第86話 海の魔物
書く時の姿勢を正し、
更新頑張って参ります!
57日前。
ルロイゼン城塞都市。
「る、ルロイゼン! 水の中に沈めるぅぅぅううううう!!」
素っ頓狂な声を上げたのは、エスカリナだった。
それを一緒に聞いたルロイゼン城塞都市の領民も驚く。
その荒唐無稽な話に、ただただ固まるしかなかった。
だが、説明を終えたヴァロウは、淡々としている。
表情を変えることはなく、ヘーゼル色の瞳を湛えるだけだった。
驚くエスカリナに対して、ただ「そうだ」と頷く。
「都市を水に沈めるって……。一体どうやって……」
まず城壁の周りを粘土層の土で埋める。
だが、これに関しては問題ない。
すでにヴァロウがルロイゼン城塞都市を発つ前からやってもらっていたからだ。
「随分奇妙な指示だと思ったら、そのためだったのね」
エスカリナは感心する。
つまり、ヴァロウはシュインツに発つ前から、この戦さのことを考えていた。
前線軍はルロイゼン城塞都市を攻めてくることを予見していたのである。
「さらに海側の低い壁の上積みすれば、水を溜めることが可能だ」
「でも、ヴァロウ……。都市1つを沈めるほどの水量をどうやって貯めるの? 確かに周りには、河川と海があるわ。でも、人の手で水いっぱいにするなんて、どう考えても不可能よ」
仮に3000人の人間が手分けをし、バケツリレーで10日間ぶっ通してで水を注いだとしても、その水量はたかが知れているだろう。
しかし、ヴァロウは事も無げに言い放つ。
「問題ない。当てはある。断言しておくが、水の件についてルロイゼンの民がやれることは何もない」
「で、ですが、ヴァロウ様……!」
声を上げたのは、1人の老人だった。
足が悪いらしい。
杖を突いて、不安げな顔で近づいてくる。
その身体で魔族に意見しようとする勇気は、ある意味称賛されてしかるべきだろう。
「わ、わしらの家はどうなってしまうのでしょうか?」
当然の疑問である。
都市を水没させるということは、領民の住居を水没させるということだ。
他の領民も頷く。
老人と同じく不安げな顔でヴァロウを見つめた。
ヴァロウは表情を変えない。
しかし、決して領民から目を背けなかった。
「お前たちが守ってきた家は取り壊すことになるだろう」
そもそも戦術的に壁をもう1つ新たに作る必要がある。
資材が足りないのだ。
そのため石造りの家から、その資材を提供してもらうとまで、ヴァロウは考えていた。
「もちろん新たな家屋は、この戦さが終われば、造り直させてもらう。だが、この戦さを生き残るためには、お前たちの家屋――いや、ルロイゼン城塞都市そのものの犠牲が必要なのだ」
「ヴァロウ……。話はわかったわ。でも、その前に教えてちょうだい。ルロイゼン城塞都市を水没させて、一体わたしたちは何を得ることができるの?」
「そうだ」
「それを教えてくれ!」
「聞きたい!」
「オレたちにどんなメリットがあるんだ!」
領民たちは口々に尋ねる。
すると、ヘーゼル色の瞳が光った。
「必勝だ」
「必勝……。必ず勝てるってこと……?」
ヴァロウの雰囲気に圧倒されながら、エスカリナはぼんやりと質問する。
人鬼族の司令官は力強く頷いた。
「ああ。我々は1万……。いや、それ以上の援軍を得ることができるだろう」
「1万以上の援軍!? それって――」
エスカリナの声を聞きながら、ヴァロウは口角を上げるのだった。
◆◇◆◇◆
幻影の壁が壊れた瞬間、水が溢れ出す。
大要塞同盟の中で、ルロイゼン城塞都市は1番小さな都市だ。
しかし、人工的に作られた貯め池という観点からすれば、最大級のものである。
そこに溜まった水量は、考えるまでもなく膨大だ。
人間など一溜まりもなかった。
強烈な水量に兵たちは圧死する。
さらに残っていた家屋も流されていった。
その資材が渦を巻くと、水中でもがく人間に牙を剥く。
かろうじて息をしていた人間のとどめを刺した。
ヴァロウは都市の中にさらに壁を造っていた。
それが幻影魔法を映していた壁である。
ちょうど第三城門を凹状に囲うように造らせた。
水と城門との間に空間を作ることによって、前線軍を誘い込んだのだ。
ヴァロウの戦術は見事にはまる。
たちまち第7部隊と、それに続いた第5部隊の一部が巻き込まれた。
さらに唯一の出口である第三城門は、崩れた壁と周囲の瓦礫を吸い込みふさがる。
これもヴァロウの計算通りであった。
再びルロイゼン城塞都市は、水に沈む。
元々の水位より低くなったが、それでも人間が足を付けるような深さではない。
なんとか事なきを得た兵士も、鎧が重くて次々とまた水中に沈んでいく。
海が魔族の勢力圏内になって以降、海戦を想定した訓練は行われていない。
鎧を着けたまま水中で泳ぐ訓練はあるが、実用性が少なく、前線に行けば忘れてしまう。
その程度の訓練内容だった。
むろん、ヴァロウはそのことを知っていた。
故に水攻めを行ったのである。
ルロイゼン城塞都市に入った前線軍は、約2000といった所だろう。
だが、そのほとんどが水攻めによって命を落とした。
さらに外との連絡は難しい状況だ。
奇跡的に助かっても、ほぼ絶望しかなかった。
しかし、絶望はこれからだったのだ。
ある1人の兵士が浮いていた板にかろうじて捕まる。
己が生きていることに、ひとまずホッと息を吐いた。
だが、喜びもつかの間だった。
ふと気配を感じる。
同時に悪寒も感じた。
水中に視線を落とす。
無数の赤い点が兵士を囲んでいることに気付いた。
口が見える。
パクパクと動いていた。
尾がヒラヒラと揺れ、鱗がぬらぬらと鈍い光を放っている。
水中にも関わらず、それは矢のような速さで動いた。
兵士に迫る。
「ぎゃあああああああああああああああああ!!」
悲鳴が上がる。
その瞬間、兵士の腕がもげていた。
同時に水中から飛び上がったのは、1匹の魚人だ。
その鋭い牙がついた口には、兵士の腕がくわえられていた。
兵士の受難は終わらない。
次々と魚人が浮上し、兵士に襲いかかる。
たちまち兵士の身体が喰われていった。
残ったのは、鮮血の赤――。
それすら揺れる水面の中に溶けていった。




