第79話 女神の秘密 ――第2部 完――
メッツァーは夜を迎えた。
昼間の喧騒が嘘のように静かな夜だ。
蝋燭の明かりを頼りに、急造の書斎で仕事をしていたヴァロウは、ふと顔を上げた。
椅子から立ち上がり、城壁塔の狭間から外を窺う。
補給部隊が持ってきた天幕が、焼け野原のメッツァーにいくつも設営されていた。
さすがに10000人のメッツァーの領民をすべて収容することはできず、若い男たちは野宿しているが、温かな篝火と屋根のある下で眠れたことは大きいらしい。
昨日はあちこちでむせび泣く声が聞こえたが、今日はあまり聞こえない。
とにかく静かな夜だった。
ヴァロウは1人ほっと息を吐く。
時に非情になり、過激な発言もする軍師だが、家族や家、生活する基盤を失った民たちに対して、気を揉んでいた。
戦乱の中にあって、人間の精神のケアは重要だ。
ひとたび精神の均衡を崩せば、狂人化し、人でなくなってしまう。
ヴァロウは顔を上げた。
「今日は満月か……」
夜の闇に、ぽっかりとそこだけ穴が開いたように月が浮かんでいた。
青白い光が大地を照らしている。
今日の月光は力強く、傷心の民を励ましているようだった。
ゴトッ……。
物音がして、ヴァロウは振り返った。
急造の書斎に現れたのは、メトラである。
「メトラか……。まだ休んでいなかったのか」
見張り番を除いて、軍には休むように通達している。
激戦続きだったのだ。
少しでも身体を休めてもらうことが先決だった。
「まあ、いい。……ちょうど良かった。紅茶を入れてくれないか。あと、お前に頼みたいことがあって――――」
「はあ……。はあ……。はあ……」
メトラは返事しない。
聞こえてきたのは、荒い息だった。
「どうした、メトラ?」
机の上の燭台を掲げ、メトラを照らす。
すると、寝間着をぐっしょりと汗で濡らし、メトラは何か請い願うようにヴァロウを見つめていた。
「……ヴァロウ、さま」
頬を紅潮させ、ギュッと閉じた股に己の手を這わせている。
切なそうなメトラを見て、ヴァロウは察した。
今一度、狭間から外を見る。
「そうか。満月か」
「ヴァ……ろ、う……」
とうとうメトラは崩れ落ちる。
すると、背中が震えた。
バッと飛び出したのは一翼の翼だった。
黒い羽根が書斎に舞い落ちる。
「わかった、メトラ。すまないが、もう少し我慢してくれ」
「……は、はい」
メトラは苦しそうに訴える。
すると、ヴァロウは机の上にあった書類を脇に置いた。
一旦書斎から出て行くと、毛布を何枚も持ってくる。
それを机の上に引き、急造のベッドをこしらえた。
「メトラの綺麗な身体を汚すことになるからな。王宮のベッドと比べると硬いかもしれないが……」
メトラは慌てて首を振る。
「い……いえ。お気遣いありがとうございます」
「さあ……」
ヴァロウはメトラの手を取り、エスコートしようとした。
だが、ヴァロウの手に触れた瞬間、メトラは逆に手を引く。
自分の方に抱き寄せると、一気に唇を近づけた。
そこではたとメトラは動きを止める。
目の前にヴァロウの青白い顔があった。
「す、すいません」
「よい」
いつも無表情なヴァロウが、一瞬笑みを見せる。
優しい笑顔に、メトラは救われた。
こわばった身体を弛緩させると、ヴァロウに身を委ねる。
ほしい……。
そんなメトラの要望に応えるように、ヴァロウは唇を奪う。
初めはソフトに……。
けれど、それでは我慢ができなかったのか。
最初に攻め立てたのはメトラだった。
一瞬虚を突かれたヴァロウだったが、優しく受け止める。
まるで頭を撫でるようにメトラの唇を慰めた。
いつの間にか寝間着が冷たい石床に広がっていた。
メトラの美しい肢体が、狭間から差し込んだ月光に照らされる。
一糸まとわぬ白い身体は、青白くぼうと光っていた。
細い首、程よく浮き上がった鎖骨、隠した手が埋まるぐらいの大きな乳房。
腰は優美な曲線を描き、臀部はキュッと締まり、緩みがない。
どんな芸術家でも表現できない。
自然な美がそこにあった。
「あの……。そんなに……見ないで…………くださ、い、ヴァロウ様」
「どうしてだ? ……綺麗だぞ、メトラ」
「は、はうぅ……」
メトラはギュッと目を瞑った。
ビクリと身体が震える。
「さ……」
メトラをベッドに誘う。
ヴァロウは城壁塔に結界を張った。
これで入室は困難となり、中の様子は見られなくなる。
さらに遮音の効果も付加されていた。
毛布を畳んだ枕の上に、メトラの頭をそっと載せる。
急造のベッドの上に彼女は仰向けになり、服を脱いだヴァロウが上になった。
その引き締まった肉体を見て、メトラは頬をさらに紅潮させる。
「すみません……。ヴァロウ様」
メトラの目に涙が滲む。
それをヴァロウは優しく拭った。
「良いか」
「……はい」
ヴァロウはメトラをゆっくりと包んだ。
◆◇◆◇◆
「お疲れ様、ベガラスク」
月光に照らされたメッツァーに、一際明るい声が響く。
城壁の上で見張り番をしていたベガラスクは振り返った。
紅蓮の瞳を光らせ威嚇したが、声の主には通じないらしい。
無警戒のままベガラスクの方に近づいてきた。
「師団長自ら見張り番なんて偉いわね」
「別に褒められるようなことはしていない。それに――」
ベガラスクは夜空を見る。
見事な満月が浮かんでいた。
「綺麗ね」
エスカリナは目を細める。
そう言えば、こうして満月をゆっくり眺めたことはなかった。
2人して空を見上げていると、エスカリナは尋ねる。
「そう言えば、魔族って満月だと強くなるんだっけ?」
「すべてではないがな」
「そうか。ベガラスクがこうしているのも、満月の光を浴びるためなのね」
「そうだ。太陽は生命力を、月は魔力を与えるからな」
「へぇ……。じゃあ、日光浴ならぬ月光浴っていうわけ」
「そんなところだ」
ベガラスクは手を広げる。
どうやら見張りにやってきたというよりは、本当に月光浴を楽しむために、歩哨に立っているようだった。
また人間らしいところを発見し、エスカリナはクスリと心の中で笑った。
「ところでさ。メトラさん、知らない? 天幕にいなかったんだけど……」
「メトラ? さあ、知らん――――ああ、そうか。今日は、満月だからな」
「どういうこと?」
「魔族には魔族の事情があるのだ」
「ふーん。……ねぇ、ベガラスク」
「なんだ、人間。うるさいぞ」
ベガラスクは威嚇するが、またもや不発に終わる。
エスカリナはあくまでマイペースだった。
「ヴァロウとメトラさんって恋人同士なの?」
「オレがそんなことを知るはずがないだろ! いいから、お前はあっちへ行け! 気が散る……」
追い払う。
エスカリナは口を尖らせた。
「むぅ……。いいじゃない。それぐらい話に付き合ってくれたって、ベガラスクのケチ!!」
エスカリナは城壁の下へと降りていった。
ベガラスクは頭を掻く。
「なんなのだ、あの娘は……」
やれやれ、首を振り、ベガラスクは月光浴を続けた。
◆◇◆◇◆
「落ち着いたか?」
ヴァロウはカップを差し出す。
珈琲ではなく、むろん紅茶である。
白い湯気と共に、紅茶の香気がメトラの鼻を刺激した。
毛布を頭から被ったメトラは、差し出されたカップを手に取った。
ホッと息を吐く。
飲むとさらに癒やされていった。
ヴァロウの入れた紅茶は、やはり優しく彼女を包んだ。
「すみません。ヴァロウ様」
ようやく落ち着きを取り戻したメトラは項垂れた。
ヴァロウはメトラの隣に座る。
そっと肩を抱いた。
「お前はそんな身体になってまで、俺を助けてくれた。いわば命の恩人だ。謝るのは俺の方なのだ」
「いえ! そんなことは……」
メトラは天使に転生した。
だが、ヴァロウを生き返らせたことによって、堕天し、魔族となった。
その際、彼女はサキュバスとなったのだ。
サキュバスとは、男の精を搾り取る魔族の一種である。
普段は半分流れる天使の血によって、その衝動を抑えていた。
だが、満月になるとどうしても抑制が効かなくなるのだ。
故にこうして、時々ではあるが、ヴァロウに抱いてもらっている。
「いつもはなんとか抑えるのですが、今日は……」
「連戦の後だったからな。気分が高まっていたのだろう。それに――」
「それに?」
「今日のあら汁はうまかった」
「ぷっ……。なんですか、それは!」
メトラは噴き出した。
ヴァロウはメトラの笑った姿を見て、リントリッドの王女であった頃を思い出す。
「姫……」
「え――?」
「巻き込んで申し訳ありません」
メトラは首を振った。
「良いのです。私が望んだことなのですから、ヴァロウ。それにあなたの側に、何の気兼ねなくいることができるのです。むしろ私は幸せです」
「姫……」
ヴァロウは薄く微笑む。
メトラも笑った。
あの時に戻ったようだ。
宮廷の中庭で出会った時のような……。
2人はキスを交わす。
優しく、互いを慈しむように。
「今日は随分と素直ですね、ヴァロウ様。……それよりも、何か私にお話があったのではないのですか」
「ああ……。そうだったな、メトラ」
ヴァロウはベッドから立ち上がった。
メトラもまた同様に立ち、寝間着を着用する。
ボタンを留めているメトラに、ヴァロウはしたためておいた手紙を差し出した。
「今すぐ、魔王城に向かってほしい」
「今すぐですか?」
「ああ……。お前の迅速な動きが、次の戦いの勝敗を決する。良いか?」
メトラはすぐに手紙を受け取らなかった。
今から魔王城に行くということは、ヴァロウから離れるということだ。
その間、彼に危険がない保証は全くない。
もしかして、自分を危険から遠ざけるためなのかも……。
そんな邪推をしてみたが、軍師ヴァロウの心理を読み解くことはできなかった。
片時も離れたくない。
だが、ヴァロウは自分に命令したのには、何か意味があるはずだった。
メトラは膝を折る。
もう自分は王女ではない。
ヴァロウの補佐役。
サキュバスのメトラなのだから。
「かしこまりました。慎んでご命令を拝受させていただきます」
メトラはヴァロウから差し出された手紙を受け取るのだった。
これにて8章『メッツァー城塞都市占領』終了となり、
同時に第2部完結となります。
ここまでお読みいただいた方、誠にありがとうございます。
是非ブックマーク、最新話下欄の評価、感想などいただけると、
第3部第9章を更新する励みになります。
よろしくお願いしますm(_ _)m




