第90話 勇者の嫉妬
魔族と人を乗せた氷塊が海面に激突した。
大きな水飛沫が上がる。
氷塊はしばらくの間海に没した。
氷原にいる生物たちは、必死に舟あるいは柱にしがみつく。
吹き飛びそうな勢いの水流に抗った後、氷塊はようやく浮き上がり、海上に顔を出した。
表面の海水を吐き出しながら、何事もなかったかのようにスーッと沖へと流れていく。
舟にしがみついていた領民は無事だ。
元々排水される際、舟から飛び出さないように設計が施されていた。
氷となっても、それが功を奏した形だ。
一方、レイン及び第5部隊も堪え忍んでいた。
海水を飲み込み、そのしょっぱさに驚いているものもいるが、ほとんどが生き残っていた。
そのレインもペッと舌を出しつつ、顔を上げる。
「無事か!?」
兵の安否を確認した。
氷柱にしがみつきながら、第5部隊の兵士たちは司令官と同じく渋い顔を上げる。
あまりのことに戸惑っている兵がほとんどだが、大半が無事だった。
レインはルロイゼン城塞都市の方へと振り返る。
爆煙が今も濛々と都市から吐き出されていた。
吹き飛んだ城壁の破片と思われるものが、海に浮かんでいた。
崖の高さは優にシュインツ城塞都市の城壁を越えている。
あそこから飛び降りたと考えると、寒気が走った。
生きていることは幸運。そして戦えることは僥倖と、レインは感じた。
第5部隊司令官レイン・ヴォア・アバリカンは、今一度槍を構える。
舟の上に立つ敵の軍師ヴァロウを睨んだ。
「城塞都市を水没させるどころか、海に逃亡する算段まで付けていたその大胆な戦術については褒めてやる。結果的に我々と本隊を切り離した手並みも見事だ。――しかし、ここにはまだ2000の我が兵がいる。いずれもこの氷原を美しく舞うことのできる猛者たちだ。200の兵とわずかばかりの領民で勝てるはずがない。それにだ――――」
レインは手を付いた。
さらに氷原を伸ばしていく。
それは戦場を広げようと狙ったわけではない。
『ぐぎゃぎゃぎゃぎゃ……』
『ぐぺぺぺぺぺぺぺ……』
奇妙な悲鳴が響く。
氷原の端から現れた海の魔物たちが、たちまち氷漬けになっていった。
種族、その大きさ関係ない。
レインは海の中にいるものをすべて凍らせてしまった。
「海に我らを誘い出し、海の魔物をけしかけ、我らを一網打尽にしようと思っていたのだろうが、そんなもの先刻承知よ」
レインは眼鏡を釣り上げた。
「なめるなよ、ヴァロウ。ここにいるのが、雑兵と思うたか。改めて名乗らせてもらおうか。私の名前は『氷烈の勇者』レイン・ヴォア・アバリカン! 覚悟しろ、悪魔どもめ」
勇者の名乗りは、味方を鼓舞し、敵を震え上がらせた。
皆が思い出す。
勇者一個の戦力が、万の軍勢に等しいことを。
これは200+α対2000の戦いなどではない。
200+α対12000の戦いなのだ。
「ふん。圧倒的不利を理解したようだな。このまま根絶やしにしたいところだが、私は勇者だ。1度だけ慈悲をやろう。人間に限り、投降する機会を与える。今投降すれば、勇者である私が直接掛け合い、中央に掛け合ってお前たちの罪を減刑することを約束しよう」
レインの声は朗々と氷原に響き渡った。
だが、船上に立つ領民も、弓や槍を構える駐屯兵も動かない。
顔を合わせて、目で相談することもなかった。
その無反応に、レインは驚く。
レインの呼びかけは、望外の慈悲であるはずだ。
おそらく多くのものが賛同し、投降するだろうと、レインは思っていた。
しかし、誰もピクリと動こうとしない。
すると、1人の女性が進み出る。
見窄らしい町娘が着るような服を着ていたが、長い金髪は戦場にあって軽やかに揺れ、肌の白さは宝石を思わせる。
何よりレインの眼光に負けないほどの鋭い眼差しには、どこか王者の風格のようなものが漂っていた。
レインは呆然と女性を見つめる。
圧倒されたというよりは、何か顔が熱くなるのを感じた。
レインは未来の勇者として、ずっと訓練漬けの生活を送ってきた。
自然と女というものに関わることなく、育ってきたのだ。
好意というものを感じる器官すら、備わっていないかもしれない。
そんなレインですら、今目の前の女性の魅力に引き込まれつつあった。
やがて女性は少し股を開き、腰に手を当てる。
名前を名乗った。
「わたしの名前はエスカリナ・ボア・ロヴィーニョ」
「ロヴィーニョ……。そうか。あなたがルロイゼン先代の領主ドルガン殿の娘か。よくご無事で」
「ありがとう。でも、今あなたたちに殺されそうになっているけれどね」
「い、いや……。だから私はこうしてあなた方に投降の機会を与えているのです」
「そうね。でも、悪いけど見た通りよ。誰も投降しないわ」
「何故ですか!?」
「その質問に答える前に、わたしも1つ質問してもいいかしら?」
「ど、どうぞ――」
レインは明らかに目の前のエスカリナに気圧されていた。
その緑眼の瞳にどんどんと引き込まれていく。
「レイン、あなたは勇者なのよね」
「え? ええ……」
「では、何故わたしたちを今殺そうとしているのかしら?」
「それはあなた方が魔族と結託して……」
「そんな証拠はどこにもないのに?」
「は? いや、しかし――そこの駐屯兵は我らに弓を……」
「そりゃそうよ。大部隊でいきなり矢を射かけて来たら、誰だって応戦するわよ」
「いや――――」
「恥を知りなさい、『氷烈の勇者』!!」
エスカリナは喝破する。
思わずレインは背筋を伸ばした。
「あなたが自分を勇者と誇示するのならば、わたしたちルロイゼン城塞都市を救うための戦いをすべきだった。それなのに、あなたたちは城門を吹き飛ばし、挙げ句氷漬けにしようとした」
「そ、それは、悪魔どもが――――」
「わたしの話を聞いてたの!? ルロイゼンに損害を与えている時点で、あんたたちの方がよっぽど悪魔でしょうが!!」
「しかし、悪魔どもはルロイゼンを水に――」
「それはわたしたちが望んだことよ。それに、あなたとヴァロウとでは決定的に違う部分があるわ」
「それは?」
「わからない? あなたたちはルロイゼン城塞都市を落とすために破壊した。けれどね。ヴァロウはわたしたちを救うためにルロイゼン城塞都市を犠牲にしたのよ」
「私とて、あなた方を救おうと……。故に、勇者の慈悲を――」
「慈悲ですって! ふざけないでよ! あなたが救うんじゃない。こっちが救われてやるのよ! 『勇者』っていうくだらないあなたの矜恃のためにね。……そこまで『勇者』として誇りを持つというなら、ルロイゼンの民が苦しんでいた時、あなたはどこにいたの? 民が支払った重い税で、あなたは一体誰のために剣を振るっていたのよ」
「うっ……」
「わたしにとって、この世に『勇者』と呼べる人は1人しかいない。人ではないけれどね」
エスカリナは振り返る。
レインもまたその視線の先を追いかけていた。
同時にルロイゼンの領民たちの視線も、一点に向けられる。
氷原に乗った舟の上で、人鬼族の青年の髪が揺れていた。
魔王の副官にして、第六師団師団長ヴァロウである。
皆が彼を崇めていた。
絶世の美しさを持つエスカリナですら。
レインは唇を噛む。
エスカリナの言葉に、レインは勇者としての自信をなくしかけていた。
だが、皮肉にも皆が魔族の軍師を慕う姿を見て、怒りがわき上がる。
その時のレインを奮い立たせたのは、小さく安っぽい嫉妬だった。
「全員戦闘配置!!」
レインは槍を掲げ、叫んだ。
エスカリナの演説によって、奇妙な空気となった戦場をかき回すようだった。
兵たちは、はたと気付く。
今、ここが戦いの場であることを思い出したかのようだった。
兵士たちが、レインが手に握った武器の感触を確かめる。
燃え立つような殺気が、戦場に充満した。
それを見ても、エスカリナは堂々と腰に手を当てている。
首だけを後ろに向け、尋ねた。
「時間稼ぎはこれぐらいでいいかしら、ヴァロウ?」
すると、ヴァロウは笑った。
「ああ。十分だ」
チェックメイトだ、『氷烈の勇者』……。
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