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週末のデートから一転し、月曜日の自社オフィスは、俺にとってまるで地雷原のような場所に様変わりしていた。
田中さんから拡散した噂はこちら側の会社のプロジェクトメンバー社員たちにも届き、好奇心に満ちた視線が向けられた。
俺はできるだけ全てのノイズをシャットアウトし、仕事に集中しようと努めていた。だが、そんな俺のささやかな抵抗も、あっけなく終わりを告げる。自社の高橋部長からのチャットメッセージだった。
『湊くん、少し、いいかな』
そのたった一文に、俺の心臓は嫌な音を立てて跳ねた。
すぐに立ち上がって高橋部長席に向かう。部長の表情は思ったよりもご機嫌そうだ。月島さんの件は関係ないかもしれない。
「湊くん、TechFrontierの件、順調のようだな。先方からの評価も、非常に高いと聞いているよ」
「は、はい。ありがとうございます。月島さんをはじめ、皆様のご協力のおかげです」
「うん……その、月島さんのことなんだがね」
バッチリ関係してたわ。
高橋部長はそこで一旦言葉を切った。そして、まるで言い聞かせるようにゆっくりと続ける。
「湊くん。君が、休日まで使ってクライアントである月島さんと、非常に親密な関係を築いている、と耳にした。クライアントの懐にそこまで深く、そして積極的に飛び込んでいくとは……その仕事熱心な姿勢は素晴らしいと思う。君を見直したよ。是非、別の案件にも派生させて我が社の売上に貢献してくれよ」
……誤解されている!?
それも、とんでもなく、ポジティブな方向に。
高橋部長は、俺の行動を、全て、仕事上の関係性構築のための、アグレッシブで、賞賛に値する営業活動だと、勘違いしているのだ。
このまま黙ってこの誤解を受け入れてしまえば、話は丸く収まるのかもしれない。評価も上がるかもしれない。
だが、それはできなかった。
それは、俺のプライドが許さない、というよりも、月島さんとの、あのコインランドリーでの、誠実で、不器用な時間を仕事という言葉で、汚してしまうような気がしたからだ。
俺は、一度、深呼吸をした。
「……部長。大変、申し訳ありません」
「ん? どうしたんだね、改まって」
「その件ですが、部長が考えていらっしゃるような、仕事上の意図は一切ないです。ただの友人というか……便宜を図ってもらうつもりも、個人的な繋がりを理由に営業をするつもりもありません。それはそれ、これはこれです」
俺は正直に打ち明けた。
その瞬間、高橋部長の温和な表情がすっと消えた。
彼の目は、穏やかな上司の目から、企業のリスクを管理する管理職の目へと瞬時に切り替わっていた。
「それは……どうなんだろうね。我々の仕事は信頼が全てだ。あらぬ誤解を招きかねない行動は慎むべきだ。営業目的とわりきっているならまだしも……今後の月島さんとの付き合い方は立場をよくわきまえた上で、慎重に考えるように」
その言葉は、もはや明確な警告だった。
適当に「わかりました」と返事をして自分のデスクに戻る。頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。
楽しかった週末の風景を思い出しながら、
◆
俺は週の頭から『洗濯しない?』と月島さんに連絡。そして、いつものコインランドリーにいた。今日のことを話さなければならないから。
やがて月島さんが姿を現した。だが、俺の顔を見るなり、すぐに異変に気づいたようだった。
「……どうしたの湊さん。顔色がとても悪い。体調悪い? 怪我した? どこか痛む?」
彼女は俺の隣に座ると心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「それがさ……田中さんから広まった噂がね――」
俺は、今日の出来事を、高橋部長に言われたことを全て正直に話した。俺のせいで、彼女の立場を悪くしてしまうかもしれないこと。プロジェクトに、悪影響を与えてしまうかもしれないこと。
俺が、俯きながら、途切れ途切れに話すのを、月島さんは、ただ、黙って聞いていた。
全てを話し終えた後、月島さんは耐えられなくなったようにふはっ!と吹き出すように笑った。
「あれだよね、ゴルフだゴルフ」
「ゴルフ?」
「や、偉いオジサンって休みの日に接待でゴルフに行きがちじゃん? アレに近いことをしてるって思われたんだって思うと笑えてきちゃってさ」
「ゴルフの代わりに服選びか……確かに年に合わせた接待だ……」
彼女は俺の目をまっすぐに見つめてきた。
「ま、湊さんがそういう打算的な目的で仲良くしてくれてるんじゃないってことくらい分かってるよ」
「そ……そっか……」
「これで湊さんがプロジェクトから外されたら逆にクレームだよね。私的な感情はゼロで、単純に人の質が上がるイメージわかないし」
「いやいや……優秀な人は他にもいっぱいいるから」
「ふーん……ま、気にし過ぎだよ」
「だといいけどなぁ……」
「ん。そもそもそんな私生活にまで口出しされても困るし、何ならここで出会ったのが先だし。むしろ後から湊さんがアサインされてきたわけだし」
「確かに……」
「だから、胸を張ってればいいと思う」
「月島さんは胸を張ってた?」
「や、けちょんけちょんにイジられた……」
月島さんは恥ずかしそうに両手で顔を覆った。
「皆、そういう話が好きだよねぇ……」
「ね。切り分けて考えられないもんかね。誰と誰が一緒に帰ってたから付き合ってるとかなんとか、高校生から進歩しなさすぎだよ」
「そうだよねぇ……別に恋愛感情なんて――」
俺がそう言いかけて隣を見ると月島さんはぼーっと真顔で俺を見ていた。
「あ……な、何?」と尋ねる。
「……ねっ……ねー! そうだよね!」
月島さんは慌てて俺に話を合わせた。
……今の間はなんだ!?
よく見ると月島さんは洗濯物を何持ってきていない。つまり、俺と話すためだけに来てくれたということ。
「月島さん……何も洗濯ないのに来てくれたんだ」
「ふふっ……今更気づいたの? そうだよ。湊さんに呼ばれたから。わざわざ話をするだけでここに呼ばなくてもって思ってたけど、さっきみたいな話があるから家じゃなかったんだね。律儀だなぁ」
「まぁ……一応ね」
月島さんはニコニコしながら前を見て「そっか」と頷いた。
「ね、湊さん。今度あれしようよ。『セッ』から始まるやつ」
「接待だね」
「相手を気持ちよくするやつだよ」
「接待だね!?」
「穴に、球を、入れる行為」
「接待ゴルフだね!?」
月島さんは楽しそうに笑っている。その横顔を見ていると不思議と落ち着いた。ひとしきりはしゃいだ月島さんは天井を見つめだした。
「ま、最悪うちに転職もウェルカムだよ」
「そっ、それはさすがに……」
「他所に転職するでもいいけど。ニートの間くらいは養ってあげるよ?」
「まぁ……とりあえずは現状維持かな。さすがに辞めるほどじゃないし」
「ん。そうだね。ま、なんとかなるよ」
月島さんはニッと笑って立ち上がり、俺の前に立つと俺の頭をワシャワシャと触ってきた。
くすぐったいが、妙に月島さんが頼りになり安心感を覚えてしまうのだった。




