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領主と吸血鬼16

  * * *

 ミシェルの主治医は彼に笑顔でこう話した。


「ルクルス家のご協力もあり、彼女の状態に合うとても良い新薬が来月手に入ることになりました。ロクサーヌさんの今までの検査結果を見ている限り、この薬はかなりの効果を期待できると思います。予定通り、来月から入院ということでよろしいですよね?」


 医師の言葉にジェフは柔らかな笑顔で頷く。


「旦那様方も喜ばれると思います。先生、長期にわたりありがとうございました」


 ジェフが礼をすると、医師はいやいやと手を振る。


「まだこれからが本番じゃないですか。来月もよろしく頼みますよ」


 再度深く礼をして、ジェフは部屋を出た。


 ミシェルの心臓の病は先天的なもので、完治は難しいと昔から言われていた。が、ここ最近の目覚ましい医学の進歩、特に新薬の開発により、どうやら彼女の病は完治を目指すことが可能になるらしい。


「嗚呼」


 彼は柱の陰で深い息をこぼす。

 その溜息は、感激というよりも感嘆のそれに近かった。

 彼は彼女の病の完治を手放しで喜べないのだ。


 なぜならば。


 ジェフは「今の状態」のミシェルを愛しているのだ。

 陶器人形のように青白い、あの肌が好きなのだ。

 病弱と侮られまいと爛々と輝き、その陰で死に黄昏る碧い瞳が好きなのだ。


 彼の性癖を、他者は死体愛好ネクロフィリアとでも言って蔑むのだろう。


 確かに死は良いものだと彼は断言できる。

 美しいものは美しいまま、廃れることなく永遠の時間に閉じ込められる唯一の手段なのだから。

 けれど彼は心のどこかで、か弱くも美しいまま生きる小さな命をずっと愛でていたいと思っていたのだ。


 しかし、それはやはり叶わぬことらしい。


「……残念です、お嬢様」


 ジェフはこぼれそうになる涙をこらえ、歩き出す。


 ミシェルは彼を「嘘つき」と言ったが、この愛は嘘では決してない。

 本当に、本当にあの幼い令嬢を愛していたのだ。


 ――この時を止める方法はただひとつ。


 ジェフはいつもの優しい笑みを顔に貼り付け、令嬢が眠る病室に戻った。






 * * *

「はやく帰りましょうと言ったのに、どうしてこんなところに立ち寄るのですか」


 日が傾き始めた頃、ロアは「少し寄りたいところがある」と言って、マリアを連れて郊外にやって来た。


 やって来た場所は、なんと墓地だった。


「ちょっと確かめたいことがあって。今日はマリアとゆっくりできた分、なんだか少しぐらい働かないと割に合わない気がしてね」


 使い魔としては気を遣うんだよと、ロアは冗談めかして言った。


「墓地で何を確かめるんです?」


 マリアは不穏な予感がして、ロアにジト目を送る。

 ロアはてこてこと墓地内の小道を歩き、目的の場所を見つけた。


「ここだ。実は第3の被害者、エリス・ウォッカ嬢のお墓なんだけど」


 周りの墓とは一線を画し、堀が作ってあったりと、かなり大がかりな造りの墓だった。

 ウォッカ家が裕福な家であることがそれだけで見て取れる。


「ちょっと、どうして貴女が被害者のお墓の場所を知ってるんですか?」

「いや、被害者は酒造家のご息女だったんだけど、ウォッカ家っていうのがボルドウともやり取りがあるロンディヌス屈指の酒造家でさ。少しつてがあって」


 それよりも、とロアは地面に手をついて墓の周りの臭いを嗅ぎ始めた。


「お、お墓の前で何してるんですか、犬みたいですからやめてください」

「マリアだって前に似たようなことしてたよ。……ああ、やっぱり」


 何がやっぱりなのか、マリアが覗き込もうとすると。


「マリア、周りに誰もいない?」

「? いませんけど。こんな夕暮れ時にお墓参りは一般的ではないですし」


 じゃあ少し離れていてとロアは言った。

 そして小さく、墓に向かって呟く。


「ごめんなさい。少し開けるね」


 次の瞬間、ロアの眼の色が赤く変わる。

 身体能力を魔に近づけたのだ。


「ちょっと!?」


 マリアが止める間もなく、ロアは棺が納められている石の蓋、石板を持ち上げた。


 これでは立派な墓荒らしだ。


「何やってるんですか、流石に不法行為で……!?」


 ロアを叱咤しようとしたマリアは、暴かれた棺を見て驚愕する。

 ――中身が綺麗に、空なのだ。


 確かにエリス・ウォッカが埋葬されたのは11月。今から4カ月は前の話になるが、ここまで跡形なく何も残らないわけがない。


「これは、どういうことですか……? 遺体はどこに」

「あの人形の言葉で、引っかかっていたことがあるんだ」


 ロアは石板をそっともとに戻した。


『私は「殺す」のではなく、「活かす」のです。美しいものを永遠にするために、時を止めるのです。呪われし貴女にならきっと分かるでしょう』


 ロアと対峙した時、あの人形はそう言った。


 時を止めることは死を与えることと解釈しよう。しかしそれをあれは「活かす」と言った。

 あれだけ鼻の利くエレン・テンダーは、今もなお悪魔の匂いを感知しない。

 ということは


「犯人は人間で、人形や死体に魂を入れて操ることが出来る者。

 ネクロマンサーの可能性が高い」






 * * *

 ホテルに帰ってからも、マリアはどうにも落ち着かなかった。

 ロアの結論に納得がいかないわけではない。

 遺体が消えている事実からも目は逸らせない。


 しかし相手が人間、それも特殊な能力者となれば、対処の仕方が変わってくる。

 ケースによっては微妙なところだが、本来、黒魔術の禁を犯した者を罰するのは教会の仕事ではない。

 教会はあくまで名称通り、悪魔とスピリチュアリテに関連した事象の解決を担うものだ。


 とはいえ、5人もの若い女性の命を奪った者を野放しには出来ないし、人形の件ではこちらも随分借りがある。

 ここで引くのも後味が悪い。


 しかし正直なところ、もうボルドウの屋敷へ帰りたいと心のどこかで思っている自分がいることに、マリアはため息をついた。


 そうこうしていると、ロアが部屋に戻って来た。

 フロントからの連絡で、ルクルス氏から電話が入っていると呼ばれたのだ。

 戻って来たロアの表情は少し神妙だった。


「何か屋敷で変わったことが?」

「いや、別件だった。今日実家に戻る予定だったミシェル嬢がまだ帰っていないそうで、執事からの連絡もないそうなんだ。私のところに来ていないかの確認だったんだけど」


 たまたま帰りの汽車に遅れが出たというだけであればいいのだが、今日の汽車に遅れはないそうだ。


「病院は予定通り午後に退院していると言うし、……」

「気になるのでしたら、探しに行かれますか?」


 マリアはそう言って立ち上がった。


「え、いいの?」


 てっきり許してもらえないものかと、といった顔のロアに、マリアは少しへそを曲げた。


「そこまで狭量ではありません。屋敷をお任せしているルクルス様の御親類であるご令嬢の行方がこのロンディヌスで分からないとなれば、出来る限りのことはさせていただくのが礼儀です」

「マリアは礼儀正しいメイドさんだもんね」


 ロアもコートを羽織り直し、マリアとともに夜の街へ出た。

物語もいよいよ佳境、どうぞよろしくお願いします。

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