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IとI  作者: 雨宮雨霧


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2/2

ふたりの記憶

秘境駅に少しでも近付こうと切符を買い、電車を待つ。蒸し暑いプラットホームでスマホの電源を入れた。いつも通りの手つきでSNSを開くと、知らないうちにJKふたりの失踪劇の足取りが増えていた。菊をみると子犬のような笑顔を浮かべている。侮れないな、と思うと笑みがこぼれた。電車に乗り込み、また終点まで寝て過ごした。

改札を抜けると同時に身体の力が抜けてしまった。一日中外に居ることなど今までなかったから、疲れが溜まっているらしい。

「大丈夫?疲れたよね、ほら、乗って」

菊はしゃがみ込み、背中に寄りかかるように誘導してきた。 この歳になっておんぶされるとは思っていなかった。菊との身長差は誤差があるくらいだ。重くないかとヒヤヒヤする。負われながら歩いてもいないのに流れていく景色を眺め続けた。公園のベンチに腰を下ろし、ここで野宿をすることにした。

「休憩しようか、お茶飲もう」

水筒の蓋を開け、お茶を身体に流し込む。夜になったとはいえ、蒸し暑く蚊の飛ぶ音が耳に残る。

公園の水道で濡らしたタオルで身体を拭きながら、明日のことを考える。いつこの失踪劇が終わりを迎えるのか、私は知らない。菊は考えているのだろうか。それこそ明日死ぬかもしれないのだ。安心よりも怖さが勝っている。何年も毎日のように死にたいと思ってきたくせになにをほざいているのか。自分でもこの矛盾に頭を悩ませる。

「菊、明日はどうするの?」

「秘境駅まで行って、最後の思い出を作って。最期を迎える」

菊の声は重く、心に重石を載せられたような感覚がした。やはり明日で終わりなのだ。終わってしまうのだ、この十七年の人生は。怖さは拭えないままだが、諦めも何処かでついている。この選択をしたのは自分であり、菊と昨日の夜に鉢合わせたことも運命であったのだから。そういうことだ、と無理矢理飲み込んで「分かった」と返事をした。

ベンチに横たわり、目を閉じる。母は家に帰ってきているだろうか。やはりいないだろうか。どこでなにをしているのかも私はちゃんと知らない。どこで稼いでいるのかも、どう生きているのかも分からない。家族のはずなのに、家族になれなかった。私は邪魔者なのだと、居ないほうがいいのだと吐き捨てて出て行った母の顔を思い出す。

家の近くよりも星がよく見える。私もあの輝く星になれたら、誰かに愛してもらえたりするのかと思いを馳せた。存在しているのは肉眼で見えている星だけではない。指先に星を載せ、ゆっくり目を閉じた。思い描いてきた「普通」の家庭を夢に見ながら。


「おはよう。起きられる?」

鳥の鳴き声とともに菊の声が耳に入った。重い身体を支えられながらなんとか起こす。ベンチで寝るのはあまりいいものではない。ベンチに背骨が当たって痛かった。しかしこれから永遠に眠るのだから、これも最後のいい経験になったということだ。そういうことにしておこう。

身支度を素早く公衆トイレでしていく。今日はお揃いの服だ。二人で一緒にデパートへ買いに行ったもの。最初で最後になってしまうとは思ってもみなかった。 白地に小花柄が散りばめられたワンピース。最期には相応しいのかもしれない。

「髪、結いたい」

もちろん、と答えた。断る理由もこれと言ってない。

白く艶のある指先が髪に触れる。髪をくしでよく梳かし、慣れた手つきで髪を半分に分け三つ編みにしていき、あっという間に編まれて完成した。

「よし、できた。どう?」

鏡に映る自分を一瞬だけ見て、ありがとうと返した。「可愛い、天使みたい。黒髪で長くて、羨ましいな」そう笑った彼女の声は笑っていなかった。菊も緊張しているはずだ。今こうして生きているのに、あと数時間もすれば絶えていると思うと弾んだ声にはどうもならない。

「夜花も結ってよ、私の髪」

「無理だって、不器用だし」

大丈夫だと言って話を聞いてくれない。三つ編みのやり方すら分からない私にどうしろと言うのだろう。

菊にやり方を教わりながら、ゆっくり編んでいく。サラサラと美しい茶色の髪を触っているのがどこか罪な気がしてならない。菊のようには上手くいかなったが、思っていたより形になったと思う。

「さすが夜花。やればできる子」

そう微笑む彼女の頬に、朝日が照らしてきた。公衆トイレから出て、軽くストレッチをする。早朝の公園で体を動かすのは気持ちがいい。駅名も忘れてしまっているしこの土地の名前も知らない。自転車を走らせる人を眺める。また始発の電車で秘境駅に向かうことにした。本数はやはり少ないようだ。遅れないようにしないと。

家を出て丸一日が経った。菊とこれほど一緒に過ごすのも久しぶりのこと。学校だの部活だの、菊の場合は塾やら英才教育やらで忙しかった。お互い孤独であったが、全く違う孤独であった。学年が上がるにつれて共に過ごせる時間も減っていっていたことも必然としか言いようがない。

「最期まで夜花と一緒に居られるの、幸せだな」

「私も菊と居られて幸せだよ。死んでもずっと一緒に居ようね」

誰も居ない駅のホームの椅子に腰を掛けて、最期を迎える覚悟を決める。菊とは立場も環境も全く違っているのに、一緒に居られることはとても幸福なことだ。

学校もクラスも一緒であったものの、いじめを受けていた私と接してくれることはあまりなかった。だからといって彼女が見て見ぬふりをしたわけではない。そうするしか手段がなかった。世界は広いというが私たちの世界は檻のように狭い。

「助けられなくてごめんね」

「菊が傷付くよりいいでしょ、自分を責めないでいい。今一緒に居てくれるのも菊だけなんだから」

謝られるのは嫌だ。最後まで守ってくれていたのも信じてくれていたのも菊だけなのだ。私は菊になにもできていないのに。

そんな話をしているとき、アナウンスが流れた。少し身構えながら電車に乗り込む。

これから、秘境駅へと向かう。私たちの最期を飾る場所へ。

車窓から見える風景に二人して歓声を上げた。幼い子供の様に。

気付けば寝落ちていて、目が覚めると目的地の一歩手前であった。菊の身体を揺さぶりながら眠い目をこする。ベンチで寝たとはいえ、やはり疲れは全く取れていなかったらしい。心做しか体が軽くなったように思う。

「あー、もう着くの?私たち寝落ちてばっかりだな」

いつも慌ただしく過ごすのが日常だった。私も菊も二人だとかなり自由奔放になる。それくらい心を許せて、それくらい信じられるものがなかった。

駅に着き、綺麗な澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。生きている感覚がする。

スマホの位置情報を見るが何も表示されない。なぜだろうと不思議に思う。よくよく見れば圏外と書かれてあった。どうも、ここは電波が通っていないらしい。SNSに上げられた失踪劇は一日にして幕を閉じることとなった。

駅を出て、景色を眺める。私も菊も知らない、見たこともないような絶景がそこには広がっていた。ここに身を埋めることにしてよかった。

慣れない手つきでスマホのカメラを向ける。そして菊がシャッターボタンを押した。映された写真には、小花柄のワンピースを着た二人の少女が確かに生きていた。

「我ながら上手く撮れた」

にっこりと笑う姿は今にも消えそうに見えた。

視線を自然に移し、周辺を散策する。すぐそばに海が広がっていて、波風が頬を撫でてゆくのが心地よい。手を繋ぐと強張っているのが分かった。言い出したのは菊であるが、だからこその責任と怖さが彼女を襲っている。「大丈夫」そう自分に言い聞かせるようにして口にした。「うん」そう自分をたしなめるようにして云った。

波打ち際に座り、黄昏れるようにして話に花を咲かせた。学校に休みの連絡もしていないことを思い出しながら今何の授業してるんだろう、と思いを巡らせる。もう死ぬのだから学校に行くことも二度とないわけだだが、もうすぐ夏休みだとか来年は受験生だなとか。考えても仕方のないことをひたすら話した。

心の何処かで死にたくないと感じていたのかもしれない。それでも私たちに失踪をやめて生きるという選択肢はなかった。ゲームのようにコンティニューもできない。最初からやり直すこともできない。選択肢は生きるか死ぬかのどちらか。生きる選択はとうになくなっていた。死という選択だけはいつもそばにあった。それだけはいつも優しかった。死はまるで輝く星だ。

「好きだよ、菊のこと」

「私も。死ぬ前にお互い好きだったって分かってよかった。両思いでよかった」

海風に吹かれながらまた唇を交わした。どれだけの時間が経ったのかも分からなくなるくらいに。波の打つ音が頻りに耳に入った。死を留まらせようとしているようにも聞こえる。

菊のことを好きだと自覚したのはそう最近のことではなかった。友達としての好きでないと自覚したとき、それはもう絶望に浸っていた。女なのに女を好きになった、当時の自分からすれば大問題であった。菊の前でちゃんと友達として過ごせていたかも分からない。バレてはいけない、ただその一心で取り繕った。

それも無駄であったということか。隠す必要もなかった。だが、隠していなければ今この状況になっていなかった可能性もある。自分の行動を悔いても遅いのだから、今という終わりに目を向けるべきだ。

唇を離し、抱きしめ合いながらまた写真を撮った。最期の一枚となった写真は板のようなスマホに、それが壊れるまで残り続けることになる。

「じゃあ、ここでさよならだね」

「天国でもずっと一緒に居よう」

狭かった世界に別れを告げ、広がった世界に身を投じた。瞬間に感じた少しばかりの後悔は千切れた髪ゴムとともに先に海の底へと沈んでいった。

二人の体は離れないように縄でくくられ、二度と浮かばないように重石をくくった。離れ離れにならないことを願って力強く手を握りしめたまま。

これでもう孤独を感じることもない。傷付くことも、苦しむこともない。目を開いたままの自分と目を閉じたままの菊は青い空に浮かんだと思えば青い海へと落ちていった。

苦しかったのはほんの少しの間だけだった。全身から力が抜けていき、瞼は自然と閉じていった。最期に見えた菊のまつげの先は脳裏に焼き付かせるようにして煌りと光った。

来世は要らないと思った。また菊と出会えるとしても、人生にはもううんざりだ。天国なら二人幸せに過ごせるだろう。穏やかに、幸せに毎日を生きられると信じて。

二人の記憶はゆっくりと時間を掛けて海に溶けていく。二人が消えたことすら知らないこの地球に。

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