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【書籍化】コインランドリーでいつも並んで読書をしているクーデレ美少女が取引先の副社長だった  作者: 剃り残し


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 俺が月島さんのTシャツにトマトソースのシミをつけたあの日、コインランドリーで交わされた、半ば強引な、しかし、どうしようもなく嬉しい約束。


 俺は待ち合わせ場所の駅の改札前で、落ち着かない気分でスマホの画面をタップしていた。時刻を何度も確認するが、当然、時間はワープしたりしない。俺が、彼女の服を選ぶ……?


 女性の服のセンスなんて、俺の専門領域を遥かに超えている。これは、キャリアで最も難易度の高いコンサルティング案件かもしれない。


「……湊さん。待たせた?」


 ふと、声をかけられて顔を上げると、そこに立っていたのは、いつものラフなパーカー姿の月島さんだった。その手には、なぜかタブレットが握られている。


「いや、俺も今来たとこだから……そのタブレットは?」


「ん。服の仕様に関する資料。昨日の夜、簡単にまとめておいた」


 彼女が画面を見せてくると、そこには『新規被服資産導入に関する仕様策定』という、大真面目なタイトルのファイルが表示されていた。中身は、予算、TPO、色、素材、デザインの方向性といった項目が、箇条書きでびっしりと並んでいる。


「こっ……これを満たす服を探すの……?」


「ん。そう。前の服はこれを完璧に満たしていた。もちろん、これもね。行こ?」


 彼女は着ている服を指さしてそう言ってさっさと歩き出した。


(部屋着のパーカーでも満たせるなら案外条件は緩いのか……?)


 俺は、そのあまりにも彼女らしいやり方に、呆れと、そしてどうしようもない可笑しさを感じながら、その後ろ姿を追いかけた。


 俺たちが向かったのは、港の近くにある、お洒落なセレクトショップが並ぶエリアだった。一軒目の店に入るなり、俺達はそのお洒落オーラに完全に気圧されてしまった。


「……どっ、どう思う? 湊さん」


「え? いや、どうと言われても……どれも、綺麗だと思うけど……」


「もっとこう、具体的なフィードバックが欲しい」


「じゃ……まず今回の『被服資産』に求める要件から確認かな。ターゲットとなる着用シーンは、主に『TechFrontier社への出勤時』。求める印象は、『親しみやすさ』と『知的な信頼感』の両立。つまり、カジュアルすぎず、かといって、コンサバすぎない」


「ん。方向性はそれで一致している。や、まぁ……もう一つの観点として、一個人の男性として私に着て欲しい服はある? 遠慮なく、要件を出して」


 彼女は、じっと、俺の目を見て言った。その真剣な眼差しに、俺は、ゴクリと喉を鳴らす。これは、ただの服選びじゃない。俺のセンスと、そして、彼女への理解度が試される、高度なテストだ。


「そうだねぇ……この前の黒いワンピース、すごく似合ってたと思う」


「……っ! ……黒ね。はい、インプット完了。次」


 彼女は、少しだけ顔を赤くして、そっぽを向いた。


「あとは……そうだな。淡いラベンダー色とか、柔らかい色もきっと似合う。普段、モノトーンの服が多いから、そういう色を着てるところも見てみたいかな。まぁ……髪色との相性次第かもしれないけど」


「……ラベンダー……なるほど……分かった。要件表に合致する服を探してくるから、そこから選んで」


 さすがに月島さんの要件リストを理解して俺が探すということはしなくてもいいらしい。


 彼女は、まるで獲物を見つけたハンターのように、鋭い目で店内を見渡し始めた。


 しばらくして、彼女は数着の服を手に試着室へと消えていった。俺はその前で、手持ち無沙汰に待つ。その時間は、永遠のように長く感じられた。


 やがて、試着室のカーテンが、静かに開く。 最初に彼女が着ていたのは、上品なネイビーの、とろみのあるブラウスだった。


「……オプションA。どう? 少し堅すぎる?」


「いや……すごく、いいと思う。知的で、信頼感がある……ただ、少しだけフォーマルすぎる?」


 俺が正直な感想を言うと、彼女は「なるほど。フィードバック、サンキュ」と言って、再びカーテンの奥へと消えた。


 次に彼女が着てきたのは、俺がリクエストした、あのラベンダー色の柔らかなサマーニットだった。


「……オプションB。これは……?」


 その姿を見た瞬間、俺は、言葉を失った。黒いワンピースの時とは、また違う。柔らかくて、優しくて、そして、どこか無防備なその姿は、俺の心の一番弱い部分をいとも簡単に鷲掴みにした。


「……湊さん? どうしたの? フリーズしてるけど」


「……いや……。それが、いい。すごく、いい」


 俺は、それだけ言うのが、精一杯だった。理屈じゃない。分析でもない。ただ、心が、そう叫んでいた。


 俺のそのあまりにも素直な反応に、月島さんは一瞬驚いたような顔をして、そして、今までで一番嬉しそうにはにかんだ。


「そっか……じゃあ、これにする」


 月島さんはラベンダー色のサマーニットと、それに合わせたスカートを買うことにした。会計の時、「これは俺のせいだから」と俺が財布を出そうとすると、月島さんは、それを、ピシャリと手で制した。


「ダメだよ、湊さん。ふりかけは程々にしないと」


「ふりかけ?」


「ん。思い出のふりかけ。プレゼントしてもらったなんてふりかけをかけたら、この服は捨てられない。ボロボロになっても使っちゃうじゃん」


 彼女の相変わらずな、しかしどこか優しさに満ちたロジックに、俺はまたしても何も言い返せなかった。


 ◆


 店を出て、近くのカフェで、俺たちは、一息ついた。空いている椅子の上には、彼女の新しい服が入った、ショップの紙袋が置かれている。


「……不思議だよね」


 俺はコーヒーを飲みながら呟いた。


「何が?」と月島さんが尋ねてくる。


「いやぁ……服の好き嫌いって何で決めてるんだろうって。何が好きで、何が嫌いかなんて、理屈じゃない部分も大きいし。俺、なんであのニットがいいと思ったのか、うまく説明できないもん」


「人間の『好み』っていうのは、ブラックボックスだからね。入力と出力は分かるけど、その間の思考プロセスは、本人にすら解析不能。やたらと『よくぞここまで言語化してくれた』みたいなことを言う人もいるけど、無理に何でも可視化しなくても良いんじゃない? って思っちゃうね」


 月島さんは、少し楽しそうに続けた。


「たまには、その、自分のブラックボックスを信用しないで、他人の判断に委ねてみるのも、面白いかもね。湊さんが『いい』って言ったから、私も『いい』って思えた。……それも一つの新しい発見だった。ま、服に限らず人も――」


 彼女のその素直な言葉が俺の心にじんわりと染み渡る。


 その時だった。


 俺は、カフェのガラス窓の外に、見慣れた人影を認めて、ぎょっとした。田中純さんだ。彼女は、スマホで何かの地図を見ているようだったが、ふと顔を上げ、俺たちに気づくと、ピタリと動きを止めた。


 その目は、驚きに大きく見開かれ、次の瞬間、まるで世紀の大発見でもしたかのように、ニヤァ……と、満面の笑みに変わった。そして、俺たちに向かって、大げさにウインクとサムズアップを送ると、まるで敏腕スパイのように、さっと身を翻し、足早に雑踏の中へと消えていった。


「……月島さん」


「……うん、見てた」


 月島さんの声も、俺と同じくらい、絶望的な色をしていた。


「終わった……俺たちの……平穏な日常……」


「うん。月曜からの社内チャット、すごいことになるだろうね」


 月島さんの未来予測に俺はもう笑うしかなかった。


「はは……まあ、いいか」


 月島さんは、コーヒーカップを置くと、少しだけ、吹っ切れたような顔で言った。


「ん。ま、別に社内チャットでイジられるだけなら実害は無いし」


「そうだよねぇ……実害って無いだろうし」


「逆に実益まであると思うよ」


「メリットあるの!?」


「多分ね」


 月島さんは白目を剥いてそういった。


「……何してるの?」


「ウィンク」


「出来てないよ」


「え? 写真撮ってよ」


 月島さんに言われるがまま白目を剥いている写真を撮ってみせる。


「……おかしい。私の脳内での表情とギャップがある」


「客観視は大事だね」


「……反対は?」


 月島さんがまた目を細め、白目を剥いた。


「ははっ! できてないよ」


 月島さんは心底ショックを受けたように俯いた。だが、すぐにはっとした表情で前を向いた。


「あ……ごめん。馬鹿にしたかったわけじゃなくて……」


「や、そんなのわかってるよ。単に自分の人生において、ウィンクが下手だって言ってくれる人がいなかった……というかそもそもウィンクを見せる人がいなかったという事実に気づいて震えてた」


「なるほど……」


「で、その後にもう一つ気づいた」


「何?」


「今は、いる」


 月島さんは両目でじっと俺の目を見てくる。そのまま二人で見つめ合うも、どちらもその状況や意図を深堀りして言語化はしない。


 俺は無言のまま左目を閉じてウィンクで返すと月島さんは「もー!」と頬を膨らませてコーヒーを口にした。



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