの世界では国同士の戦争も多く、国自体の安定力弱いそんな中では、専制君主制のトップである王の存在は、何よりも人々の拠り所となる。

国力が低い国では、トップに絶大な畏怖と権力を集中させることでしか国を収めることは難しいということは歴史を見ても明らかだと思う。

ただ専制君主制は常に薄氷の上を歩くような危うさを常に内包している。

貧困を力で押さえつけていればいつかそれは爆発して、民衆の革命という形で王政の終焉を迎える。


そんな危うさの中で、議会のシステムを作り、自分の権力を分散させるという決断は容易ではなかっただろう。


賢帝と謳われた彼のお父さんは戦場では青い狼と呼ばれていたらしい。

国の領土を力で守ってきた強き王。

その息子であるカイルザーク王は二十の時に父王が亡くなったのをきっかけに王位を継いだ。

コリーンにそのことを聞くと言葉を濁されたのが気になったけれど。

彼もその王様の考えを引き継いでいて、そのおかげで絶大な信頼を臣下から受けているらしい。

王位を継いでからやめることなく国のために走り続けたという王。

いくら立憲君主国であっても、まだまだ議会の機能は低く、王の意見や言葉が大きく国を左右するらしく、そのせいで昼夜兼行でずっと政務を取り仕切っている。

結婚もしてなくて、王に家族と呼べる人はいないのだという。


冷静沈着、有能…王をたたえる賞賛は限りない。

誰に聞いても「王ほどお強い人はいない。」「王ほど優れた覇者はいない。」と絶賛。


そうして、あたしはカイルザーク王に興味を持った。

為政者としての彼じゃなくて、生身の人間としての彼に。

だってそうでしょう?

サイボーグみたいに毎日朝方まで仕事して、疲れひとつ顔に出さないなんて。

プライベートの彼はどうなのかしら?

きちんと生身の人間に戻ることができる時間があるのかしら。

マリーナに聞くと「王は強いお方ですから。」そんな答えが返ってきて思わずあきれてしまった。

それは答えになっていない。

あんな笑わない仕事の鬼みたいな人でも、やっぱり人間なんだし、安らぐ時間がいるにきまってんじゃん。

そんな疑問を持つのはやっぱりあたしが別の世界から来たからなのだろうか?





夜。

相変わらず空には馬鹿でかい月。

こんな光景にも慣れてしまった。

慣れといえばふりふりのドレスにも慣れてしまった。

全然似合っていないけれど、郷に入れば郷に従え、で着続けている。

のっぺり顔のあたしには罰ゲーム的に似合っていないと思うけれど、メイドさんたちににらまれるのも怖いのでもはや何も言うまい。

ここにきてそろそろ半年。

いい加減慣れてもくるってものだ。


夜の冷気に肩を震わせ、ストールを肩からかけて中庭を歩く。

マリーナに見つかれば「危険です!」なんて言われるんだろうけど。

ただ一人で静かにしていたいこともあるからそっと抜け出して小一時間くらいぶらぶらすることがあった。

何も拠り所のない自分が頼り無さ過ぎて。

居場所がなさすぎて。

人っていうのは結局何らかのコミュニティの中で生きることで、自分という人間を確立しているのだと実感する。

学校、会社、家族…

そんなもののくくりが不意になくなった瞬間

自分という存在を肯定するものがなくなり、

途端に曖昧になり不安になるのだろう。


今のあたしには何もない。

会社も、友達も…結局一条蓮という人間は外部の環境に作られたものであって、

自分自身で保っていたものではないのだ。

ここで自分が自分であるという確証を持つためには、居場所を作り、自分で自分を作り上げて、周りに認めてもらうことでしか、この不安定さからは抜け出せないのだろう。

居場所は自分で作るものだ。

ここの人の親切に、優しさに甘んじていても、きっと不安はなくならない。

自分を自分で作るのだ。


夜の空気は静謐にして清浄。

空には鏡を砕いたような星。

中庭には名前のわからない椿みたいな白い花が咲き乱れていて、さわやかな凛とした香りが辺りの空気を浄化する。


ああ、寝転がりたい。


そんな欲望に勝てずあたしはストールを芝生の上に敷いてごろんと寝転がった。

その瞬間に夜露が夜着を濡らし、

脚に芝生が当たってちくちくするけど、それもまあいい。


だってこんなにも星星が美しいから。

頭上には満天の星々。

落ちてきそうなくらい輝く星にあたしは思わず息をのんだ。


「わあ…すっごい…。」


ふと浮かんだのは万葉集の中の和歌。


「天の海に雲の波立ち月の舟 星の林に漕ぎ隠る見ゆ…か。」


久々にこぼれた日本語。

意識もしていなかった言の葉がこんなにも愛おしい。


この広い天は海。

雲間から覗く大きな月はゆるゆると漕ぎ出でる船。

輝く星々は水から顔を出す木々…


昔の人はなんて情緒豊かなのかしら。


あたしは花の空気を胸いっぱいに吸って目を閉じた。

虫の声。

風が花を揺らす音。

このままこの静謐な闇に溶けてしまいそう。


こんな風にしていると自分がなんてちっぽけでとるに足らない存在なのかを実感する。

でもそれにあまり不安を感じない。

むしろ心地いい。

人間の力なんてこの自然の中ではすごく小さくてとるに足りないもの、

この自然の中に組み込まれた存在。

自然の営みとして生きることを赦されている。

そんな気がする。

この世界では完全に異質であるあたしがこうして自然に触れている時だけは、ここにいてもいいと赦されているような、そんな気がした。


「お前は危機意識というものがないのか。」


不意に聞こえた声にあたしは一気に現実に引き戻された。


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