第76話 本国軍撤退
「待て、ヴァロウ」
待ったを掛けたのは、ベガラスクだった。
「その女が我が魔族の列に加えるというのか」
「ああ。俺はそれでいいと思っている。こいつは魔族になったのだからな」
「だが、元は人間だぞ」
「それでも、こいつには利用価値がある。いずれわかる」
噛みつくベガラスクをヴァロウはあっさり退けた。
ベガラスクもそれ以上追及しない。
どうやら舌戦ではヴァロウに勝てないことは、先ほどの問答で悟ったのだろう。
「どんな理由があろうとも、オレは認めんぞ。いずれ本国に帰った時に、お前の行いの数々を魔王様に報告させてもらう」
「構わん。お前は、そのためにいるんだろう?」
ベガラスクのようにヴァロウの行動を疑問視する魔族は、本国にはたくさんいる。
そもそもヴァロウには敵が多い。
魔王の副官になりたい魔族は、ごまんといるのに、15歳にしてその任に就いている。
いわば嫉妬だ。
地位や名誉を欲しがる点では、魔族も人間も変わらない。
魔王がベガラスクの第四師団に決めたのは、勢いなどではない。
そうした勢力に配慮してのことでもあった。
今、魔族を2つに分けてはいけない。
魔王ゼラムスもまた、劣勢の魔族をまとめるのに必死なのだ。
その時だった。
ガキィン!!
鉄の打ち付けるような音が響く。
何かと思い、皆の注意がそちらに向いた。
見れば城壁に大柄な人鬼族が立っている。
ザガスである。
ベガラスクとヴァロウの問答に入らず、何をしているかと思えば、城壁の外を見ていたようだ。
「どうした、ザガス!」
ベガラスクが尋ねた。
すると、その耳がピクピクと動く。
蹄の音が近づいてくるのに気付いた。
エスカリナが補給部隊を連れてきたのか。
そう思ったが、規模が違う。
1万、いや2万以上はいるかもしれない。
大軍勢だ。
急いでベガラスクは城壁を駆け上がる。
外を見ると、やはり軍が迫っていた。
その旗印はリントリッド本国軍のものだ。
「まさか本隊!」
ベガラスクは息を呑む。
その横でザガスは顎をさすった。
「くかかか……。これは楽しそうな戦いになりそうだぜ」
喜ぶ。
だが、あまりに劣勢だ。
こちらはすでに1500を切ってる。
魔物を合わせても、精々2400といったところだろう。
対し、相手は2万の大軍勢。
勝負は戦う前から決していた。
「それでもオレは、1匹でも人間の首を狩り、魔王様に捧げるだけだ」
ベガラスクは爪を伸ばす。
雄々しく吠えようとした時、熱くなる第四師団師団長に冷たい声が浴びせられた。
「落ち着け、ベガラスク」
少し遅れて、ヴァロウが城壁の上にのぼってくる。
大軍勢を、ヘーゼル色の瞳に焼き付けた。
その中で人を探す。
すると軍の中央より少し後ろ。
輿に乗った男の姿が見えた。
大柄だが、武具は纏っていない。
黒い服を着ている。
まるで喪服だ。
遠目にも関わらず、男と視線があった。
軽く帽子を取り、会釈する。
すると、口端を歪め、ニヤリと笑った。
ヴァロウのぐっと拳を握る。
冷たい表情がいつになく熱くなっているように、側のメトラには思えた。
「この軍勢の前に落ち着いてなどいられるものか!」
ベガラスクの声にヴァロウはハッと我に返る。
「それとも、これもお前の手の平の上ということなのか?」
「……まあ、そんなところだ」
ヴァロウがそういった瞬間だった。
無数の大きな影が地上を滑っていく。
その気配に気付き、ベガラスクは顔を上げた。
「な! 飛竜か!!」
無数の飛竜が空を飛んでいた。
そこに竜騎士が跨がっている。
その数はバルケーノの竜騎士部隊の数を越えていた。
優に300騎近くいるだろう。
空が黒くなるほどの飛竜が空を舞っていた。
「あん……」
最初に気付いたのは、ザガスだ。
戦争の火種となると、その嗅覚は魔狼族以上になるらしい。
「ヴァロウ! あっちからもだ」
指を差す。
東側の方から人間の軍勢がやってくる。
その旗の印は、同盟軍のものだ。
だが、中には別の紋章も混じっていた。
ヴァルファル城塞都市のものである。
南から迫る本国軍も気付いた。
中央の黒服男が手を上げ、行軍を停止させる。
一触即発のままメッツァーの南で、にらみ合いが始まった。
「ルミルラ。早速、お前の仕事だぞ」
「わかっていますよ」
ヴァロウが言う前に、ルミルラは動いていた。
早速、城門から出て行く。
ヴァロウはザガスに命じて、第1の城門を閉じさせた。
第2、第3の城門はボッタッキオに吹き飛ばされたが、第1の城門は無事だったのである。
さらにヴァロウは、魔狼族に城門から降りるように指示し、ザガスとメトラに角を隠すように命令した。
ルミルラはまず自分の領軍と合流する。
その元気そうな姿を見て、喜び、泣く者もいた。
「絶対あなた様は生きていると思っておりました」
秘書も膝を折り、領主の無事を喜ぶ。
その肩にルミルラは手を置いた。
「あなたも、そして皆もよく耐えてくれました。ありがとう。――ですが、どうかもう一踏ん張りしていただきたい」
「もちろんです、ルミルラ様。我々はそのためにやってきたのですから」
ヴァルファル軍の兵士たちは笑った。
空で飛竜が嘶き、竜騎士達が槍を振って応える。
ルミルラはヴァルファルを発つ前に、秘書と軍に向けて置き手紙を残しておいた。
自分に何かあった時のための策である。
1つはどのような脅しにあっても、ヴァルファルは魔族との戦に荷担してはいけないということ。今、戦っても利益がないことを説いた。
2つめは戦いが決着し、本国軍が介入するようなことがあれば、全軍をもってそれを阻止すること。同盟が瓦解すれば、本国に対抗する勢力がなくなってしまうことを説明した。
ルミルラの部下たちは、それを忠実に実行する。
それはひとえに、バルケーノとはまた違った彼女の人徳がなせる技だったのだろう。
そして、ルミルラとヴァルファル軍は、こうして邂逅することができたのである。
ヴァルファル軍の数は約5000。
2万の兵に対しては、まだまだ少ないが、魔族軍とは違い、身体は充実し、士気も高い。
メッツァーを背にし、本国軍と向かい合う。
すると、ルミルラは軍の先頭に現れた。
「私はヴァルファル城塞都市領主ルミルラ・アノゥ・シュットガレン。メッツァー城塞都市の領主バルケーノの娘です。あなた方は本国の方だとお見受けしますが、どのような用向きで我が同盟領にやって来たのでしょうか? ご回答いただきたい」
ルミルラは声を張り上げる。
しばらくして人垣が割れた。
現れたのは、例の黒服男だ。
その異様な姿に、ルミルラは眉を顰める。
「私の名前はダレマイル・ゼノ・チューザー。本国軍総司令官を務めております。どうぞお見知りおきを、閣下」
「チューザー……。まさか上級貴族の――――」
「如何にも……。ですが、ここでは爵位はお忘れ下さい。軍の規定にもそうあるはずです」
ダレマイルは「ふぉふぉふぉ」と腹を震わせ笑った。
一方ルミルラはその奇妙な笑いに付き合わない。
背後にいるヴァロウのことを考えた。
真相こそ彼女は知らないが、ヴァロウが殺されたのは間違いなく上級貴族たちの手引きがあってのことだからだ。
「ではダレマイル猊下にお尋ねしたい。何故、本国軍が同盟に許可なく、今ここにいるのでしょうか? 少なくとも私が知るところにはないのですが……」
「この近くで大規模な演習を行っていたところ、メッツァーに火の手があり、という知らせを受けました。バルケーノ殿と私は知己の間柄でして、これはお助けせねばと思い、はせ参じた次第です」
「あなたと父が……」
ルミルラは目を細める。
「ご存じありませんか? まあ、娘のあなたにいえないお付き合いというのもあるでしょう」
「……わかりました。助太刀感謝いたします。ですが、ここは同盟領です。同盟の中のことは、同盟内で処理する。今までも、そしてこれからも」
「ほう。さすがはバルケーノのご息女だ」
ダレマイルは歪んだ瞳を光らせる。
ルミルラの肢体を舐めるように見つめた。
「村娘のような服を着ていても、あなたはお美しい」
「あ、ありがとうございます」
「しかし、大丈夫ですかな。あなたはまだ若い。同盟の状況は理解しているつもりです。ルロイゼンとシュインツは魔族に落とされ、ゴトーゼンとテーランは幽霊都市となった。そしてメッツァーもまたそれに加わる。果たして、あなたが治めるヴァルファルだけで大丈夫なのでしょうか?」
「何がいいたいのですか?」
「本国の支援を受け入れなさいと忠告しているのです。それに……」
ダレマイルは顔を上げる。
城壁に立つヴァロウたちを見つめた。
そこに魔族の姿はない。
わざとらしく鼻を利かせると、ダレマイルは笑う。
「何やら悪魔の臭いがしますぞ」
「さあ、私にはなんのことか計りかねますが……」
「ふむ。まあ、良いでしょう。ここは退きましょう」
ダレマイルは全軍に撤退を命じる。
東を向き、本国方向へと去って行った。
ダレマイルの輿もまた、動き出す。
「ああ……。そうそう……。ルミルラ閣下」
「なんでしょうか?」
「我が軍の一部が同盟領に入って、戻ってきません。何か知りませんか?」
「さて、私にはさっぱり。ですが、もし我が領内に無断に軍が入り、都市に対して略奪行為をしたとすれば……」
「すれば……」
「本国は同盟に対し、翻意ありと見るべきかもしれませんね」
「なるほど……。よくわかりました。またお目にかかりましょう、ルミルラ閣下。できれば戦場ではなく、輝かしい社交界の場でも」
「私はあまりそういう場は好みません。竜と戯れている方が似合う田舎娘です」
「ふぉふぉふぉ……。ならば、私の寝具の上でも」
「――――ッ!」
「失礼。これは失言でした。気に障ったなら、謝ります」
「謝罪を受け入れましょう。しかし、1つ覚えておいていただきたい」
上級貴族だからといって、許されぬこともあるのです。
ルミルラの眼光はいつになく鋭い。
対して、ダレマイルは涼やかに受け止めていた。
本国軍は大人しく去って行く。
1度も戦端を開くことなく、本国へと帰っていった。
◆◇◆◇◆
本国軍は大人しく帰途につく。
同盟との国境を越え、ずっと黙っていたダレマイルの補佐官チェッカーが口を開いた。
「よろしかったのですか、ダレマイル猊下」
「いやに引き際が早かった……と言いたいのですね、チェッカー」
「恐れながら」
「ふむ。理由はいくつかあります」
1つはヴァルファルの動きが予想よりも速かったことだ。
あのタイミングでヴァルファルが出てくるとは、ダレマイルも予想していなかった。
相手は高々5000である。
しかし、中には竜騎士部隊が含まれている。
同盟との対決を予測し、対策は整えていたが、真っ正面からぶつかれば、こちらの損害も少なくはないと、ダレマイルは考えた。
2つめはメッツァーの中にいた戦力が測れないことである。
数こそ少ないだろう。
精々2000といった所だ。
だが、バルケーノが飼っていた巨竜を仕留めるほどの戦力があそこにあるはずである。
そうなれば、たとえ20000の兵で押し通っても、全体の3分の1の兵が削られることになるかもしれない。
さらには籠城戦も考えられる。
本国から遠く、兵站も伸びた状態で攻城戦は少しキツい。
「それに、少し嫌な予感がしました」
ダレマイルは珍しく顔を曇らせた。
丸く赤黒い瞳に焼き付いていたのは、城壁の上に立っていた青年。
おそらくは人鬼族だろう。
あの油断のない表情。
かなりの場数を踏んできた軍師だ。
誰かを想起させる。
そう思うと、ダレマイルは口端を歪めた。
「あのヘーゼル色の瞳……。美しかったですねぇ」
恍惚とした表情を浮かべる。
チェッカーはその顔を見た瞬間、反射的に目を背けた。
首元に汗が滲む。
襟元を少し開けながら、輿の上のダレマイルをそっとのぞき見る。
まるで巨大な大蛇が輿に乗っているようだった。
若干ベガラスクの態度は頑な過ぎるように見えるかもしれませんが、
今後の話の広がりも考えて、伏線を張ったとご理解いただければ幸いです。




